ただひたすらに寒い以外はなにもかも覚束ない状態で、行き会った男に片言同士で指し示され、異国らしき知らぬ町の知らぬ場所を訪れた。
出迎えた顔色の悪く痩身の男は、ありがたいことにすぐ言葉が通じた。
振る舞われた温かい茶とクッキーをいただき、その味に懐かしさを感じた。そして、この四角い建物と簡素な部屋を城と呼び、自らを吸血鬼と称し名乗った男にも記憶を刺激された。
まずは縋るように自分の状況を打ち明ければ、大きく三つ驚くべきことを伝えられた。
ここが二ホンという極東の国であること。
今が私の認識より一九〇年経っているということ。
そして、私が吸血鬼であること。
途方もない話を目の前に、手の中のティーカップの温かさが感覚を現実に繋ぎ止めている。
二ホンという国はわからなくとも、見慣れぬ様式の建物を目にして異国であることは納得した。
一九〇年という数字は俄かに受け入れがたいが、目の前の男は、以前に出会った悪魔の幼体の成長した姿だった。あちらも私を思い出した。年月を飛んだことは考えられる。
そして、私が吸血鬼だと…?
面影を残した痩身の吸血鬼は、ふむと考えてから、これが一番早いですなと言って、丸い小動物に持って来させた手鏡を差し出した。受け取って、最初そこに見えたものの意味が分からなかった。
映るはずの私の姿がなかった。
顔を手で触れれば、きちんとそこに存在した。何かの間違いだ、と手鏡を伏せてしまう。そこへ、先ほど入ってきた扉が開いた。
「テメエヴぇtyじゅlぇdrjhgクソスナ」
怒鳴りながら入ってきた赤い服の男は、帽子をドア脇の妙なオブジェに置くと、私に気付いて驚き、一転して物柔らかな様子で声をかけてきた。異国の言葉らしく、なんと話しかけられたかわからない。
痩身の吸血鬼がやはりわからない言葉で彼に話しかけると、今度は激しく驚いている。
そのやりとりの何もかもが、頭に入ってこない。
違う。
この赤い服の若い男は、黒衣の吸血鬼とまるで違う。
存在から違うのがわかる。そして私がどちらに属するのかもわかってしまった。
「この方は、人間、ですね」
二人がこちらを見たところで、震える声を押し出した。この震えは寒さのせいだけではない。
「若造は見たままの若造で、人間です」
言うなれば泣きそうな顔をしたと思う。蓬髪と髭でも隠しきれていないのだろう、青白い顔は同情的な視線を寄越した。
「ここを教えてくれた方は」
「この町で私たちの古き良き言葉がわかる者は限られてますからな…おそらくは、」
「ジャンケンをして服を脱いだ」
「確実に、吸血鬼です」
返ってきてほしくなかった、予想通りの答えだった。
目覚めた直後で呆然としていたが、棺の外に出たとき傍らに誰かがいたことを思い出す。赤い服の彼と会った今なら分かる。彼らは人間だ。
火がなくとも明々とした部屋で、時代を超えたというなら、鏡にもまるで魔術のような仕掛けができるのではないかと縋った。
しかしこの身で感じるものは疑いようもない。
私は赤い服の男とは別の存在だ。目の前の黒衣と同じ存在だ。
私は、吸血鬼となったのだ。