「では、軍議を始めよう」
軍議用の天幕に集まった面々を見て、アレインは号令をかけた。
次の地域へ進軍するため、それぞれが集めた情報を共有し、攻略法を相談する。アレインを筆頭に、ジョセフ、クライブがまとめ役を行い、斥候部隊を動かしているトラヴィスをはじめ、状況に応じて呼び出された兵等々が顔を合わせる。
「…それでは次に、此度の陣営について、トラヴィス、斥候部隊からの意見はあるか?」
軍議の中、アレインはいつものようにトラヴィスの意見を求めた。
「あー…今回は、ジョセフさんから説明がある」
しかしトラヴィスの歯切れは悪かった。遮るようにジョセフが説明を始める。
「僭越ながら私めから。本拠地の近くに砦があり、そこを先に攻めるのがよろしいかと。地形はフラウが見てきてくれましたので、こちらの地図からしますと…」
ジョセフの説明は完璧だった。ひと通り聞き終えて、アレインは頷く。
「そうか、わかった。みな、いつも協力ありがとう。…ところで、トラヴィスはどうしたんだ?」
「…!」
「ど、どうって何だよ。俺はここにいるだろ」
「ふむ…具体的な問いではなかったが、わざわざ『ここにいる』とは、どういう意味だろうか」
アレインはニヤと口角を上げたが、その目は笑っていなかった。
トラヴィスが目を泳がせる。
「……あ~もう!だから無理だって言ったんだよ!殿下を騙せるわけないってば」
観念したと両手をあげてそう言うと、トラヴィスだった者はオーシュに姿を替えた…いや、戻した。
「変化術、見事だったよオーシュ」
「見破られるんじゃ、褒めてもらっても意味ないんだよ。言っとくけど、僕は頼まれてやったんだからね!」
「何か理由があるんだろうと様子を見ていたが…トラヴィスは、どうしたんだ」
「殿下、どうかお鎮まりください。殿下にご心配をかけたくないがゆえのこと」
ジョセフが、努めて静かな声音で、宥める。
そんなに自分は憤って見えるのか、と内心思ったが、それよりも、確認したい。
「トラヴィスに何かあったのか」
「…彼はいま、治癒用の天幕で休息しております。ヤーナ殿とシャロン殿がついておりますので、ご安心を」
観念したように、ジョセフが伝えた。
「……そうか」
いまの声音はどんな声音だっただろう。
ヤーナとシャロンが診ている、ということは、それすなわち、重傷を負ったということではないか。
詳しく聞き出したい気持ちも、今すぐにでも様子を見に行きたい気持ちも、アレインはぐっとこらえて、軍議の続きを促した。
指揮官を保ちきれていない自分に、アレインは苦虫を噛むような気持ちになった。
***
「トラヴィス!」
「おや、バレるのが早すぎないかい。まったく、あの坊やは」
何とか軍議を済ませ、その足でアレインは治癒用の天幕へ向かった。ジョセフの、何か言いたそうな視線には気付いていた。
天幕に入ると、入口近くにはヤーナひとりがいた。アレインは天幕の中を見渡し、トラヴィスを探す。
「ヤーナ!トラヴィスは」
「大きな声を出すでないよ。奥にいるさね」
「どういった状況だ」
「…大きな傷を負っていてね。止血は出来たが、熱が出ている。シャロンが回復をかけているけど、血を失いすぎたのと、この感じだと毒も受けているかもしれないね。あたしがいま解析しているから、解毒剤が出来るとしたら明日の朝頃だ」
「明日の朝…」
「いまは話が出来る状態じゃない。お前さんに会わせるのも、オススメしないが」
「…顔だけでも、見ていってはいけないか」
ヤーナはやれやれといった風にため息をついた。この王子がなかなか頑固なのはもうよく知っている。無言のまま、仕切りの奥を顎で示した。
アレインは奥へ進み、灯りを遮るように深い幕で覆われた部屋に足を踏み入れる。
寝台の横に座していたシャロンが、緊張した面持ちでアレインを見た。
寝台に横たわっているのは、トラヴィスだ。白い顔色にどきりとする。
「…トラヴィス」
いつも身につけている武具や装備は外され、上裸に、布が当てられている。
傍らに置いてある布には血が染みており、その量から、相当の血を失ったのだとわかる。
