ミントタブレット カーター・ホールは苛立っていた。
会議室の大きなスクリーンの向こうには、無愛想な顔の官僚が映し出されている。1時間前からずっと同じ顔の男。たまに秘書らしい女性が資料を差し出してくるのを別にすれば、男は淡々とした様子で堅い言葉を並べ立てている。抑揚の乏しい口調。事務的で目の前の資料を読み上げているだけのように思える。
これは到底話し合いとは言えないな。ケントは会議室の椅子の中に身を沈めながら思った。会合の前面に立ち、男と話しているカーターの苛立ち様と言ったら。極力冷静に、口調は静かに荒らげず、できるだけ感情的にならず、そう努めているようだったが、普段ならば必殺の戦鎚を振るう肩が小刻みに震え、テーブルを叩く指先が、木製の表面を傷つける。次は特注で作らせた高画質のスクリーンを殴って破壊するのではないかとさえ思えた。カーターはよく耐えている。ケント自身よりもずっと。彼は、上着の内ポケットからタブレットケースを取り出して、中のミントタブレットを一粒指先でつまむと、口の中へと運んだ。
「部隊の到着が遅れたのは我々のせいではない。むしろ、そちらの遅れを補ったのは我々の方だろう」
先の出撃において、政府側の大規模な部隊の初動が遅れたことにより、被害が拡大しているというカーターの主張に対して、先方は“先走ったメタヒューマンたちによる無茶な作戦行動”だと主張しているのだ。軍部に任せておけばいいことを、余計なことをしただけの武力集団だと。
「我々は最善を尽くしている」
カーターの拳がぎゅっと握られ、官僚の冷徹な口元がわずかに歪む。話し合いにもならない意見の食い違いは、どこまで言っても平行線のままだ。もう何十分も、同じ内容を言葉を変え態度を変え、繰り返し主張しあっているというわけだ。
ケントは、口の中のタブレットを奥歯で噛み潰した。カリッと乾いた音が、ふいに途切れた会合の沈黙を割る。
「おっと、失礼」
余計なことをするな、と言わんばかりに振り返り見たカーターに言う。彼にはどんなふうに写ったか。呑気にそこに座って、実りのない会話を聞いているだけの傍観者に見えただろうか。
贔屓目に見ても、カーターの主張は正しい。複雑怪奇な命令系統と判断の遅さを棚に上げて、常に最前線で戦い傷ついた者を侮辱するとは、失礼極まりない。それをただ淡々と主張だけを繰り返す政府側の官僚とどんな話し合いをしたところで、なんの得にもならないだろう。時間の無駄だ。
ぎりと奥歯の奥でタブレットがすり潰される。白い欠片はばらばらと歯列の間に入り込み、舌の上で跳ねて唾液と一緒に飲み込まれていく。ケントは、次のタブレットを取り出した。
「今回は、犠牲者がでなかったからよかったものの」
次は前歯でガリリッと派手な音が鳴る。今度は画面の向こうの男が、暗い部屋の片隅に座っているケントを見た。不快そうに。いいぞ、いい兆候だ。彼は笑いながら、小さく手を降った。派手にタブレットを噛み潰して悪かったと。
口の中に爽やかなミントの味が広がる。染み出してくる唾液の中で、多少は苛立ちを緩和してくれているが、さて、あの男を、カーターはどうだろうか。
「なにかの不測があれば、あんたらは我々を責め立てるんだろう」
3つ目のタブレットを取り出した時、カーターはちらりとケントを見た。いい加減にしろと言いたげな目。さて、どうするかな。もうこんな会話をきいているのにはうんざりだったし、そろそろ目の前で苛立ち疲れている男を、無駄な時間から開放してやりたかった。戦いから戻ったばかりで、まだ身体も癒えきらないというのに、小言ばかりの奴らを相手に耐えるのは精神的に堪えるだろう。
白いタブレットを指先で弄び、わざとらしく舌を出した。タブレットを少しだけ舐めてから口の中に入れる。ゆっくりと一舐めして、奥歯へと運んでいく。その堅い表面に歯が食い込み、ひび割れて、音を立てる瞬間。
「ケント!」
目ざとく視線を送ってきたカーターが鋭くケントの名を呼んだ。
鋭く、苛立ちを爆発させた語気。今まで、気に食わないながらも、どうにか感情を抑えて平静さを保っていたJSAのリーダーが、唐突に怒りに満ちた声を上げたことに、画面の向こうの官僚は驚いた様子で、目を見開いた。まるで、彼の方に怒りを向けられているとでも勘違いしたようだった。
「おっと、これは失礼。大事な話の最中だったね」
名を呼ばれたケントの方は、あっけらかんとした様子で両手を上げた。悪かった、と彼は言う。悪びれもなく、場をぶち壊したことにも関係ないというように、ふふっと笑う笑顔に、カーターは画面に背を向けたままため息をついた。