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    水瀬しあ(Mizuse_X)

    @Mizuse_X

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    こういうのが載ってる本を裏メニューで置いたら引き取ってもらえますかね?の2つ目。長めのファンタジー。

    鎖されし花の帰還(前半)1.

     長い長い眠りから覚めるような、浮き上がる感覚の中をたゆたっている。
     いつ眠りに落ちたのかもわからずに。

     遠い遠い幻想の跡のような、ぼやけた感傷の中をさまよっている。
     想いの理由もわからずに。

     くすんだ鏡の向こうから、儚い願いの残響が記憶を揺らす。
     曖昧な夢がわだかまるこの場所は、ひどく冷たくて。
     どこへ行けばこの凍りつく感情から逃れられるのかと、夢うつつに考えた。

     ***   ***

     寝ぼけ眼の春の中で、北の森は消え残った冬色に未だ覆われていた。
     名残の雪を踏みしめて行く男の肩に、幻の雪が降り注ぐ。淡く輝く魔力の結晶は、ただ見た者の記憶にだけその姿を焼き付けて、積もることもなく解けていく。
     森の民の領域に特有の夢のような光景を抜ければ、凍った木々に抱かれた窪地で、白い遺跡がまどろんでいた。
    「ふぅ。やっと着いた」
     木々の切れ間で足を止めて呟いた彼は、まだ青年と呼ぶことが許されるくらいの年齢だろうか。低く落ち着いた声に加え、無造作に伸びた黒茶の髪や顎の辺りの無精髭が年齢を上に見せているが、前髪に半ば隠れた鳶色の瞳は澄んだ若さを湛えていた。身に纏う外套や右肩に掛けた大きめの鞄は長く使い込まれた色で、旅慣れた風情を感じさせる。
     彼は傍らに立つ大樹の幹に片手をついて、視線よりもやや低くに位置する白亜を見下ろした。
     彼の事前知識によればそれは神殿であるはずだったが、様々な植物に侵食された影は、そこから見る限り祠と呼んだ方が正しいように思えた。入口は人ひとりが通れるだけの大きさでしかなく、他は年月にくすんだ白が続くばかりで、窓の一つも存在しない。
     どこか、閉じた空気を纏う遺跡だった。
     それでも、ところどころに彫られたレリーフは遠目にも素晴らしく、この建物が十分に重要な存在であったことを窺わせる。やや距離があるためはっきりとは確認できないが、神話の内容を象ったもののようで、遠景の調和もまた美しい。
     森の民の優れた技術が存分に発揮されているようだ、と感心して眺めていると、肩に掛けた鞄がもそりと動いて、枯草色の毛並みの小さな動物が顔を出した。
    「起きてたのか、ルド」
    「さっき。日が暮れる前に着いてよかったね」
     舞い落ちる幻雪を見上げながら甲高い声で応え、鞄から完全に抜け出して彼の肩に登る。長めの毛と垂れた耳を持つその姿は犬によく似ているが、大きさは大人の手のひらほどしかない。そもそも人の言葉を話している時点で普通の犬とは言えないそれは、肩の上から少し身を乗り出すようにして、同じように眼下の遺跡を見下ろした。
    「で、ここはどういうところ?」
    「それを訊くって事は、女史の話を聞いてなかったんだね?」
    「寝てた」
    「そうかい」
     全く悪びれない答えに淡白な対応を返して、アドルは記憶を辿るように視線を上げた。
    「まぁ、私もよくはわかってないけど」
     そう前置きして、ここへ来る前に仕入れた知識を話し出す。
     眼下の白い建物は、大陸の北半分を覆うこの森に暮らす『森の民』と呼ばれる民族が残した神殿である。
     今ではその数を大幅に減らした森の民は、南で現在繁栄を誇る『青の民』とは似て非なる文化や伝承を守ってきたとされる。しかしその文明については文献も少なく、アドルたち青の民にとっては不明な部分も多い。この神殿もその一つであり、その現地調査をして来てほしい、というのが根無し草の彼に対する『女史』の依頼だった。
