永遠と刹那の狭間で:5 令和の世へ5 令和の世へ
「ここは……?」
「ちゃんとうちの裏山についたみたいだね」
何度も通ってきた異世界からつながるトンネル。通り抜けた先に見慣れた景色があることに七緒は安堵する。
富士の頂上で龍脈を整えたのはほんの先ほど。
数ヶ月もの間、ともに過ごしてきた仲間のうち、ほとんどのものとは別れを告げた上で、ここにやってきた。
彼らとの絆は簡単に切れることはないだろうが、離れていても同じ世界にいるのと、二度と会えないのでは雲泥の差がある。
そして、今までは行こうと思えば行けた異世界。これからはおそらく行くことはないだろう。
しかし、それと同時に七緒はかけがえのない存在を手にした。
龍穴を通るときはいつも薙刀を手にしていたが、今回手に握りしめているのは幸村の手だった。温かくたくましい。
異世界にいたときに愛を打ち明けてくれ、そして七緒がそれを受け入れた存在。
そして、彼は七緒が元の世界に戻ると同時にこちらの世界に来ることを選んだ。
「幸村さん、本当にこっちの世界に来たんですね」
「ええ、そのようですね」
その声に反応して改めて見てみると幸村はいつも見ていた甲冑姿ではなく、こちらの服装になっていた。
革ジャンにTシャツ、そしてジーンズ。髪も異世界にいたときより結び目の位置が下がっている。
甲冑姿も勇ましくて好ましかったが、現代の服装に包まれた幸村も素敵だなと改めて思う。
「しばらくは慣れなさそうですが……」
いつも優しい笑みで七緒を励ましてきた幸村にしては珍しく不安が表情に出ている。
異世界にいたときは自分が助けてもらった。だから、今度は自分が幸村の力になる番だ。七緒はそう思いながら幸村の両手を取る。
「幸村さんは適応力あると思うから、大丈夫ですよ」
「そうでしょうか……」
「そうですよ!」
不安を拭いきれない様子の幸村を精一杯励まそうと七緒はできる限りの明るさで幸村に向き合う。それにつられたのだろうか。先ほどまでとは一転し、七緒がよく見ている笑みを見せてくる。
七緒はドキッとする一方、思わず不安になってしまう。
もちろん甲冑姿もカッコよかったが、こちらの世界の服装の幸村もそれとは違う雰囲気を醸し出していてカッコいいと思う。本当に自分が彼の心を引き留めることができるのか自信がなくなってきた。
でも、大丈夫。幸村さんは誠実な人だから。彼を信じよう。
そう思いながら七緒はもう一度幸村の顔を見つめた。
「ところで住むところだけど」
ふたりの間を割り込むように五月が現実的な話をしてくる。
そう、この世界に来ることで精一杯で先のことは正直ほとんど話していなかったし、考えてもいなかった。
目先の龍脈を正すことと、現代に戻ることを行うのでいっぱいだったのだ。
「幸村、当分のところはこの家に住むことでいいかな」
五月の提案に幸村は頷くしかない。もちろん、七緒も。
どこかの物件を借りるにしても、まだ五月の両親は海外出張から戻ってきていないので、保証人のあてがない。
そして、借りられたところで現代に慣れていない幸村を一人暮らしさせるにはいろいろと危険だ。それなら五月の両親に事情を話してしばらくの間は天野家の居候をしていた方がいい。
「では、幸村は客間ね。前にも泊まったことがあるから、大丈夫だろ?」
「ありがとうございます、五月殿」
「幸村、堅いな。一緒に暮らすから、もう少しくだけてくれないかな。五月でいいよ」
「では、五月ど……」
五月にそう言われたので、幸村は気安く話しかけてみようとした。しかし、やはり簡単には変えられないらしい。
「やっぱり慣れないものですね」
「そうだね。徐々に慣れていくしかないんじゃないかな」
「そうですね」
話がまとまったところで、五月は幸村に家の中を案内することにした。
今まで何度も来たことがあるとはいえ、客人として来るのと居候として生活するのは違う。
時間が掛かるとのことだったので、七緒はいったん自分の部屋へ行くことにした。
部屋に行き、時間を確認すると、どうやら自分たちが異世界に行くことになった時から変化はしていないらしい。
あの世界で過ごしていた時間はどこに吸収されてしまったのだろう。そして、あの世界で自分たちに起こった変化。それはどれくらい影響しているのだろう。
ただ、七緒が安心したのは、幸村が好きという気持ち。それは胸の奥に確実に残っていたということ。
すると、ドアがノックされる音が響いた。
「はい」
そう言いながらドアを開けるとそこにいたのは幸村だった。
手にしているのはお盆。そして、その上に湯呑みとマグカップがひとつずつ。
「姫、飲み物をお持ちしました」
本当はこちらの世界に来て不安も多いだろう。実際先ほどはそれが顔に出ていたが、今はそれをおくびに出さない幸村の笑顔。そのことに七緒は少し安心する。
