永遠と刹那の狭間で:2.諏訪湖で約束した未来2.諏訪湖で確認した未来
「神子様、信濃に到着いたしましたわ」
あやめに声を掛けられ、七緒が視線を上げると、少し遠くではあるが宿場町の様子をとらえることができた。
現代の長野県も山が多いことで有名であるが、異世界でもやはり同じようだ。
視界が開け、太陽の光が眩しいと思った瞬間、あやめが何かに気づいたらしい。目をキラキラと輝かせ、七緒の方を見てくる。
「あ、幸村さまがお待ちでいらっしゃいます」
幸村。その言葉を聞いて七緒は身体をビクッと震わせる。
そして、見上げると数ヶ月ぶりに見る幸村の姿がそこにはあった。
「姫、お待ちしておりました」
そう話す幸村の姿が七緒の目にはなぜか眩しく映る。
そして、思い出すのは数ヶ月前に一時の別れの挨拶をしたときに掛けられた言葉。
そう、彼に秘かな恋心を告げられたときの。
「姫、信濃にいらしていただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、お案内していただき、ありがとうございます」
以前と変わらない笑みがそこにはある。
そのことに安心しながら七緒は感謝の言葉を述べる。
「他の者はまだ来ていないですし、よければ信濃の案内でもいたしましょうか」
一時の別れの前に交わしていた約束。
約束を違えることはない彼のことだから実現されるだろうとは思っていたが、いざこうして声を掛けられると格別の感ものがある。
「幸村さんに案内していただけるなんて、嬉しいです」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「わあ」
七緒の視界に飛び込んできたのは山の中にたたずむ湖であった。
琵琶湖を見慣れているせいか、壮大さは劣ってしまうと感じるが、こちらの方が水が透き通っており、吸い込まれてしまいそうな感じがする。
「こちらが諏訪湖となります。春のはじめに氷が溶けていくときに御神渡りと呼ばれる現象を見ることができます」
「私もテレビで見たことがあります。凍った湖面が音を立てて盛り上がっていく様子がすごく幻想的ですね」
「ええ、寒さが厳しい時期に起こる現象ですので見たことがあるのは限られてしまいますが、見たものは一様に神秘的な光景だったと話します」
そう話す幸村の瞳からどこか寂しげな様子が伝わってくる。
そして、それを見ていると七緒の心にチクッと何かが刺すのを感じる。
前から感じ取ってきた「寂しい」という感情。その正体は徐々に現れ、そして今、七緒は改めて自覚する。
―私、幸村さんのことが好きなんだ。
「富士に登り、龍脈を正されると、姫は元の世界にお戻りになられるのですよね」
幸村の言葉を聞いて七緒の気持ちは深いところに沈められる。
せっかく意識することになった感情。
それを手放して自分は元の世界に戻ることになるだろう。たとえ織田信長の娘として生まれても、天野家の長女として育てられてきたし、今後も令和の世で過ごすことを放棄したつもりはない。
「そうですね。幸村さんにはお世話になったのにお返しができなくて申し訳ないですが」
「いいえ、姫のために力になれたこと、光栄に思います」
幸村の言葉はおそらく本心。
確かに幸村はいつも自分ののことを守ってくれた。そして、自分の中にそのことを心苦しくも喜ぶ気持ちもあった。
だけど、今はその奥底に何か隠しているものがないだろうかとつい期待してしまう。そして、それが自分と同じ種類のものであってほしいと願ってしまう。
もっとも、その気持ちを知ったところでこれから先に望んでいることが何であるか自分でもわからない。
ただ、今は彼の本当の気持ちを知りたいだけ。八葉としてでもなく、真田家の武将としてでもなく、ただひとりの男性としての。
そんな七緒の気持ちを見透かしたのであろうか、幸村が七緒の顔を見つめ、口を開く。
「ところで、これから大切なことをなさる姫にこのようなことを申すのは心苦しいのですが、今しかないのでお許しいただければと思います」
核心が近づいてきた。
七緒は直感でそれをつかむ。
