自分の愛する夫とから産まれたレイフを初めて抱きしめた記憶は今でも忘れない。小さい手がナナリーの指をきゅっ、と握る。生まれたばかりでも、その力は強く感じた。目はハッキリと開かれており、にこにこと笑ってナナリーを見ていた。どうやらルキに似らず、目のあの鋭さは遺伝されてない様子だった。隣にいた夫であるルキも、恐る恐ると言った様子で指をゆっくりと差し出したが、ルキの顔を人目見た時、泣き出してしまう。その様子を見たルキは、驚かせたと固まるが、相変わらず目の鋭さは緩むことなく、ますます泣き出す様子に目をそらす。
「……実の息子すらからも俺は……」
「きっと貴方の目を気に入る日は来ますわ。私の子だもの」
「……いや君じゃないからその可能性は低いと思うが……」
ルキは相変わらずのナナリーの様子に頭を抑えつつ、隣に座る。ナナリーは産まれたばかりの泣いている我が子をあやしながら、ルキに聞いた。
「名前……決まったのかしら……? 楽しみにしてたのよ?」
ナナリーは微笑みながらルキに言う。ナナリーにあやされて、寝てしまった我が子を優しく指で撫でながら、ルキは口を開く。その目が先程のような鋭さは微塵もなく、我が子を愛おしく、そして優しい眼差しになっていたのはこの場にいたナナリーしか知らない。
「あぁ……。……この子の名前は───」
「レイフ」
ナナリーが我が子───レイフを呼ぶ。自室で勉強をしていたであろうレイフは、羽根ペンをペン立てに置くと顔を向ける。ついこの前産まれたばかりのような気がするが、もう普通に歩け、文字書きをできる年齢になっていた。それでも、年齢は他の種族───例えば人間や獣人の子供の年齢と比べると年上なのだが。レイフは母親であるナナリーの顔を見ると、どこか気まずそうに目をそらす。
その原因は、ナナリーには身に覚えがあった。それは、ナナリーがレイフに弓を教えた時の事だ。ナナリーは弓の腕に自信があった、女性であるため、荒事に参加することは無い。が、それでも彼方遠く、ターゲットが見えないであろう位置から的確に射抜くほどの腕前を持っていた。彼女自身、それをひけらかすような真似はしない。ナナリーから見て、レイフは自分譲りでそれを出来る素質を持っていると感じ取っていた。
まだ幼いが、聡明で頭も良く、なんなら家庭教師が言い負かされるぐらいだ。そこら辺は夫に似てるのだろうと思いつつ、それなら弓を教えようと教えた。そこまでは良かった。一回だけではない、時間が許す限り教えた、そして教えて気づいたのだ。自分に褒められて満足しているだけのレイフに。確かに腕はいい、それはナナリーから見ても分かった。
弓を触って数日なのに既に真ん中を射抜けるのだ。他人から見ても、その評価は同じだろう。だが、そこから先がないように感じた。自分の教え方が悪かったのか、褒めるだけでは駄目だったのだろうか。実家にいた時と同じように教えたのだが、とナナリーは思いつつニコニコと笑っているレイフを見つめる。そして、気づく。この状況、昔の自分と似ている、と。遠い昔だったため、忘れかけていた。自分も、褒められるためだけに弓を握っていた。だが、それだけでは駄目だったのだ。
今から言う言葉は、レイフを傷つけるだろう。もしかしたら、嫌われてしまうかもしれない。今のように、自分にもう笑いかけてくれないかもしれない。けれど、レイフが成長してくれるのなら、昔の自分のように殻を破ってくれるのなら。この子なら乗り越えてくれるだろう、何年かかっても。その時間は、エルフならいくらでもある。そして、ナナリーは口を開く。
「形だけの弓だわ」
レイフは相変わらず自分から目を逸らしている。あの言葉を言った日から、レイフは一切弓を触らなくなった。行動ですら、昔の自分に似ていた。触ろうが、触らなくても、目の前の我が子がどう考えているのかが大事だ。ナナリーは一言断りを入れてから、レイフの部屋に入る。レイフが、ルキの祖父であるレオンの所に行っているのを知っていた。そして、その影響で冒険者になりたい事も知っていた。我が子の夢なら応援したいのだが、ルキがその夢を許していないのも知っていた。
