三番手■鬼ボンが付けている喧嘩札についての妄想捏造。
■パッションで書いてますご容赦ください。
道四郎が店主を任されている蕎麦屋はちょうど昼を過ぎて客足が落ち着いていた。
「ご馳走さん 道四郎、 美味かったぜ」
甚八が首から下げている喧嘩札をチャラと鳴らして立ち上がる。
「さーて 午後も頑張りますかねぇ〜」
伸びをして帰っていく正宗の腰元にも甚八と同じ喧嘩札がぶら下がっていた。
「ありがとうございましたー」
これで今度はこちらが昼休憩。 道四郎は帰っていく二人を見送ってから暖簾を下げ、 一時の店じまいをする。
「甚ちゃんちゃんと水分補給しなよ 熱中症になったら大変だからねぇ」
「おめぇこそ酒で水分補給とか抜かすんじゃねえぞ」
「さすがに仕事中は飲まないよぉ」
甚八と正宗の話し声が仲見世通りに遠退いていった。
道四郎は二人の揃いの喧嘩札についてずっと言及できずにいる。
甚八と正宗は幼馴染みで、 道四郎が知り合った頃にはすでに阿吽の呼吸が出来上がってるアサクサを背負った二人組だった。 道四郎が知らない二人の思い出だってたくさんある。時折酒の席で盛り上がった二人が話す若かりし武勇伝には相槌を打つことしかできず、酔いが冷めてしまうこともあった。
そんな些細なことをと思われるかもしれないが、羨ましいと思ってしまうのは事実だ。 でもそれを口に出すのは憚られる。 だってそんなの...…ガキくさいじゃないか。
二人が木札を作った店は知っている。 そこの店主も甚八達の同級生で、気前のいい兄さんだ。 きっと道四郎が甚八と同じ札を作って欲しいと言えば快く作ってくれるだろう。
でももしかしたらあの二人が揃いで持ってるあアレには何か昔馴染み故の意味合いや思い入れがあるのかもしれないし、 勝手に自分がお揃いを作って浮 かれていいものなのかと躊躇してしまう。
「カッコ悪ぃよな……」
店の裏でぼそりと溢れた弱音を聞いた野良猫は、呆れたようにあくびをするだけだった。
さっき仕込んだささみの切れはしでも持ってこようか。重いビール瓶のケースを下ろして息をつき、さてと振り返ったその背後、
「わあ」
目と鼻の先にのっぺりと人が立っていた。
蛇穴健栄。 アカバネディビジョンの三番手。
道四郎がひっくり返るほどの勢いで驚いた様子なのに対して、 蛇穴は平然とした顔で軽く首を傾げていた。
「脅かすんじゃねえーよ 何してんだてめえ どのツラ下げてアサクサに足踏み入れてんだ」
うがーと吠える道四郎を無視する蛇穴の視線は、脇にいる野良猫に釘付けだ。
「おいコラ無視してんじゃねぇーぞ何見てんだよ」
「そのサイズの哺乳類に有効な薬物の投薬量を計算している」
「うおおおい 今すぐやめろその計算式」
慌てて野良猫を抱えあげて保護する。 がるるると警戒心マックスの道四郎の顔をようやく見た蛇穴は、傾げた首をコキと逆に振るう。
「冗談に決まってるだろ」
「全く冗談に聞こえねえなあ」
こちらがこんなにもいきり立っているにも関わらず、 蛇穴はそれ以上猫に何をするでもなく見つめ返してくるだけで、その目の色には確かに敵意や悪意は感じられなかった。
読めない表情の蛇穴に、 道四郎は一体なんなんだと舌を打って頭を掻く。
「……で なんでアカバネの野郎がアサクサにいるんだよ、なんか用か」
「用はない。 ただ、 ボスにたまには外に出ろと言われて」
その不服げな声色で察した。 ケラケラと笑ってやる。
「ははーん。 引きこもりすぎて追い出されたのかよ。 なんだよ、 ただのガキじゃん」
「引きこもりではない。 仕入れたマイクで研究をしているんだ」