「回復をかけておりますが、まだ目を覚ましません」
横に控えたシャロンが言う。疲れの色が見えているので、何度も回復をかけたのだろう。
そっと、トラヴィスの手を握る。白い肌色とは裏腹に、ひどく熱かった。
「アレイン」
後ろから声がかかった。
アレインはゆっくりと振り返る。
「ベレンガリア…」
「お前の方がひどい顔だな」
声の主が苦笑した。いま、自分はどんな顔をしているのか。
ベレンガリアはアレインの隣に座し、トラヴィスの顔を覗き込んだ。舌打ちが聞こえる。
「馬鹿な奴…また、人のために傷付きやがって」
ベレンガリアの声は泣きそうにか細く、苦悶の表情をしていた。
「人の、ため…」
アレインが呟く。
ベレンガリアはちらとアレインを見、ため息をつく。
「アンタが知る必要はない。この馬鹿が、勝手にやったことだ」
そうして席を立つと、ベレンガリアは踵を返して天幕を出ていった。ヤーナと話しはじたのであろう声が、遠くに聞こえる。
トラヴィスが怪我をすることは、珍しいことではない。
敵陣営に乗り込み、情報を得るという仕事に、危険は付き物だ。
怪我をして動けなくなったことも、毒を受けたことも、敵に囲まれて何日も身を潜めていたこともある。
身軽で、避けるのが得意なトラヴィスだが、体力のある方ではない。装備も最低限で、一度攻撃されると、深手を負うことも多い。
でもここまで酷いのは、アレインが知る限りでは初めてだ。
***
天幕の前には、どっかりと、ブルーノが座り込んでいた。
アレインを認めると、じっと眼を鋭くさせる。
「…ブルーノ」
「ダぁメだ」
ブルーノは、アレインが何か言うより早く、アレインを遮った。
アレインは、ブルーノの静かな牽制に少し怯み、しかし引かない。
「なぜなんだ、ブルーノ。どうして、トラヴィスに会わせてくれない」
トラヴィスが目を覚ましたと、二日前にヤーナに伝えられた。
早速見舞いにと思ったが、報告のその口でヤーナに止められた。その日は一応従ったものの、気になって天幕に足を運ぶと、何故かブルーノもこの様に、主にアレインを止めるために、天幕の前に居座って見張っている。
容態が思わしくないのだろうか。
心配でたまらないアレインは、止められても、少しでもトラヴィスの状態が知りたくて、治癒用の天幕に数度足を運んでいる。
「ブルーノは会えたんだろう?」
「ダぁぁメぇだ!」
ブルーノは、頑なに、会えない理由も教えてはくれない。口止めされているようだ。
「…わかったよ。なら、少しでもいい。トラヴィスの様子を、教えてはくれないか」
ブルーノは少し考える様子を見せた。
口止めされている範囲から逸脱した質問だったのだろう。
しかし、ブルーノの返事は、アレインの期待するようなものではなかった。
「死には、しねぇよ。アイツはあれで頑丈だからな」
***
「今夜の夕餉か、ロルフ」
獣を捌いているロルフに、精が出るなとアレインは声をかけた。
「これは王子」
ロルフは小刀を動かしていた手を止め、布で血を拭うとアレインに向き直る。頭を下げようとするのを制した。
「鹿と…鶏か?」
「ああ、これはですね…」
「薬にするのよ」
ロルフが説明しようとしたところで、アレインの後ろから声がかかった。
そこには、皿のようなものを持ったタチアナがいた。
「私が頼んだの。ありがとう…ここに入れて頂戴」
タチアナは、それをロルフに差し出すと、ロルフは頷いて、また獣を捌く作業に戻る。
「薬?」
「鹿の肝と、鶏の髄。それに薬草をいくつか…血を戻すための薬になるわ」
アレインはハッとした。トラヴィスの薬だ。
「肉は使わないから、皆で食べて。アレイン、貴方もよ…ここ最近、顔色が悪いから。きちんと食べなさい」
そういうと、タチアナは裾を払って、去っていった。
「…鹿の肝には、毒を癒す効果もあります。森ではよく知られております」
アレインを気遣ってか、普段は口数の少ないロルフも口を開いた。
「特に万病に効くと言われている、若い鹿を狙って討ちました。高く跳ねる、精のある鹿でした。きっと、力をくれるでしょう」
「…そうだな。ありがとう」
トラヴィスに会えないまま、三日が経った。