それと同時に気になることが。
「幸村さん、その呼び方!」
異世界にいたときは自然と受け入れていた『姫』という呼称。だけど、こちらの世界で生活していく上では恥ずかしい。
「ここでは天野七緒として生きているので、できれば姫以外の呼び名で呼んでいただければ」
そこまで言って七緒は戸惑う。
幸村に名前を呼んでもらったのは出会ったときのみ。そして、そのときの呼称は確か「七緒殿」であった。
そう、「さん」でも「ちゃん」でもなく「殿」。「姫」ほどではないが、やはりこの世界にそぐわない。そのことに気がついたのか、幸村はもう一度口を開く。そして、七緒の瞳を見つめてしっかりと。
「七緒」
いざその名を呼んでもらうとなぜか恥ずかしい。五月や大和に当たり前のように呼んでもらった名前。それが愛しい人に呼んでもらうだけで変わるのはどうしてだろう。
幸村の方もやはり同じだったらしい。顔を真っ赤にし、視線をそむけている。
「恥ずかしいですね」
「そうですね」
「やはり当面の間は今まで通り『姫』と呼ばせていただきたいと思います」
まだ互いに知らないこと、慣れていないことも多い。
急がなくていい。焦らなくてもいい。
そう七緒は自分に言い聞かせた。
幸村が持ってきたお茶は熱さはなくなったものの、まだまだ飲める温度であった。
座るところがないため、ふたりはベッドに腰かける。
そして、ふたりはここにいない仲間のことを口にする。
「大和があっちの世界に残るのが意外だったな」
「そうですね。私と『とれーど』でしたっけ。そのようにおっしゃっていましたね」
龍穴が開き、飛び込もうとしたところ、大和は拒んだ。「俺はこっちの世界に残るから」とあっさりとした様子で話したため、七緒も五月も説得することは諦めた。
でも、もともと最初に異世界に行くことになったときも抵抗を見せなかったし、こちらの世界に戻ってきてもそんなに嬉しそうな様子は見せなかった。だから、今思えば納得の結果なのかもしれない。
そう、大和は自分の住むべき世界を見つけた。だから、私たちも今の幸せを大切にしよう。改めて七緒は幸村の方に向き合う。
「幸村さん…… 本当に一緒に過ごすことができるんですね」
「ええ」
異世界でともに過ごしていたときに感じていた「幸村さんと離れたくない」という気持ち。
もともとあっちの世界に生まれたということもあり、異世界に残ることも考えた。
しかし、幸村が言ってきたのだ。「乱世に慣れすぎても困るから、令和に戻りましょう」と。
しばらく戦いの中に身を置くことに慣れていたため、怨霊が現れず、また争い事が起きない生活に慣れるまでには時間が掛かるかもしれないが、もともとはこういう生活だったため、じきに慣れるはず。
しかし、肩に力が入っていたのは幸村にはお見通しだったらしい。
「安心してください。ここでは姫を傷つけるものはおりませんから」
そう言って幸村は七緒の身体をそっと抱き締める。
すると、七緒はTシャツの下にある幸村の鍛え抜かれた身体を意識して頬が赤くなる。今までは鎧に覆われていた体躯。しかし、その下にあるのは堅い胸板であり、改めて幸村が男性であることを意識する。
そして、目が合うと、その次に起こることを意識してしまう。
脳裏によぎるのは諏訪湖での会話。「すべてが終わったら」という。
すべてが終わり、自分たちの気持ちに向き合ってもいいときがきた。
七緒がそう感じたことは幸村にも伝わったらしい。
そっと重なり合うくちびる。
互いのエネルギーが分け与えられる、そんな感覚。いつまでも堪能したい一方、ここがベッドの上ということもあり次のことを意識してしまう。そう、幸村と「そういうこと」をすることについて。
七緒も既に17歳であるため、女友達と「そういう話」をしないわけではない。
だけど、やっぱりどこかこわい気持ちもある。
その気持ちが伝わったのだろうか、幸村がくちびるを離した。ほんの少し瞳に影を落としたかと思いきや、次の瞬間にはいつもの笑顔を見せてきた。
「姫、大丈夫です」
その言葉はいつも通り温かいものだった。
「あなたの気持ちが固まるまで、私は待ちます」
そして、幸村は七緒の部屋から出ていく。
きっとそれは本心。
彼は優しく意志も強い。だから、その言葉を違えることはない。
だからこそ、その言葉がありがたい一方で七緒は申し訳なく思う。
あとに残されたのは呆然としている七緒だけ。
「そんなこと言われても……」
これから、同じ屋根の下で暮らすのに、意識しない方が無理だよ、幸村さん。
先ほどまで重なり合っていたくちびるを指で触れながらそう思う。
令和の世での七緒と幸村の物語は始まったばかり。