微かにムッとした感情を出す蛇穴に、道四郎は勝ち誇って笑う。
「それで おっかないママに追い出されたけど行く当てがなくてアサクサに観光に どうせ他のディビジョンにも知り合いいねぇーんだろ」
「お前も別に知り合いではないけどね」
「堂々と殴り込みにきておいてよく言うよ」
この調子じゃ本当に喧嘩を売りにきたわけではないのだろう。 甚八達に報告することもなさそうだが、だからといってこんな何を考えてるのか分からない変人をアサクサに放置するのも気が引ける。
どうしたものかと思案していると、ぐううと小さな腹の虫が鳴いた。 腕の中の猫を見たが、どうやらこ 子のものじゃない。ということは、
「……もしかしてあんた、腹減ってんのか」
「閉鎖実験を三日間やっていて」
「あんたほんとに人間か」
そりゃあ外に出ろと叱られて当然だ。 やれやれと息をついた道四郎は野良猫を解放して親指で店を指差した。
「ここ俺の店。なんか食ってくか」
「てんめえー!?」
べちゃべちゃとつゆに蕎麦をつける蛇穴の仕草に、 道四郎はぎゃーと言わんばかりの悲鳴をあげる。
「蕎麦の食い方分かってねえのか!?」
どれだけ店主が喚こうとも、蛇穴はその様子を無表情に見上げたままずるずると蕎麦をすする。
「もっとちゃんと味わって食え!!」
「今食べてるよ」
サクリと海老天を囓る。
「そういうことじゃねえんだよ···!!あのなぁ!蕎麦っていうのはまずそのものの味と風味を味わうものなんだ!」
吠え続ける道四郎にはやれやれと小さく息をつく。
「もっと静かに食わせる店のほうがいいんじゃないか?」
「誰のせいだと思ってんだよ…!」
あのなぁと続けようとしたが、ふらりと立ち上がって店を出ようとしている様子の蛇穴に「うおーい」と声を荒げる。ちゃんと食え、と叱るつもりが、いつの間にかカウンターの上の定食は見事に完食されていた。ガツガツ食べていた様子はないのに、ぺろりと平らげている。
「なんだ」
「なんだじゃねえよ、てめぇみたいな不審者彷徨かせるわけにいかねえだろ ちょっと待ってろ、俺も行くから!」
そう声をかけたにも関わらず、やはり少しも待たずに店を出ていく背中に、アカバネでの仲間達の苦労を思いながら道四郎もカウンターを飛び出した。
会話らしい会話があるわけじゃない。
はてと立ち止まって建造物を見上げる蛇穴の横から、 道四郎が知りうる限りの伝承を話し聞かせるだけ。しかし意外にも無視をしている様子ではなく、時折「ふーん」と相槌は打っていた。
とある店の前。 ウィンドウには様々なデザインの木札が並んでいる。 チラと横目にそれらを見た蛇穴は次に行こうとしたのだが、後ろでその作品を見る道四郎の横顔を見てはてと立ち止まった。蛇穴の視線に気づいた道四郎は罰が悪そうに頬を掻く。
「あ、いや……ここ甚さん達が馴染みにしてる店なんだよ。 基さんとマサさんが揃いで持ってる喧嘩札……」
これな、と飾られているひとつを指差す。 それは確かに掘られた文字こそ違うが、大きさや厚みは見覚えのあるデザインだ。
「へぇ。チームで持っているものかと思っていた」
「俺もそういうのあってもいいかなとは思ってんだけどさ……」
「あの二人はお前にそれを言い出されたところで大喜びするだけだと思うけどね」
「……いやでも俺が言い出していいもんかどうか…」
拗ねた子供のように口を尖らせる様子に、蛇穴はふーんと興味も無さげに頷く。
「うちは狐久里が持ってきたものを付けている」
そう言って片手を道四郎に見せる。 ガツンと存在感のあるターコイズの指輪が目についた。
「意外だな……あんた達もそういうことするんだ」
