■ 瞼の裏に残るもの「はや――じゃなかった、半蔵よぅ、おるかぁ!?」
「なんじゃ……お主の声はよう通るから張り上げぬでも聞こえるわ」
ひと足先に「兄」となった人物があまりに惜しむので、大きな戦も起きてはおらぬし良かろうと前髪を落とさぬまま元服したのはつい先日。
いまだ慣れぬ新しい名を呼び間違いながらひょっこりと庭先に顔を出したその五右衛門に、縁側の障子を開け放ったまま書き物をしていた半蔵は顔を上げた。
夏も盛りの日差しは強く、屋根に遮られて落ちる影を尚更濃く見せる。じいじいじわじわと蝉の声が庭に響き、時折吹き込む風が麻の着物の隙間から半蔵の肌に触れ、黒く長い髪を揺らした。
度々服部家に顔を出す石川家の子息の姿には、服部家の者たちも慣れた様子で挨拶を交わしている。近頃は見る度に大きくなっているような気がする体躯の両腕に抱えた今日の土産はよく育った瓜がふたつみっつ。
「皆に分けてやってくれ」と頼んでいる五右衛門に、にこにこと頷いている家人がいる。
まったくこれではどちらの家の者かわかりはしない。
苦笑しながら筆をしまい、半蔵は縁側に腰掛ける五右衛門の近くへ足を運んだ。
「今日は何用だ、五右衛門」
髷を結ってもはね回っている髪の毛を見下ろしながら尋ねれば、首をめぐらせ見上げてきた顔が明るく答えた。
「おう、敷島の爺さんが最近火薬いじってんのは知ってるか?」
「ああ、あの武器を作るのは得意だがなかなか癖の強いご老体か」
「ははっ、ご老体なんてご丁寧な言い方、似合わねえなぁ。まあその敷島の爺さんが珍しいことに武器じゃねえもん作ってよ」
「ほう?」
「夜の方が都合が良いんだが、ちっと一晩俺と遊びに出てくれねえか」
早いとこ行かねえとあの爺、片っ端から派手に燃やしちまいかねねえし。
朗らかに笑って言う最後の言葉の物騒さに半蔵は軽く眉根を寄せた。火薬と最初に言っていたのを考えれば、燃えるだけに留まらず派手に爆ぜそうなものだ。尚更危ないようにも思えた。
「……まあ、良かろう」
幸い用事も急ぎの仕事も無い。汲み上げたばかりの冷たい水を飲みながら他愛ない話をしばらくした後、家人には一晩開けることを伝えて半蔵は五右衛門と連れ立つ事にした。
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「敷島のじいさん」は「敷島の方から来た」という言葉がそのまま屋号になったようなもので名もしれず、ふらりと現れて集落外れに腰を据えては珍奇なものを作り、またふらりといなくなってしまうような素性も得体もしれない人物だった。
奇怪な言動もあり、やたらと武器に執着するが腕は良い。ただし鎌や包丁の手入れを頼むと時折おかしな形になって返ってくる。
「面白ぇもん作るから戦に出る頃合になったら色々揃えてもらおうか考えてんだけど、それまであの爺さん生きてるかな」
「おぬしも人のことは言えたものか。カッとなるとすぐに飛び出しよる」
夏の日差しを返して煌めく名張川沿いを遡りながらの道中にあったそんな半蔵の声に、からからと五右衛門は笑った。
石川家に近い集落はずれの川岸にあるボロ小屋を二人が訪れる頃には、太陽は西に傾き暑さも和らいで来る時間だった。川岸には焚き火らしき跡が何故かいくつか残り、魚を捕るための網や釣竿がぞんざいにボロ屋に立て掛けられている。
触らずともがたがたと鳴りそうな戸口を五右衛門が何気なく、しかし力強く叩く様子にも幾分不安にもなるほどだった。
「なんじゃ坊主、おなごでも連れてこいと言うたに」
小柄な体躯に浴衣一枚雑に着て、あちこちに黒いススらしい汚れをつけた老人が顔を出して呆れたようにそう言った。
「俺が誰に見せてえと思うかは勝手じゃろ、敷島の爺さんよ」
「ほぉん?」
石川家の集落付近に滞在することが多い老人と半蔵は面識がさほど無い。名乗り頭を下げれば「服部の坊主も大層な名前を貰ったもんじゃな」とじろじろと頭から爪先まで眺められ、半蔵は無言のまま目を瞬かせた。
