暑い日の御命令 魔法舎の中庭で、レノックスは羊たちと散歩をしていた。先程まで、花壇の手入れをしていたので、レノックスは動きやすい練習着を着ていた。しかし、この日は日差しが強く、少し作業をしただけで汗をかいてしまった。レノックスは、上着やセーターを脱いで魔法で小さくして鞄へしまっていた。シャツならば、暑さも少しマシになる。羊への負担も考えて、日陰を選んで歩いていた。それでも、羊たちの誘導や体調を見るために屈んだり、撫でたりしていると、気づけば汗をかいてしまう。レノックスは、立ち止まると、シャツの袖口を折り、首元のボタンもいくつか外した。レノックスに気づいた羊たちが、わらわらと足元へ集まってくる。満足そうに鳴く様子に。そろそろ魔法舎へ戻ろうかと考えていた。
「ふう……」
レノックスは、無意識に服の襟を掴み上げ、ぐいと顔の汗をぬぐった。自然と外気に晒された肌が気持ちいいと、そう思ったときだった。前方に、見知った人物がいることに気づいた。
「あ、ファウストさ……っ!?」
レノックスが名前を呼ぶより速く、レノックスの腹に目掛けて何かが飛んできた。魔法によりそれなりのスピードで飛んできてレノックスの体にへばりついているのは、ファウストの外套だった。ぽかんと見下ろしていると、外套は勝手にレノックスの肩へ乗り、普段のファウストのようにレノックスの上半身を隠した。意図を図れず、レノックスが視線を上げると、少し離れたところから、ファウストは不自然な形で手を前に突き出していた。
「ファウスト様?」
「……」
よく見ると、ファウストの手は少し震えていて、顔は赤くなり汗をかいている。レノックスの中で、なぜ急に服を飛ばしてきたのかという疑問よりも、ファウストの体調への心配が勝った。
「ファウスト様、お顔が赤いです。今日は暑さが厳しいので、お部屋に戻られては……」
レノックスがファウストの外套を返そうと、服に手をかけながら前へ踏み出した。すると、ファウストの方からレノックスの方へ、あっという間に走ってきて、ぐいと服をかけ直した。そして、ぐっとレノックスの顔へ伸び上がる。
「みだりに肌を晒すな! 魔法を使え!」
「えっ……?」
空気が震えるほどの大声で、真っ赤な顔をして、ファウストは叫んだ。予想外の言葉に、レノックスはすぐに反応できず、ぱちぱちと瞬きをしていた。その間に、ファウストはぱっと踵を返すと、箒に乗って直接自室の方へ飛んで行ってしまった。
「…………」
「おい、レノックス」
ぽかんとファウストの後ろ姿を見つめていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、鍛練をしていたらしい、シノが普段通りの表情で立っていた。
「ものすごい声が聞こえたぞ」
「ああ。ファウスト様に叱られてしまった」
「また魔法を使えって怒られてるのは分かった。何をやらかしたんだ?」
「暑いなら、魔法を使えと」
レノックスの返事に、シノは不思議そうな顔をした。
「なら、どうして厚着させたんだ? 脱いだ方が涼しいだろう」
そう言って、レノックスの体にかかったままの上着を指差す。返し損ねたことに気づいたが、レノックスはそれを脱ごうとはしなかった。
「これを着ることも、言い付けなんだ」
「……あえて暑い格好をして、魔法で涼しくする訓練か? ファウストにしてはまわりくどすぎる」
「はは、そうだな。でも怒られてしまったから、ちゃんと魔法を使うよ」
そう言うと、レノックスは魔法で自分の体温を調節した。また汗をかいて、ファウストの服を汚しては大変だ。
「叱られたのに、嬉しそうだな」
「ああ、何て言えばいいのかな……。これは、ファウスト様からのお願いでもあるんだ」
首を傾げるシノに、レノックスは穏やかな笑みを向けた。
「主人にお願いをされると、嬉しくなる。シノもそうだろう」
「ああ。ヒースの望みを叶えるのは誇らしい。でも叱られても嬉しくないぞ」
「あはは」
注意の言葉を受けたのに、それをお願いだと言う、ちぐはぐに聞こえるレノックスの言葉に、シノはいまいち納得できないようだった。
レノックスは、穏やかで、少しくすぐったい気持ちのまま、羊たちを集め始める。もちろん、すぐに主人の自室へ向かうためだ。ちゃんと着てきましたよ、と伝えたら、褒めてくれるだろうか。それとも、また赤い顔をして怒ってしまうだろうか。
「俺は戻るよ」
「ああ」
シノと別れ、レノックスは、魔法舎へ向けてまっすぐに歩き出した。