「揃いのものを身に付ける行為は、チームの結束力を他に見せつける強さの表れでもあり、自分がそこに所属しているという安心感で精神が安定する心理効果もある」
小難しい言い回しをしているが最終的に言いたいのはきっと、……
「つまり、ちゃんと『仲間』だってことね」
にやんと笑んだ道四郎の端的な断言に、蛇穴は返事こそしないが否定もしなかった。
(仲間の証……か)
こいつなりに背中を押してくれているのかと思うと、なんだかここで怖気づくのはカッコ悪い気がする。でも、まだまだ未熟な自分が甚八達と堂々と仲間だと胸を張っていいのだろうか。
視線は自然とウィンドウの木札を見つめてしまう。
……戦争を嫌う甚八は中王区から強制的に渡されたヒプノシスマイクを誰に託すのか、きっととても苦悩したはずだ。正宗はその葛藤に一番に気がついて、俺がいるだろうと手を差し出していた。
自分は……自分はそれが羨ましくて、渋る甚八に直談判で食い下がって渡してもらったのだ。
優しい甚八の慈悲で選んでもらえただけで、きっと実力で選んでもらえたわけじゃないんだ…………。
「意外だね」
深刻な表情で悩み続ける道四郎に、蛇穴は肩をすくめる。
「ただの木札だろ」
「てめぇ職人の技にそんな言い方二度とすんなよ」
次言ったらその横っ面張り倒すぞ。肘で殴る仕草を仕掛けてから、道四郎はひとつ息をつく。
「……いやでも、作るにしたってやっぱりちゃんと甚さんに許可取ってからだ。勝手なことは出来ねぇよ」
「従順」
「言い方ぁっ!……~〜そもそも俺は、元はアサクサの人間じゃねえんだよ…」
そう小さく白状した道四郎は、場所を変えようと店の前から少し人通りの少ない路地へと当てもなく歩き始める。
ぽつぽつと話す道四郎の背中を見ながら、蛇穴もそれに続いていた。
「地元に居場所がなくて……荒れて荒んで行き着いたのがこのアサクサだった。生意気でどうしようもない俺を、甚さんだけは見放さなかった。辛抱強く俺を気にかけてくれて、イチから育ててくれたんだ。甚さんがいなかったら俺はきっと人生の大切なもんを全部取りこぼしてた……」
そうして職人の手に育った己のマメだらけな両手の平をじっと見つめ、宝物を掴むように握りしめた。目を閉じて、胸にその握った手を当ててみる。この鼓動が生きていると実感できるのは、救ってくれた人のおかげだ。
「だから俺は甚さんに全部預けられるし、全部懸けられるんだよ」
結局、よくある非行少年の更生話だ。蛇穴はやはり興味も無さげにふーんと頷く。
「その話を聞くと尚更お前があの札を欲しがれば喜ぶと思うけどね」
「……そうかな」
「気にかけていた後輩がそうやって距離を詰めてきたら、年上は悪い気はしないものだよ」
意外な返答に、道四郎は眉を上げる。こいつからそんな人間性を感じたのは初めてだ。
「へぇ……そういうもん?」
その見解は蛇穴の経験則なのだろうか。道四郎には分からない。けれど今まで誰にも打ち明けたことがない小さな葛藤を話せたことは、道四郎にとって大きなことだった。
「でもさ、実力が伴ってないのに勝手に言い寄ったりしたらそれはそれでウザくねえか?」
「……それはどういう意味だ…?」
「甚さん達に比べたら俺なんかまだまだで、そんな奴が調子に乗って「お揃いほしいですー」なんてさ、そんなの、」
「お前は自分をあの鬼灯甚八の審美眼にそぐわない男だと思っているのか」
先程までの無関心な空気感が、その一瞬、キンと硬く張り詰める。道四郎を見据える蛇穴の目は冗談ではなく、じんわりと怒っているように見えた。
「…………え」
「道四郎!」