「『半蔵』なれば跡継ぎじゃろ……まあ、ええわい」
なにやら思うところがあるのか、敷島はわずか眉を寄せ、すぐに興味をなくしたように顔を逸らした。
「中は火薬があるから火が使えん。坊主ら、晩飯は河原で魚でも取って焼いて喰え、そこにあるもんは使ってええぞ」
「じいさんの分も飯炊くから鍋と器貸してくれ」
「勝手に持ってけ」
いきなり訪れて良いものかと思いきや話は通っていたようだ。夜まで勝手に暇を潰せと示してきた敷島に慣れた様子で、五右衛門は小屋からガチャガチャと鍋やらを持ち出した。河原で火を起こし、魚を取りながら川でしばらく遊び夜を待とうということらしい。
網を仕掛け、二人で座れば身体が触れるほどの大きさの岩に並んで釣り糸を垂らし、川辺に足を浸して戯れに水を掛け合う。
納得して自ら選んだとはいえ「次の頭首」としての振る舞いが多い半蔵には五右衛門と過ごす時間は気が楽なもので、そうした他愛ない時間は日が長くともあっという間に感じられた。
「敷島のじいさんはどうせなら派手に綺麗にドーンとやりたいらしくてよ」
道すがら摘んだ山菜と、半蔵が家から幾分持ち出してきた塩と雑穀、釣った魚で夕餉をこしらえ、敷島も火を囲んで食べながら五右衛門が言う。
「爆発に綺麗や汚いがあるのか」とは思いつつも半蔵は黙って話を聞いた。
「弄っとるうちに坊主が『見せる奴を作れ』など言いよって」
大陸からの花火なんぞ教えるもんじゃなかったわ。
ズズと汁を啜りながら敷島が言う。「花火」を話には聞いていても、火薬の使い道は武器に多いこの時分、半蔵は見たことが無かった。
木の枝に刺して焼いたイワナに齧り付いている五右衛門をちらと見やれば、目を合わせニッカリと笑う。そのまま敷島に話しかける姿に半蔵はふと笑みを漏らした。
「たまにゃ血生臭くねえもんでもいいじゃねえか」
「まあ花火の仕掛けはそのまま使えるしの」
飯とその網の中の魚でも足りんが、まあええじゃろ。
鍋の中身をすっかり平らげ、片付けまで終えた頃には日も落ち切り、焚き火だけが明々と周囲を照らしていた。
敷島が小屋から枝の束のようなものを持ち出し、火から離れた平らな岩に置いて二人を呼ぶ。
「坊主ら、しばらくこれで遊んどけ」
「なんだこれ」
「全部花火じゃ。焚き火にくべたらえらい事になるぞ」
坊主らが吹き飛んだらわしゃあ殺されるかもしれんが、わしは死ぬ時は自分の作ったもんで死にたいからな。精々気を付けて遊べ。
そう奇怪な笑い声を上げながら小屋に戻る敷島の後ろ姿に五右衛門と半蔵は顔を見合せた。やはり変わったご老体だ、と半蔵は思った。
「……五右衛門、大丈夫なのか、それは」
前に触らせてもらったから勝手は知っていると、小さな火を分けて岩の上のものを手に取る五右衛門に、多少怪訝な顔で半蔵が訊ねる。
「いきなり弾けたりはしねえよ。多分。おっかねえなら背中から見てもいいぜ」
「多分とはなんじゃ……」
意地悪げににやりと笑う声に半ば呆れつつ、やはり火薬は怖く感じ、半蔵は半歩下がった場所からその手元を見やった。
闇の中、五右衛門が手に持った枝のようなものの先に火をつければ、すぐにパチパチと音を立てはじめた。川に向けて伸ばした手の先で、赤い火花が次々に入れ替わるように開いては散っていく。
思わず半蔵が感嘆の声を小さく漏らせばふっと五右衛門が小さく笑う気配がした。どこか嬉しそうなそれに、自分にも見せたかったのだろうと感じればどこかくすぐったく、悪い気はしなかった。
闇の中、手元を浮かび上がらせる赤い花は咲くと同じに散っていく。短い花の季節を思い起こさせるように。
「……彼岸花?」
「ははっ、もう少し縁起良さそうな花思い出してくれよ」
もう少し先の季節に咲くそれに似ているようなと何気なく口にすれば、気を悪くした訳でもないような笑い声があった。
