淡い交わり 大切な人が消えてしまう恐怖に怯えている。
何度目かわからない恐怖と安堵を感じながらノアは細い腕に包帯を巻く。その様子をミオはただただじっと見つめていた。
絶えず襲いかかるメビウスに囚われた兵士達、縄張りを荒らされたと憤るモンスター、手段を選ばないシティーの強硬派。ノア達の道を立ち塞がる者は後を立たない。その度にノアは恐怖に駆られていた。十年という寿命に縛られない奇跡を得た目の前の彼女が呆気なく倒れてしまう悪夢がどうにも頭に貼り付いて剥がれないのだ。
今夜の見張り番はノアとミオの二人だ。焚き火を囲うように座り、肩が打つかるか打つからないか微妙な距離を保っている。どちらかが言い出したわけではないが自然とそういう形に収まった。
炎の光に照らされた彼女の横顔は柔らかな橙色に染まり、透き通るような瞳にはゆらめく焔が写る。ふと視線を落とせば彼女の細腕に巻かれていた包帯が汚れていた。そこは日中戦闘になったアグヌス兵に斬られた箇所だった。擦り傷でも怖いからとユーニが丁寧に治療をしていたが、ディフェンダーであるミオは頓着がないのか偶にこうやっておざなりになる。——仕方ない。ノアは彼女の腕をそっと掴んだ。
「ミオ、包帯汚れてる」
「え? あ、本当だ……」
ユーニに怒られちゃうね、とミオは苦笑する。そのまま片手で巻き直そうと結び目をいじるが利き手ではないのか上手くいかない。
「貸して、俺が変える」
黙って様子を見ていたノアはミオの腕を掴み自身の胸の前に持ってくると、丁寧に結び目を解き始めた。
「あ、ありがとう」
しゅるしゅると簡単に解かれ裂傷が露わになる。血は既に止まっているものの、白い腕に引かれた赤い線は違和感を覚えるほどに目立つ。ディフェンダーに傷は付きものだよ。とミオは笑って済ますが大切でずっと側にいてほしいと願う人が傷つくのは許せない。つい眉間に皺が寄ってしまうなとノアは小さな溜め息を吐いた。
自分達はずっと戦っていた。ウロボロスになってもそれは変わらず、十年という短い寿命を戦いで消費している。
メビウスという存在がいる限りこのアイオニオンに自由はない。その為に自分達は戦っている。その中でノアは一度ミオを失った。結果としてミオは消えず代わりにエムが消える事となったが、入れ替わっていたとはいえあの時に見た彼女の姿はミオだった。
エムは自分に全てを託して消えた。そうミオは語る。寿命を乗り越えメビウスの力を得たミオが消える事はもう無いのだろう。それでもノアは不安を隠せないでいた。
真新しい包帯を取り出しノアはミオの腕に巻いていく。赤い裂傷が白い布で隠される。
「痛っ」
「え、あ……ごめん。強かったよな」
彼女の傷付いた肌を見たくなくてつい力を込めて縛っていたらしい。ノアは少し緩めて結び直した。
「これでいいかな?」
「ありがとう……ノア?」
ノアはミオの腕を掴んだまま結び目をずっと見つめていた。
「いや、できる事ならミオには傷つかないでほしいなと思って」
「ノア……」
ノアは結び目に視線を落としたまま続けた。
「ミオを失いたくない。できる事なら戦わないでどこかに閉じ込めてしまいたい。誰かに傷付くくらいなら俺が傷つけたい……そんな勝手な事を考えてしまったんだ」
震える声音は静かな夜に一滴の水を落としたかのように波紋を広げる。仄暗い欲望を僅かに宿した青い瞳は妖しく光りミオを見つめた。
「ミオを縛り付けたいわけじゃないんだ。でも傷付く姿を見たくない、ミオにはずっと俺の隣で笑っていてほしい。——君が消えたら俺は……」
そこまで言うとノアは顔を歪め額を押さえた。
「……これじゃあ奴と同じだ」
絞り出すように溢れ出た声音は二人の間に横たわる静寂に落ちた。
地面の白い砂をノアは握りしめる。指の隙間からさらさらと砂粒が逃げ出し手の中には僅かな量しか残らない。まるで手を伸ばしても届かない何かのように。
凍えるように震える拳を温めるようにそっと何かが乗せられる。その柔らかで包み込むような温もりにノアはハッとして弾かれるように顔を上げた。その視線の先には彼女の薄い手が自分の手の上に重ねられていた。
「そんな事ないよ」
ミオはノアの手に指を絡めた。
「確かに彼もノアかもしれない。でも私の目の前にいるノアは今の私をちゃんと見て、その上で怖いと伝えてくれてる」
「でも……」
そう言って口籠もるノアを見てミオはくすりと笑みを浮かべた。
「私ね、ノアのダメなところも嫌なところもカッコ悪いところも見たいの」
「ミオ……」
「私にはエムの記憶がある。そこには沢山の、本当に沢山の思い出があってね。色んなエヌがいたの。カッコいいエヌはもちろん、エムに怒られてしょんぼりしているエヌもいたんだよ。その時エムはすごく怒っていたんだけど、エヌの顔を見て結局許してしまって。なんだか不思議で面白いなって。あとね、すごく羨ましいなって思ったの」
「羨ましい?」
ミオの言葉にノアは首を傾げた。
「うん。人間って色んな感情があるでしょ? お互いのそういうのを全部知っているのってすごく仲が良くないとできないんじゃないかなって」
もちろん、毎日喧嘩は嫌だけどね、とミオは苦笑した。
「全部を曝け出す必要はないけど、それをできる相手がいるってとても幸せな事なんじゃないかなって思ったんだ」
だからね、とミオは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「私もノアとそういう関係になれたらなって思うの」
「ミオ……」
焚き火の光を孕んだ包み込むように優しい瞳がノアに注がれた。
その温もりにノアの中で肥大化していた恐怖心が、氷が溶けるように和らいでいく。ミオの想いが自分の中にある暗雲を晴らしていく様にノアは噛み締めるように瞳を閉じた。
閉ざされた視界の中にある確かな命の温もりを感じながらノアはそれを離さまいと指を絡めた。
「俺も、そう思うよ」
絡めた指に力を入れてノアはミオを見つめた。
重なった手は焚き火の色を写して橙色に染まる。交わる指先は熱を持ち、それが火の温度なのか自分達の体温なのかわからない。だが不思議と心地よく、何ごとにも変え難い、尊いもののように思えた。