    「でも調査っていっても、女史は大体の予想はつけてるみたいなんだけどね。古文書を色々解読したりとか、まぁ、多分そんな感じで。で、それによると、ここでは『読守』っていうのが何かを祀ってたらしいんだけど……」
    「アドル」
     のんびりした説明を、ルドが彼の名を呼ぶことで遮る。その声は、心なしか真剣味を増していた。
    「何だい。せっかく説明してたのに」
    「なんか、妙な気配がしない? あの遺跡の方から」
     僅かな不満を込めてルドを見下ろしたアドルだったが、その言葉に再び視線を神殿に戻す。白い祠は変わらない静けさを保っていたが、先入観を持って見るせいか、その静けさがどこか不気味さを孕んでいるようにも感じられた。
    「私はルドほど鋭くないんだけど。はぐれ魔かい?」
     負の残留思念であるはぐれ魔は、通常の青の民の生活でお目にかかることはまずない存在である。しかし、ここは森の民の領域だ。幻雪が降るほどの魔力濃度の中では、拡散せずに形を持つ思念がいくらいてもおかしくない。
     他人事のような調子のアドルの質問に、ルドは人間のようにやや目を細めながら、ひくりと鼻を動かした。
    「っぽいのと、違う気配もあるね。そっちは人、だと思うけど……よくわかんない。気配が近いってことは、追われてるのかも」
    「そいつは大変だ」
     やはりちっとも大変ではなさそうな口調で呟いて、アドルはルドを肩に乗せたまま、目の前の斜面を一気に滑り降りる。滑りながら取りだした、腕の半分ほどの長さの杖を左手に構えると、入口脇のレリーフに背を寄せてそっと中を窺った。
     外観と同じ白に支配された内部はひどくがらんとして、ただ中央に地下へ向かう階段があるだけだった。祠程度の地上部分しかない神殿の主要範囲は、どうやら地下に広がっているらしい。
     一歩足を踏み入れたところで、中央の階段を一人の少女が駆け上がってくるのが見えた。
     長い金髪と白い裾をなびかせて階段を上りきった彼女がバランスを崩して転びかけたのを、アドルは右手を伸ばして抱きとめる。その腕の中に収まった小柄な少女は、翠緑の瞳で一度驚いたように彼を見上げたが、すぐに緊張した表情で背後を振り返った。
     彼女の視線を追って階段の奥の暗がりを見遣れば、闇そのものが蠢いているような錯覚を伴って、人とも獣ともつかぬ影がじわりと迫ってくる。
     輪郭がはっきりしない以上、さして強い思念ではないようだが、それでも対処方法を知らない人間を怯えさせるには十分だ。もはや逃げ出すこともできずに立ち尽くす少女の手に、彼は安心させるようにそっと触れる。
     次の瞬間、影は強く地を蹴って、彼らとの距離を一気に詰めた。びくりと身を竦ませた少女が、アドルにしがみつくように顔を背ける。
    「はい、お疲れ様」
     緊張感のない台詞と共に、アドルは右手で少女を抱いたまま、左手に持った杖を一気に横へ振り抜いた。律式紋様を刻んだそれに触れた黒い影は、ひどく重いもので打たれたようにひしゃげて吹き飛び、壁に当たる直前であっけなく霧散する。
    「大丈夫かい、お嬢さん」
     竦んだままの少女の腕を軽く叩いて声をかけると、彼女は我に返ったように顔を上げ、辺りを見回して、それからようやく自分が見知らぬ男にしがみついていることに気付いたらしく、やや頬を染めて彼から離れた。
    「……大丈夫。ありがとう」
    「なんでこんなところにいるの?」
     アドルの肩の上からじっと少女を見ていたルドが、状況が落ち着いたと見たのか口を挟む。突然降ってきた、アドルとは正反対な高い声の主を探した少女は、最後に犬に似た小さな生物に目を留めて、わかりやすく目を丸くした。
    「えっ? 今……喋った!?」
    「そりゃあ喋るさ」
    「普通犬は喋らないわよ!?」
     当たり前のように返したアドルに、少女はルドを指さして言い返す。