話すうちに消えてしまったそれを川の水につけて、五右衛門が同じものを差し出してくるのを半蔵は受け取った。棒の周りに火薬を付けているのはわかるが、どうやっているのかと興味のままに裏に表に返していれば、その手をぐいと五右衛門が掴んだ。
「後で爺さんに聞けばいいだろ」
それもそうか、と掴んだ腕が導くままにその先に火をつける。
川辺に並んで腕を差し出せば、小さな赤い花が二つ、水辺にちらちらと火を落としながら咲いた。
あっという間に消えてしまう火の花に、まったく同じものを見ることは無いのだなと不意に半蔵は思った。同じ季節が来ても、同じ夏は来ないように。
敷島は色々と作る事を試していたらしい。
くるりと尾を巻いたような物はぐるぐると地面を走り回って、珍しく半蔵が慌てる様子に五右衛門が声を上げて笑い、細い筒から滝のように火が流れ落ちる様子には半蔵はほうと息をついた。
やがて渡されたものを遊び尽くした頃、いつの間にか河原に出ていた敷島が二人に声を掛けた。
「坊主ら、三発しか上げんからよく見とけ」
「あっ、ちょっと待った」
どっちにどう上げるんだよ、などと聞き出した五右衛門は河原に座ってその隣を叩く。促されたまま大人しく半蔵が座れば筒の前にいる敷島に手を振った。
かがみこみ、火をつけるような動作の後に、小さな爆発の音がして半蔵は目を丸くした。
ひゅっと何かが空に打ち出された気配を追えば、その視界の先、またも小さな破裂音と共に
「あ」
夜空に丸く開いた赤い炎は一瞬で崩れていく。
川の真上で開いたそれは夜の川にも姿を映しながら崩れ落ちて火の粉も水面に消えていった。
それでも、夜空に満開の菊が浮かんだかのような光景は目に残った。
「二発目じゃー!」
勢いよく叫び上げた声に続いて、また同じような破裂音が続いた。
今度は遠くパチパチと音を立てながら、火が柳の枝のように流れていく。
滝か、流れ星のようにも見えるそれを、ほうと目を丸くして見上げる半蔵の白い顔を落ちていく火が淡く照らす。五右衛門は横目でそれを見て口元に笑みを履いた。
「最後じゃー!!」
最後の一発はひゅるひゅると音を立て、煙の尾を引いて飛んだ。
パァン!と弾けて最初のものと同じように丸く開き、更にその外側に輪が一つ開いて二発目のように火が流れる。一瞬だけ夜空に満開になる、見事な赤い大輪の花だった。
バチバチと小さくなにか弾けていく音と共に流れていく火花が星屑にも似ていた。
ほんの僅かな時間、夜の暗闇と静寂の中に現れた花火はどこか浮世離れしているようにも半蔵には思えた。夢か幻のようにすっかりと消え去ってしまう、しかし確かにそこにあったもの。
共に眺めているこの刻そのものにも近いようで、覚えておきたいと半蔵は目に焼きつけるように空を眺めた。
音も光もやがて静まり、川の流れる音と月明かりを返す水面が戻った頃、半蔵がぽつりと呟いた。
「……美しいものだな」
「すぐ消えっちまうけど、俺はそれも気に入ってるぜ」
武器よりこういうのに使えれば良いのによ。まあ爺さんは武器作りたいんだからしゃあねえけど。
耳打ちするようにそう言って幼さを残した顔で笑う五右衛門の顔を見て、半蔵も微笑んだ。派手で時には物騒なものすら好むが、普段から戦は好まない五右衛門らしいとも思えた。
「……お前はこれを俺に見せたかったのか」
「うーん、まあ、そうなんだけどよ」
妙に言いにくそうに、照れたように頭を搔く五右衛門に半蔵は軽く首を傾げた。
「あのきらきらしたのを見てるお前の顔が見てみたかったんだよな、俺が。
――目の中に星か花が開いてるみてえで綺麗だったぜ」
しっかりと目を合わせ、笑みを残しながら臆面も無く言ってのけた五右衛門の声に、丸くした目を瞬かせ。
「……お主は時々恥ずかしいことを言う」
「なんだよ、正直に言っただけじゃねえか」
ふいとそらした自分の顔色が変わっていなければいいと、半蔵は思った。