真摯な眼差しに驚いて固まっていれば、背後からピカッと瞬く光の声が飛んでくる。
掛けられた声に振り返ると、通りを横切って甚八が駆け寄ってきていた。
「甚さん」
「ぉおどうした、 アカバネの兄ちゃんじゃねえか。アサクサに観光にでも来てくれたのか?」
よぉと道四郎の背中を叩きながら、甚八は蛇穴を見て笑う。声は底抜けに明るいがしかし、その目の奥には微かな警戒心。詳細は分からずとも蛇穴が直前まで発していた不穏さを、持ち前の勘で感じ取っているようだった。
甚八の牽制を察し、蛇穴はすでにいつもの気怠い空気を纏って肩をすくめる。敵意はない。
「別に用はないよ」
「問題ないっスよ甚さん」
親方の登場で道四郎の表情は一気に晴れ渡る。どうってことないと堂々笑い、親指で蛇穴を指差す。
「コイツ、ただの迷子の観光客です」
途端、静かに瞳孔の開いた蛇の目が道四郎を射抜くが、道四郎もへへんと鼻で笑い返す。
そのやり取りを交互に見やった甚八は、安心したように「そうかそうか」と笑う。何も心配はいらないようだ。
「鬼灯甚八」
視線は道四郎を見据えたまま、蛇穴は唐突に強い声で言う。「んん?」と不思議そうに眉を上げた甚八のことも、「あ?てめぇ気安いぞ」と一瞬で戦闘態勢に入る道四郎のことも気にせずに言い放つ。
「この男、お前に話があるみたいだよ」
その一撃で、道四郎はピャッと肩が跳ねる。
「なっ!?てんめぇ!?」
「あ? 話? なんだ道四郎」
「えっあっいや···!」
しどろもどろになる道四郎を見て満足したのだろう、蛇穴はにやりと嫌な笑みで小首を傾げる。
「じゃあ、俺は失礼するよ」
「おいてめえ!?」
「兄ちゃん」
道四郎のことは当然無視しようとしたが、甚八の呼び掛けにはチラと視線だけ向ける。
「今度はあとの二人も連れてこいよ、一緒に酒でも飲もうぜ」
笑顔で酒を煽る甚八の仕草に、蛇穴は少し考えて、首を横に振った。
「ボスは酒は好きじゃない」
判断基準が自分ではなく、ボスだった。甚八はその返答にへへと納得して笑った。
やっぱりチームってやつは、気がついたら成立してるもんだ。一緒に過ごした時間が、仲間の証になっていくんだ。
ぽてりぽてりと気怠い足取りで帰っていく蛇穴の背中を見送って、甚八はさてと道四郎を見る。
「で? 話ってなんだ道四郎」
「〜〜ぁ、いやぁ……」
「んだ、ハッキリしやがれ!!」
ぴしゃりと叱られて、道四郎は背筋を正す。
「実は……」
もしょもしょと躊躇しながら、らしくなく白状したその内容に、甚八は目をぱちくり瞬かせる。
そうして心底嬉しそうに、楽しそうに、豪快に笑う声が、アサクサの町に響き渡っていった。
月日は流れて。
「おーい!こっちだこっちー!」
仲見世通り、ようやくやってきた相手へ手を振る道四郎の腰には喧嘩札がぶら下がっている。
「……そんなに騒がなくても聞こえるよ」
「だったらもっと駆け足で来い!ここはアサクサだぞ!」
どう考えても十は離れているであろう道四郎からの遠慮ないアプローチ。思えば、一般人であれば気味が悪いと怯え慌てる蛇穴の空気感を、けれど道四郎は最初から怖気づくことなく対峙してきた。
ボスが一目置く鬼灯甚八が認めた三番手。アサクサのヤングガン。……その強さを、認められている人間だ。
「ほら、走れ走れ!」
「アサクサの人間そんなに走り回っていないだろ」
「あ?よく見ろよ、走ってるだろ人力車とか」
「あれと同じにするな」
「あんたがアレ引いてたらウケる」
「……次のモルモットはお前だな」
「あっ、甚さーん!堂庵に頼んでたバイト来ましたよー!!」
「………………」
いけ好かない奴だがな。