届かない想い　side：玲「うん、これでよし」

２月１３日。明日はバレンタインデー。
玲は冷蔵庫の中からデパートの特設売り場で買ったチョコレートを取り出す。

手作りも考えたが、最近はアレルギーや衛生上の理由で手作りに対する拒絶反応を示すものがいるとも聞く。
それに必ずしも労力が味や形に反映されるとは限らない。
だったら、メーカーの企業努力をお金という対価で得るのも悪くないような気がする。
そこで玲は手作りする時間をデパートでチョコを選ぶ時間に当てることにし、ひとりひとりをイメージしてチョコレートを選んだ。
同じ世代の女性で溢れかえっている売り場は想いを届けたい熱気、普段の感謝を伝えたい優しさ、そして義務感、これらの感情が入り乱れているのが玲にも伝わってきた。

テーブルの上にあるのは五つ。
普段お世話になっている捜査企画課のメンバーに渡すもの。
シンプルだけど、だからこそ味覚を楽しめるもの。
口の中で溶けるとお酒が広がるもの。
甘さを極力抑えたビターなもの。
そして、ちょっとふざけたデザインのもの。

自分とは違う世界に生きる人ばかりのため、何を渡したらいいのか正直迷った部分もある。彼らの舌に馴染む店は他にもありそうな気がしたが、そういう店を探しだし背伸びして買ったところで見破られ、来月のホワイトデーには気を遣わせる展開になりそうな気がした。
それくらいなら普段立ち寄っているデパートで彼らひとりひとりの顔を思い浮かべながら選んだ方がいいだろう。
そう思い、仕事の帰りや休日を利用してチョコレートを買った。

そして、捜査企画課の人たちに渡すために、冷蔵庫からチョコレートを取り出す。

「喜んでくれるといいな……」

きっと甘いものが苦手な男性もいるだろう。
それに、ひとりひとりモテる。だから、自分がチョコレートを渡すことで内心げんなりさせるかもしれない。
だけど、渡すことに意味がある。
玲はそう信じることにした。

そして、その中に特別な包み紙がひとつ。

「関さん、受け取ってくれるかな……」

玲が密かに恋心を抱く相手。
自分をマトリにスカウトし、そして今では大切な隣人。
時折、心の距離は近づいたかのように感じるが、一方で突き放されたような感覚にも陥る。
チョコレートひとつで自分の恋に進展があることは望まないし、望むこと自体、大それたことだと思う。
だけど、せめてもの日頃お世話になっている気持ちは伝えたい。
そんなこともあり、関に渡す品は他のものよりはほんの少し値が張っている。
仮に本人を含めて誰かに察せられたとしても、「課長だから」と言い訳できる。
そして、すんなりと納得してくれそうな気もする。
自分の恋心を悟られないのは悔しくもあったが、こういうときは安心もできる。
唯一気になるのは関の反応だったが、これはなるようになるしかない。
もし自分の気持ちに気がつかなければ、今まで通りでいられる。
そして、想いを見破られたらそのときはそのときだろう。
そう思いながら、玲は眠りにつくことにした。


バレンタインデー当日。
関は朝から外出しており、ホワイトボードには夕方の戻りと書いてある。
そのため、青山をはじめとする課のものに先に渡すことにした。

「なるほど、原材料にこれを使っているのか」
「ありがとうございます。ホワイトデーにお返しをさせてくださいね」
「俺はチョコレートより唾液が欲しいが、泉からのプレゼントだからありがたく受け取ろう」
「これで５個目。でも、おやつに食べるから大丈夫」

予想通りの反応を示す捜査企画課のメンバーの対応にほっと胸を撫で下ろす。
ここで拒絶やからかいが発生したら、関に渡す前に心が折れてしまい、関に渡すどころでなくなる。

そして、夕方。
関にチョコレートを渡す時間は刻々と近づいている。
関の机には決裁を待つ書類とともにチョコレートの山が築かれていた。
ちょっと目を離した隙にあちこちの部署から持ち込まれていたらしい。
しまいには机の上に収まりきらなくなり、専用の段ボール箱まで用意される始末だった。

それを見て玲は心穏やかでいられないものの、自分に言い聞かせていた。
「日頃の感謝を伝えればいいのだから」と。

しかし、日が傾くにつれて心臓がバクバク言うのを感じる。
そこで、緊張をほぐそうとチョコレート片手に廊下を歩いていたそのとき、上司であり想い人が廊下の向こう側から歩いてくるのが見えた。
予想外の登場で玲は驚きつつも、会いたい人に会えた喜びで胸が弾むのを感じる。
そこで、関に話しかけようとした。

しかし。

「関さ……」

最後まで名前を呼べなかったのは、先客がいたから。

「確かあれは……」

玲の目の前に現れ、関に話しかけているのは捜査二課の女性。
前に合同捜査で関と組んでいた記憶がある。
玲とは違い、しかるべき時期にきちんと公務員試験を受験し、そして合格したもの。
仕事でも逮捕などにおいては着実に成果をあげており、新人の域を抜けきらない玲には眩しい存在であった。
そして、仕事で成果を出しているだけでなく、キリッとした瞳と凛とした雰囲気は玲は一生掛けても持てないものだった。

彼女が関に向けているのは明らかな好意。
関はいつも通り儀礼的な笑みを浮かべているが、決して拒絶ではないことは伝わってきた。

「何、思い上がっていたのだろう」

思わずそんな言葉が出てしまう。
関の席に積まれているたくさんの想いが詰まったチョコレート。そして、今、目の前に現れた女性。
自分よりも素敵な女性が関に好意を寄せているのに、それでも関は独身で居続けようとしている。
そこに自分が好意を寄せたところで受け入れることはないだろう。
それどころか、職場での雰囲気を乱すことになりかねない。

玲は手元にチョコレートが残っていることに気がつく。
自分も本当はこの包みを渡したかった。
彼女ほど好意をちらつかせることはなく、さりげなく自然に、あくまでも部下が上司への感謝を込めて。
だけど、今の自分には「さりげなく」渡すのは難しいだろう。

少し前に関と距離が近づいたと感じたけど、おそらくそれは自分の思い込み。そして幻想。

「いいや、これは渡さなくても」

そう呟いて玲は自席に戻る。
そして、机の引き出しの中にチョコレートをしまう。

せめて、自分がもう少しだけ関に近づけたと感じるときまで、この想いは封印しよう。
女性としても、もちろんマトリとしても、今はまだ未熟だから。
そう思い、泣きそうになっている気持ちを封じ、キリッとした表情で机に向かう。

そんな玲の様子を見つめるものがいたけど、それはまた別の話。