クリ想:異大陸:アイドルになる前の二人が出会いそうで出会わなかった話 面白い店ですよ、と生徒に教わった店の名前はメモに控えていた。
ゼミの雑談の中でそんな話になったのだ。話の最中に来客があったからどう面白いのかを古論クリスは聞けなかった。ちょうどその店がある方面に用事があったので、クリスは話に聞いた店へと足を向けた。
雑居ビルの一階、路面沿いにその店はあった。ごみごみとした雰囲気で並べられた雑貨には、目を引く黄色のポップがいくつも飾られている。ぬいぐるみ、充電器、本、香水、CDと店内の商品に規則性はなく、生徒が「面白い」と称したものはどれなのかと悩ましい。
「おや」
マグカップが目に入って足を止める。リアルタッチで描かれた深海魚は好ましく、研究室でこのカップを使っていれば生徒たちの目にも留まって海に興味を持つ人も出てくるかもしれない――そんな風に考えたクリスがカップを手に取ろうとした時、マグカップの近くに置かれたポップの文字が目に飛び込んできた。
『深海魚 あなたの海(へや)で 飲み干して』
「――」
読み終えた時には、既にマグカップを買う気持ちは固まっていた。
店内は雑多に商品を置いており、他にも海をモチーフにした商品がある。クリスはその中から貝殻で飾られたフォトフレームと魚の雑学を取り扱った本も手に取ってレジへ向かうことにした。
どちらの商品にもポップは立てられていた――『貝殻と 写真が織りなす 回顧録』、『これ読めば うなぎのぼりの 知識量』。文字列が頭に残り続ける理由がクリスには分からなかったが、ポップの文字を頭の中で繰り返すのはなぜか心地よかった。
「お預かりします」
レジに立つスタッフに商品を預ける。買い物の時間は短いが終えてしまうのは惜しく、クリスは手近なポップを指さした。
「あれは、社員の方が書かれているのですか?」
「あー、そういうの得意なバイトがいて」
指さした先にはレモンキャンディ。『酸い甘い 舌で転がす 爽やかさ』と書かれた言葉に惹かれて、クリスはキャンディも買うことにした。
「うちのポップ、全部575なんですよ。気付きました?」
「そうなのですね。イワシの魚群のように規則的で、素晴らしいと思います!」
「イワシ? ……本人にも伝えときますね」
和やかな会話を終えて、クリスは店を出る。
575からなる言葉遊びに満ちた店は、確かに面白いものだった。文学的な表現や詩には疎いのに好ましいのはどうしてか――頭の浅瀬で考えながらキャンディを口にして、溶けきる頃にはひとつの結論が出ていた。
(きっと、言葉の海を泳いでいるのですね)
クリスが物事を理解するために、海や魚で物事を例えるように。
その人はきっと、世界と向き合うすべとして言葉を整えることを選んだのだろう。
顔も知らないはずなのに、クリスにはその人が自分と近いように感じられた。
「お疲れ様ですー」
「北村。お疲れさん。さっき、お前が書いたポップを褒めてる客がいたぞ」
「そうなんですね、ありがとうございますー」
「なんて言ってたかな……そうだ、イワシみたいだって言ってた」
「……イワシですかー?」
「よく分かんないけど、イワシって言ってた。褒めてはいたみたいだが」
客足は途絶えていた。レジに立つ先輩と揃って首を傾げ、北村想楽は顔も知らないその客の姿を思い浮かべる。
イワシに例えてポップを褒める感性は想楽には無い。どうしてそんな発想に至ったのか、もしも会えることなら訊いてみたいとも思えるが、そんな未来はきっと有り得ないと分かっていた。
「変わった人なんですねー」
本心からそう呟いて、想楽はレモンキャンディに添えたポップを指先で撫でた。