静かな会話 琥珀が巳神の所にいつものように定期的な診察で訪れた時、少しの違和感を覚えた。いつもだったら、この巳神ハウスと呼ばれているマンションから、住んでいるであろう学生達の声が聞こえるというのに、その声が聞こえないような気がした。
どこか物静かで、すれ違う人もいない。何かあったんだろうか、と思ったが、自分は認可だ、立ち入るようなことはしない方がいいだろう。いわゆる、部外者なのだから。
巳神とも会ったが、いつものように体の一部をくれ、や手錠や足枷を持ってくるような様子はない。むしろ、どこか元気がなさそうに見える。物静かなのだ、あの巳神が。
この状況となにか関係があるのだろうか、ジブが聞いてもいいのだろうか、琥珀は悩んだ。少し悩み、聞いてもいいだろうか、の悩みより、心配のほうが勝った。これだからお人好し、と言われそうだが。
「……どうかされたんですか」
琥珀の声に巳神はこちらを振り向く。やはり、元気がなさそうに見える。カルテを読んでいた巳神は、琥珀の方へ向き直すと琥珀を見て言う。
「……いえ、なにも。少しお話していきませんか」
なにも、と言う声にも覇気がない。これは何かあったな、と琥珀はすぐに勘づいた。けれど、巳神は何も話さないだろうと考えていた琥珀は、巳神に対してほんの少し微笑んだ。
「……いいですよ、時間ありますし」
琥珀の言葉に安心したのか、巳神は言葉を紡ぐように話す。内容は他愛もない会話だ、琥珀も巳神の話題に言葉を返す。その時間はゆっくりと、優しく流れる。
けれど、なんで巳神が悩んでいるのかは話してくれなかった。琥珀は、話さないのなら無理して聞かない方がいいな、と思いあえて何も聞かなかった。琥珀と話して少しだけ元気になったのだろう、巳神は琥珀の手のひらや指を優しく触り、触診していった。
巳神の手は相変わらず自分より大きいな、なんてぼんやりと思いつつ、琥珀は言うか迷っていた言葉をポツリ、ポツリと話す。
「……何も話したくないのなら、無理して話さなくていいですけど。……言葉って出ないと相手には伝わらない、難しいですよね」
琥珀はそう言ったが、琥珀も相手に伝えるという事が少し苦手だ。それは幼少期の影響かは分からない、自分の親友と喧嘩した時も、相手の言葉に何も言い返さなかったのだから。相手の言葉に傷ついたというのに、自分が言ったら、相手を傷つけるのではないか、と臆病になって。
何となくだが、今の巳神はそれに似てるのかもしれない、と思った。自分の気持ちを、伝えるのに躊躇するのかもしれない。なんて。あくまで、琥珀の推測でしかないが。
「貴方が無免に堕ちてくれれば、俺は嬉しいですね」
巳神の言葉に思わず琥珀は相手の顔を見た、巳神は琥珀の顔を見て、触診で触っていた手にどことなく力がこもった気がした。今言った言葉は本気だ、と琥珀はすぐに分かる。琥珀は一瞬だけ、言葉を詰まらせた。
「それは……。……巳神先生に譲れないものがあるのと同じように、俺にも譲れないものがあります、想いがあります。……できない約束は、巳神先生は嫌でしょう」
はっきり、言った方がいい。と琥珀はそう言いきった。無免連のニジゲンとバディを組むようになり、無免連のツクリテ、ニジゲンと交流するようになり、琥珀の今までの考えは変わっていた。
けれど、あくまで自分は認可だ。認可でしか、守れないものはある。なにより、できない約束などしない方がいい。
「しかし俺は諦められません」
「……相変わらず諦めの悪い人ですね」
琥珀は困ったように笑うしか出来なかった。