    「犬っていうか……君、『人形』を見るのは初めてか」
    「人形くらい知ってるわ。でもこれは人の形してないし、そもそも人形だって喋らないでしょ!?」
    「いや、その人形じゃなくて……」
     噛み合わない会話に何だか面倒になって、アドルは途中で言葉を切った。
     『人形』は、主と設定された者の魔力を源に動く、青の民の研究から生まれた生物である。ルドはその研究初期の一体で、凍結状態だったのを偶然目覚めさせてしまって以来、彼の相棒と言ってもいい存在になっていた。
     そもそも『人形』は創るのも使うのも大抵が貴族階級だから、少女が知らなくても不思議はない。ただ、その特殊な存在をうまく説明する言葉が見つからなかったので、アドルは話を進めることにする。
    「とにかく、こんなところにいないで帰った方がいい。一人で帰れるかい?」
     階段下の様子をここから窺い知ることはできないが、この場所がはぐれ魔を生みやすい条件を揃えていることは事実だ。実際に一体に遭遇している以上、対抗手段を持たない少女がいるには危険すぎる場所だった。
     そんな配慮からごく自然に発した言葉に、しかし少女は勢いを失って俯いた。
    「……わたしは……帰れないもの」
    「帰れない? どうして」
    「それは、わからないけど……でも、帰れないことはわかってるの。帰り道だって、わからないし」
     いまひとつ理解に苦しむ発言に、アドルは微かに首を傾げる。
     ただの迷子、とは違うのだろうが。
     家出の類にしては、何故帰れないかわからない、というのが奇妙だ。それに何より、帰れない、と口にした彼女の表情はひどく寂しげだった。
     帰りたいけれど帰れない。
     そう解釈するのが妥当なのだろう。しかし、と彼は少女の姿を改めて観察する。
     彼と違ってよく手入れされた、艶のある真っ直ぐな金髪。透き通るような肌。贅沢に布を使った真っ白な貫頭衣に、それを腰の辺りで纏める帯も手の込んだ織物だ。飾り気には乏しいが品のあるその身なりからして、それなりの身分で大切にされている人間であろうことはまず間違いない。
     そんな少女が、帰りたくても帰れない事情とは何だろう。
     無意識に髭を撫でながら次の言葉に迷っている間に、少女は俯いた顔を上げて、ひどく真剣な声で言った。
    「ね、あなたと一緒に行かせて」
    「……私は、これから中に入るつもりだけど」
    「それなら、ついて行くから。お願い」
     黒い影に追われたばかりであることを、忘れたわけではないはずだ。アドルにしても出会ったばかりで、互いに信頼できるほど言葉を交わしたわけでもない。
     それでもついてくると言う、その瞳は追われていた時以上に追いつめられたような色を宿していて。その眼差しだけでも、アドルに決断させるには十分だった。
    「じゃあ、行こうか」
     軽く頷いて、下り階段へ歩き出す。あまりにあっさりとした承諾に驚く気配が一瞬。少しの間があって、少女が小走りに追ってくるのが見える。視界の隅に捉えたその笑顔は、ひどくほっとしているようでもあった。
    「面倒なことになるよ、アドル」
    「まぁいいさ」
     肩の上のルドが耳元に顔を寄せて囁いたが、アドルは前を向いたまま簡単に返した。
     後のことは後で考える。
     その性格のせいで厄介な目に遭ったことがないとは言えないが、ここで彼女を放り出すのはあまりに薄情だ、と感じてしまうのだから仕方ない。しばし旅の連れが増えるのも悪くないだろう。
     階段の一段目に立ったところで、彼はふと思いついて振り返る。
    「そうだ。君、名前は?」
    「……エリカ。わたしは、エリカよ」
     それは、短い旅の始まりを告げる問い。
     戸惑いに似た間を含んでそれに答えたエリカはふわりと微笑い、肩の上のルドは諦めたように溜息をついた。