ナナリーは正直な話、冒険者など興味ないためどちらでもよかった。中立、と言えたらいいのだが、いかんせん夫の事を愛しているため、そちらに傾きそうになる。我が子であるレイフの事も、もちろん愛しているのだが。レイフは相変わらず目を逸らしている、ナナリーは少し考え、レイフに聞いた。
「……お義父様のようになりたいのですか」
レイフがハッ、とした表情になりナナリーを見る。やっと目が合った。ナナリーはレイフがなんて言うか待った、どのくらい経っただろうか。いや、一瞬だったかもしれない。レイフは先程のように目を逸らすことなく、ナナリーを見る。その目付きが、少しだけ愛する夫に似ている事に、ナナリーは思わず驚いた。
「なります、貴方や……父に反対されても。なります」
「……そう」
「……反対、なされないのですか」
「……私はどちらでもいいので」
レイフは母親の反応に混乱しているのだろう、困惑そうにし、戸惑っているようにも見えた。ナナリーはそんなレイフを横目に、部屋を出た。扉を静かに閉め、陽の光が暖かく入る廊下を静かに歩く。そして、先程のレイフの表情と言葉を考えていた。考え、立ち止まり窓の外からの風景を見つめ、また歩く。本気なのだろう、本気で冒険者になるつもりなのだ。あの目は覚悟の目だった。止めても、その静止を振り切ってなるつもりだ。
ふと考える、もしかしたら、レイフが冒険者になったら、殻を破るきっかけになるかもしれない。そうなるなら───自分は静観しよう。殻を破ってくれるのなら。
ルキが明らか様にイライラと不機嫌そうに、眉間に皺が深く彫り込まれるのではといわんばかりに、シワが寄っていた。眼光もいつも以上に鋭く、ほかのメイドや執事が固まり、必死に目を逸らしていた。一番長く仕えている執事ですら、見たことないルキの様子に冷や汗が出ていた。今日はレイフの百歳の誕生日だった、本来なら、この誕生日に自分の仕事を叩き込み、跡を継がせる段取りだったはず、なのだ。だが、そのレイフは居ない。いわゆる家出だ、元から計画していたのだろう、気づいた時には、部屋はもぬけの殻で、自室の窓から出ていったのだろう、冒険者になるために。
「連れ戻す」
ルキの低い声がシンとしていた部屋に響く。そっと、ナナリーはルキの手に触れた。ほんの一瞬だけ、眉がピクリと反応したが、流石に妻に乱暴な態度をするわけにいかなかったのか、ほんの少しだけ眉間のシワが緩んだ気がした。流石奥様、と言わんばかりの視線がナナリーに降り注ぐ。そして、眉間を指で撫でつつ、口を開く。
「そんな目をしてると、他の方が貴方に惚れてしまうわ」
「……ナナリー。ふざけている場合じゃ……」
惚れているのは貴方だけでは、とほかのメイドや執事が一致してるかのように思っていると、ナナリーは話を続ける。
「……現実を見せるのも大事よ。少ししたら連れ戻せばいいわ」
「……君がそう言うなら」
そう言って、ルキは部屋を出る。その後をついていくナナリー、日はとうに登っており、晴天だった。まるで、レイフの誕生日を祝うように。
「二十五年」
「……?」
ルキが突然言った言葉に、ナナリーは少し反応が遅れた。
「二十五年待つ、その頃の年齢ならいいだろう。俺もその頃なら既に手伝っていた、レイフならすぐ覚えるし跡を継げる。……全く、なぜアイツと同じ……」
ブツブツと言いながら廊下を歩くルキ。二十五年、長いようで、長寿な種族にとってはあっという間にも思える。家を出ていったレイフに対し、頑張れなど言うつもりはない。言われるのを嫌うだろう、冒険者に関してはレオンから色んな事を教えて貰ったに違いない。彼の知識は豊富で経験もある、そんな彼から教わったのなら、レイフは大丈夫だ。二十五年後、レイフはどんな選択肢で目の前のルキと対峙するのか、そして殻を破ることが出来たのか、その光景を自分は見るのだろう。レオンに憧れて、家出をしてまでなりたかった冒険者を、この目で見るのだ。