想いを一枝(ひとえだ) 街並みが柔らかな朱色に染まり始める、黄昏時のことだった。
いつもは使わない小さな通りで、ふと意識に引っかかったものがあって足を止めた。
万屋街には珍しい、西洋風の趣のある煉瓦造りのこじんまりとした雑貨店。夕陽の差し込む陳列窓の片隅に目をやって、そこにあったものから目が離せなくなる。
夕空が色濃く変わるまでその場に立ち尽くし、それからようやく木製の扉に手をかけた。そっと力を籠めると、ドアベルがからりと丸い音を立てる。
やはり黄昏色に満ちた店内にそっと足を踏み入れると、カウンターにいた人影が顔を上げ、こちらを向いて穏やかに微笑んだ。
* * *
「いらっしゃい」
書を閉じた朝尊がカウンター越しにお決まりの一言をかけると、入ってきた客――山姥切長義は微かに驚いたように目を開いたが、すぐに余裕を取り戻した顔で微笑んだ。
「少し見させてもらってもいいかな」
「もちろんだよ」
朝尊が笑みを深めて頷くと、長義はゆるりと周囲を見回しながら数歩中へ踏み込んでくる。大きな陳列窓から差し込む西日が、空中の埃をきらめかせながらなめらかな銀糸の上を滑っていった。
黄昏色の店内には、雑貨屋と称するのに相応しく、多種多様な品物が所狭しと並べられている。食器に花瓶、様々な置物、鏡や装飾品、絵画や家具まで。真新しい量産品らしきものもあれば、骨董品に近そうなものもあり、その物量が通路を圧迫している。無闇に奥へ進むのを断念したらしい長義は、一通り店内を見渡してから、朝尊に視線を戻して僅かに首を傾げた。
「あなたの店なのか?」
「いや、僕は臨時雇いだよ。本来の店主は主の友人でね。諸事情でひと月ほど留守にするのでその間誰かに店番を頼めないか、と主に依頼があったものだから」
素直に閉めておけばよさそうなものではあるのだが、それなりの期間全く無人になるのも不用心、しかし単に留守番をさせるくらいなら開けてしまった方が、というのはある程度合理的に感じられる話ではあった。友人の部下という程度の関係性で留守の店を任せるほど信頼されているのは、人間ではないから、という点が恐らく大きいのだろう。
「なるほどね……刀剣男士を何だと思っているのかな、と言いたいところだけれど」
「僕は練度上限で出陣もご無沙汰だからね。本丸にいてもここにいても、大して変わりはないよ。条件も悪くなかったしね」
事情を聞いた長義は一度不機嫌そうに片眉を上げたが、朝尊が鷹揚にそう言うと、カウンターの隅にちらりと目をやって表情を緩めた。その動きを追うまでもなく、会計用の端末の傍らには朝尊が持ち込んだ書物が積み上げられている。
「ああ、客がいない時は読書していられるというわけかな」
「まぁ、そうだね」
それだけではないけれど、と朝尊は思ったが言わずにおく。客との雑談で話すようなことでもないだろう。
長義の方も余所の事情にそこまで口を出すものでもないと思ったか、それ以上追及してくることはなかった。話が途切れるのと共に逸れた視線が、ついと陳列窓の方へ向かう。
「気に入った品があったかね?」
「えっ、いや……」
何気なく掛けた声に、長義は弾かれたように振り向き、それから何やら苦渋の選択をするかのような表情を浮かべて眉を寄せ、たっぷりの間の後で静かに息をついて再び陳列窓を見遣った。
「……あの置物は、三つ一組なのかな」
示された先には、人間のように座って釣りをしている熊の置物が並んでいる。大中小、と少しずつ大きさの違う三体だ。
「あの熊かね? そうだよ」
「そうか……では、あれをもらおう」
「承知したよ。贈り物かね?」
これもまた定型句として尋ねたのだが、長義は再び苦々しげな顔に戻ってしばし沈黙した。何かおかしなことを言っただろうか、と朝尊が首を傾げかけたところで、半ば独り言のような声が漏れ聞こえる。
「……まぁ、あいつも、最近頑張っているようだから」
並んだ熊を見つめたままの横顔につられるように、朝尊ももう一度その三体を眺めてみた。少しずつ大きさの違うそれ。長義の言葉と合わせて連想されたのは、彼と縁のある刀を含む、現在三振りで兄弟として顕現している――
「なるほど」
つい呟いてしまうと、察されたことに気付いたらしい長義は小さく咳払いをする。朝尊が棚から新品の在庫を取り出し、不慣れな包装を始めたところで、またぽつりと言葉が零れてきた。
「……物が物に物を贈るとは、おかしな話だ」
手を止めて顔を上げたが、長義の視線は朝尊の手元の箱に落とされている。いつも通りに見える静かな口元に、僅かに自嘲の色が窺えた。
同意しそうだと思われているのだろうな、と思う。あるいは寧ろ、朝尊にそう思われそうだと思ったからこそ口にしたのかもしれない。自分が客観的にそう見えるということは、朝尊自身にも理解できるが。
「確かに、奇妙なことだとは思うがね」
そこで一度言葉を切って、注意を手元の包装に戻す。店を預かるに当たって手ほどきは受けたが、片手間にできるほど身に着いてはいない。角の部分を注意して折ってから、ゆっくりと先を続けた。
「今の僕たちは、物でありながらも物を使う身体があり、物に込める心がある。贈られる物の身にすれば、それで十分なのではないかね。少なくとも僕には、これを贈られた彼の喜ぶ顔が目に見えるようだよ」
包装紙にたるみやゆがみがないことを確認し、リボンはテープで済まさせてもらって、出来上がった品をそっと持ち上げる。
微かに眉尻を下げ、どこか照れくさそうに微笑んだ長義に、朝尊はどこかで安堵している自分を自覚した。