    2.

     あるべきと定められた場所で、巫女はありたかった場所の夢を見ていた。

     彼女が巫女でなかった最後の日。
     晴れ渡った空の下ですべてが輝いていたような、いつかの幻影。
     旅立つ彼女を父の優しい腕が抱きしめて、母の柔らかな声が言う。
     世界への愛だけを、神に捧ぐべき巫女に。
    「忘れないで。誰よりも最初に、わたしたちがあなたを愛している」
     彼女の頬に口付けて、春の陽だまりの中で彼らは笑った。
    「大丈夫。生きている限り、絶望することなんてひとつもないのよ」
     真っ直ぐに彼女に向けられる、慈しみに満ちた笑顔。
     それを永遠にしたくて、彼女はその夢を夢にした。

     瞼を開いた記憶には、ただ愛しさと哀しさを携えて。

     ***   ***

     ――懐かしい匂いがする。
     廊下の壁面に描かれた細密画を見上げながら、エリカはぼんやりと思った。思ってから、そう思った自分に動揺する。
     懐かしい?
     そんなはずはない。自分の居場所は、こんな暗い場所ではなかったはず。
     ……ああ、でも。
     あの影に追われる前、自分はいつこの神殿に入った?
     故郷に帰れないのはどうしてだった?

    「エリカ」
     無造作な優しさで呼ばれて振り返ると、数歩先でアドルが彼女の方を向いて待っていた。
     その低く響く声で発音されると、それは本当にわたしの名前だったかしら、と不思議な気分に襲われる。
     聞き慣れない、というよりも、それもまた何故か懐かしい。随分長い間、そんな響きで名を呼ばれることはなかった気がする。
    「寒いかい?」
     得体の知れない不安から無意識に自分で自分を抱いていたエリカに、アドルはそう問いかける。エリカが弁解する前に、彼は小さな石らしきものを投げて寄越した。受け止めた手が暖かい。手を広げてみると、片手に収まる透明な結晶の中で、焔が紅く揺らめいていた。
     焔石。火の魔力を強く帯びた結晶石の一種だが、これほどの大きさのものは貴重だろう。
     驚いて彼を見上げたが、彼は何でもない顔をして、エリカが見ていた壁画の方へ歩み寄ってきた。肩の上のルドが首から提げている灯石の光が足音と共に近づいて、色の褪せかけた壁画が細部まで照らし出される。
    「……ありがとう」
     壁画を見上げる横顔に小さく言って、エリカは焔石を手の中に収める。本当のところ、それほど寒さを感じていたわけではないのだけれど、それでもその暖かさは彼女を安心させた。
     すると今度は別の違和感が頭をよぎって、エリカは通路の先に視線を送る。
     地下に広がる神殿の中は、当然ながらどこも暗い。
     両側の壁に据え付けられた燭台がかつてはこの白い通路を繋いでいたのだろうが、今は数歩先までを照らす灯石の光だけを頼りにするしかない。分岐もなく単調に続く暗闇を左右に追って、ぽつりと呟いた。
    「ねぇ、この道って、ただ奥に続くだけなの? 分かれ道とか……途中に部屋とか、あるはずじゃない?」
    「私に言われてもわかんないけど……」
     しごくもっともなことを言いながら、アドルもゆっくりと辺りを見回す。そうしているうちに、ルドが何かに気付いたように床へと降りた。エリカの足で数歩の距離を小さな身体で駆けると、振り返って相棒を呼ぶ。
    「アドル、ここ。律式紋様がある」
     ルドと共に移動した明かりを追っていくと、確かに壁の低い位置に何かが印されていた。エリカには殆ど落書きにしか見えないそれは、流れるような文字と見慣れない記号が縺れ合うように円を描いている。
    「封じの律式だ。結構高度だよ。アドルに解ける?」
    「大丈夫。こんなこともあろうかと、女史から色々もらってきてる」
    「あっそう……」
     からかうつもりでもあったのか、ルドは心なしか拍子抜けした調子で返すと、興味を失ったように紋様から離れた。
     入れ替わるようにしゃがみこんだアドルは、下ろした鞄から透き通った小さな杭をいくつか取り出す。やはり結晶石を加工したものらしきその杭を紋様の一点に軽く当てると、それは先端を溶け込ませるようにして堅いはずの石壁に垂直に突き立った。
     時々手を止めて考え込みつつ、アドルは数箇所に同じことを繰り返す。その作業を覗き込みながら、エリカは些細な疑問を抱いて問いかける。
    「アドルは、律式ってものは使わないの?」
    「使わなくもないけど、苦手なんだよね。どうも、魔力と元素の区別がごっちゃになっちゃうみたいで」
     紋様の流れを辿る目線を止めないまま、落ちこぼれだからねぇ、などと緩い口調でアドルは言う。
     魔力とはすなわち精神、形なき意志。元素とは万物の構成要素。
     律式を使わないエリカには詳しいことはわからなかったが、律式というのは要するに、魔力を使って元素に干渉することで、望む現象を引き起こすものである。
     しかしアドルは、実体を持たないはずの魔力を元素と同程度に確固たる存在として認識できてしまうために、『魔力によって元素を操る』こと自体に通常ではあり得ない困難が生じてしまうのだという。
     そういうのは『落ちこぼれ』とはちょっと違うんじゃないかしら、とエリカが思っていると、アドルの手元を照らしていたルドが口を挟んできた。
    「でも、他の人にできないことができるのはそのお陰らしいね」
    「他の人にできないこと?」
    「いや、そんな大したもんじゃないけど。……よし、これでいいかな」
     首を傾げて聞き返したエリカの疑問をさらりと受け流して、アドルは最後に中央に一本杭を打った。律式紋様が淡く輝き、中央の杭に吸い込まれるようにかき消える。それとほぼ同時に、目の前の壁がじわりと滲んだような気がした。
     驚いたエリカがひとつ瞬くと、そこにはもう石造りの古びた扉が存在している。まるでずっと昔からそこにあったように……いや、事実、それは始めからそこに存在していたのだろう。アドルが解いた封じの律式がそれを隠していたに過ぎない。
    「開けるよ?」
     問われて、呆けていたエリカは慌てて頷いた。ルドをもう一度肩に乗せて、アドルがゆっくりと扉を押し開ける。彼の後に続いて扉をくぐり、エリカは思わず息をのんだ。
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