【文仙】年頃だもの!「文次郎ってさ、たまにすっっっごく馬鹿だよね」
伊作の呆れたような視線が刺さる。
昼下がりの保健委員会の部屋は、今日も薬臭い。
向かい合って座っている伊作の手元で、ゴリゴリとすり潰されている何かの草からも、鼻が効かなくなりそうな刺激臭が立ち上っている。
だが今の自分に必要なものが、そのずらりと並んだ薬棚のどこかにあるかもしれない。そう思ってなんとなくキョロキョロしてしまうところに、投げつけられた言葉。
「仙蔵のことを思い遣って、っていうのはわかるけど……薬で性欲を抑えるなんてしなくても、駄目なときは駄目って言ってくれるんじゃないの? 仙蔵なら」
「それでなんとかなるなら、こうして頼みになぞ来ん」
「文次郎の自制心で無理なら、もうそういうものだと受け止めるしかないんじゃないかな」
「言ってくれるな……」
仕方ない、では済まされないだろう。
ムラムラするのだ。ギンギンなのだ。あまりにも。
もう何度目か、苦々しくため息をつく。
もちろん、我慢する努力をしなかったわけではない。いやむしろ、ありとあらゆる他のことを、仙蔵を抱き寄せてしまう代わりにしようとした。ここしばらくは、もはやなるべく部屋に戻らないようにするしかないと、ひたすら夜の鍛錬や会計委員会の部屋に籠もることもしたが、なぜかそれでは仙蔵の機嫌があまりにも悪くなり、自分たちにも被害が出ると伊作をはじめ他の同学年たちから非難の嵐。
「己の心が問題なのだと、わかってはいる」
もう指先ひとつだって触れるまいと、思っていたのに。
昨日だって、それなのに止められなかった。
重ね合った唇が、『仕方ないやつめ』と声に出さず呟いたのを知っている。
手を出してしまった自分が悪い。手を伸ばしてしまう自分が悪い。
――色に溺れるなど、以ての外。
仙蔵が忍者として生きていくことの邪魔に、なりたくはないのに。
「まあ、性欲をなくすような薬もあるにはあるんだけど……」
「あるのか!?」
ならそれを、と身を乗り出すこちらを抑えるように、薬に染まった手のひらを見せられる。
「でもそれはあくまで副次効果なんだよね。本来の治療目的ではないからあんまりお勧めできないし……」
伊作が薬棚の端から端までを見るように首を動かして、はぁとため息をつく。
「あと……」
言いよどみつつ、こちらの股間のあたりへ気の毒げに向けられる視線。
「なんだ」
「もう、二度と勃たなくなるかも」
「!?」
「本当にそこまでして必要?」
「ぐっ……」
そこまで言われるとさすがに迷う。が、仙蔵を二度と抱けなくなることと、仙蔵の夢を奪うこと、その二つならば天秤にかけるまでもない。
意を決して頷こうとした。
「かまわん、く」
くれ、と言い終わらないうちに、ガラッと戸が開けられる。
「うちの馬鹿が邪魔をしたな、伊作」
そう言い放った仙蔵が、結い上げられた黒髪をサラリとなびかせ、いつもと変わらぬ冷めた視線をこちらに向ける。
「薬など必要ないぞ。まったく、何を無駄に悩んでいるのか」
「おい仙蔵」
無駄とはなんだ!
こちらはいたって真剣な気持ちなのだと睨みつける。
「お前の気にし過ぎだと言っているだろうが」
「しかし……」
「なんだ? 私がお前の色欲ごときで足を引っ張られるほど情けなく見えているのか? 心外だな」
「なにをぅ!?」
完全に喧嘩腰なのにもかかわらす、伊作がホッとしたように頬を緩め、そして苦笑する。
「ほんとに、二人を足して二で割れたらいいのにねえ」
「……余計なことを言うな、伊作」
「どういう意味だ?」
「だって最近は、『私がピンピンしていれば文次郎も悩まんだろう』とか言って強壮剤を」
「伊作!!」
素早く飛びかかった仙蔵が伊作の口元を押さえる。後ろ姿からわずかに見える、その耳先がみるみる赤く染まる。
「ほらほら、あとはちゃんと二人で話し合いなよ」
伊作に押し出されるように保健委員会の部屋を出たはいいが、互いに目を見ることもできないほどの気まずさ。
横並びで無言のまま足早に歩を進めると、すぐに長屋が見えてくる。言葉がなくとも、目的地はちゃんと同じだったらしい。そう思うと、なんだか眉間あたりの力が抜けた気がした。
「文次郎」
「……おう」
「言い訳なら、たっぷり聞いてやる。閨でな」
「こっちの台詞だ。今夜は眠れると思うなよ」
まだ喧嘩腰のままガラリと戸を開けて。
「くくく……」
「ふっ……はははは」
部屋に飛び込んで、二人で腹を抱えて笑う。こんなに何もかも馬鹿らしく可笑しい気持ちになったのは、いつぶりだろうか。
「まったく……お前はもう少し馬鹿でいいと思うぞ、文次郎」
「うるせえ、お前こそちっとは素直になりゃいいだろう」
「善処しよう。お前に不能になられては困る……焦ったぞ、本当に」
にやりと笑った仙蔵が、ふと顔を寄せてくる。
「ところで、これ以上互いの理解を深めるのに……夜を待つ必要はあるか?」
「……ねえな。というか、無理だ」
ほれほれ、我慢したいのならするがいい、とからかうように差しだされた唇に素直にかじりついて。
もつれ込んだ〝話し合い〟は、結局夜が明けるまで続いたのだった。