そして、幸村の顔を見つめると、彼はいつも以上に眼差しに力を込めているのがわかる。
「すべてが終わり、あなたが元の世界に戻るとき、私もお連れいただけますか。もちろん、無理にとは言いません」
一瞬、力が抜けるかと思った。
少し前から伝わってきた好意。
そして、自分が感じているのも同じ種類だとわかった。
だから、彼と、幸村と離ればなれになるのを避けられる可能性が生まれたのは嬉しい。
一方で七緒の中には不安もたくさんある。
「いいのですか……? 幸村さんもご存じの通り、あの世界はこの世界と違うこともあるし」
そして、もっと肝心なことを確認しておきたかった。
「それに、本当に私でいいのですか?」
出会って間もなくの頃から、彼から温かい気持ちは伝わってきた。
だけど、今いる世界での立場や地位を捨ててまで自分に着いていきたいと思えるほどの人間か不安に思う部分もある。
しかし、幸村はまったく気にする素振りも見せず笑顔を七緒に向ける。
「ええ、もちろんですとも」
迷いのない瞳。それを見て七緒は確証する。この人は自分の選択に迷いがない。
「返事は今でなくとも構いません」
ためらいがちにそう話す幸村に七緒は幸村の瞳を見つめながら答える。
「いいえ、今、返事をさせてください」
「姫……」
自分の瞳から彼に何が伝わっているのだろうか。
ただ、一瞬でも早く彼に気持ちを伝えたいため、七緒は口を開く。
「私、幸村さんとの未来を諦めたくありませんから」
「姫……」
幸村の息を呑む声。
最初は見開くだけの眼(まなこ)がふと緩み、そしてそこに歓喜の色が湧き出るのが見てとれる。
いつも槍を握っている右手が七緒の頬に近づき、そしてそっと触れる。
その手は冷たいはずなのに、触られた部分が熱を帯びるのを七緒は感じる。
「あなたを抱きしめたい気持ちがないと言えばウソになりますが……」
そう言って幸村は七緒の瞳を見つめる。熱く、だけど、何かを抑えるかのように。
そして次の瞬間、その瞳から先ほどまでの熱情が消え失せ、いつも見せる柔和な笑みを見せた。
「あなたの神子の力が発揮できないと元も子もありませんから……
すべてが終わるまで今のことは秘めさせていただきます」
その後も幸村は諏訪湖周辺の名所を案内してくれた。
しかし、七緒の耳にはほとんど入ることがなかった。
そのため、記憶の片鱗となるものは皆無に等しかった。
その日は眠ることができなかった。
知ってしまった自分の気持ち、そして幸村の想い。
それらの歓喜と動揺、そして先のことへの期待と不安。それらが入り乱れて七緒の脳裏を駆け巡る。
気がつくと朝になり、七緒は宿の庭を散策することにした。外なら何が起こるかわからないが、庭なら問題ないだろう。
そう思いながら歩いていると、そこに意外とも言うべき人物がいた。
「兄さん!」
「七緒、おはよう」
兄の表情はいつもに比べて堅いような気がする。
「七緒、幸村に何か言われたのかい?」
「え?」
なぜ、そのことがわかったのだろう。
動揺する七緒に五月はその表情を緩めることなく続ける。
「やっぱり伝えたんだね。あれほど釘を刺していたのに」
言われてみれば……
七緒は幸村と出会ってからの日々を思い出す。
それぞれが愛情を育んできた自分と幸村。ふたりの気持ちが重なりあう予感がし、今度はふたりで愛情を築きあげる。
だけど、ことあることに兄の五月はふたりの距離が縮むことに拒絶反応を示していた。
八葉としては幸村とのコンビは悪くない。むしろ出会ってからの日数を考えると連携の素晴らしさに関心してしまうほどだ。
しかし、幸村と七緒の距離が近づくことに関しては容赦がない。
「でも、兄さん!」
言葉は少ないものの、キリッとした瞳で五月を見つめる様子に五月も何かを感じ取ったらしい。
ふうっと小さく溜め息を吐き、口を開く。
「そうだよね、七緒。お前が俺の言葉ひとつくらいで諦めるわけないよな」
そう言いながら五月は七緒を見つめる。まるでどこかに消えていきそうなものを追うような眼差しで。
「だけど、俺もお前には幸せになってほしいし、守りたいと思っている。みんなお前の幸せを願っている。そのことは忘れないで」