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    真央りんか

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    真央りんか

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    ノスクラ。吸血鬼の見る星空

     自分が吸血鬼となってクラージィは、しばらくはその事実と様変わりした生活に馴染むことが全てだった。
     落ち着いてきた頃に自分を吸血鬼に転化させたノースディンと再会して、生活の中に時折彼と会って言葉を交わす時間が組み込まれた。その新しい生活をしばらく過ごしてからのこと、ノースディンから吸血鬼の能力について学ばないかと水を向けられた。吸血鬼が人間にない能力を持っているのは分かっていても、クラージィはそれが自分にもある実感はそれまでなかった。精々、暗いところでも目が見えるくらいだろうか。それ以上のことは特に必要とは思えず、要らないと断ろうとすると、催眠耐性を強めることは勧められた。なるほど、と提案に頷く。足りているつもりでも、足すのは悪くないかもしれない、と思い直した。
     目の前の男をじっと見る。
     自分も空を飛べるだろうか、と尋ねてみたら、しっかり教えようと頼もしい返事がかえってきた。

     レッスンは県内の山間にあるノースディンの屋敷で行われた。いきなり浮いたら怪我をするといって、小さなものを動かす念動力の使い方から始まり、二度ほど通い、帰っても自主練を続け、自分と同じくらいの重さのものを動かすことができるようになって、ようやく飛行の訓練に進んだ。
     体を持ち上げること自体は、同じ重さの物体よりも楽に感じるのだが、バランスが難しい。できたと思っていても、集中が途切れればすぐに崩れる。横移動が加わると更に難しい。ふよふよと数mを飛べるようになって、飛行レッスンとしての初回は終了した。
     食事の準備をしてくると言い置いて、ノースディンがクラージィを残していくのは、ここを訪れた際のいつものことだ。屋敷内どこでも好きに過ごしていいと言われている。クラージィ用にも部屋が用意されている。
     自分に与えられた部屋で、窓辺で外を眺める。町灯りのない景色は、夜も賑やかな新横浜とはまるで違う。空と森しかない風景は、ときどき郷愁を誘われる。この土地を選んだのは、ノースディンの好みだろうか。
     ふと思い立って、クラージィは上を見上げた。空よりももっとずっと近く。この位置からは見えてないひさし、そして、屋根。
     今日のレッスンではまだ落下の恐れがあるからと、それほど高くは飛ばずに二階にすら届かなかった。だが、クラージィ用として渡されているこの部屋からなら、屋根までの距離は近い。落ちずに到達できるのではないか。
     窓を開けてへりに座ってみる。今日得た感覚を思い出して念を込めると、体が浮いた。するっと前へずれて外に出てみる。立って練習していたときより安定しているようだ。尻からももにかけて支える感じがイメージしやすい。そのまま上に上がるのもさほどふらつかずに済んだ。
     浮いてる最中に体勢を変えるのが難しく、座った姿勢のまま屋根の上までやってきて、足がついたところで力を解除する。空気椅子には無理があるバランスだったので、そのままトスンと尻餅をついた。
     まだまだこれからだなと思いはするが、目的に達したので今は満足だ。

     ととっと軽い音がした気がした。振り返ると、屋根の上を一匹の黒猫が駆けてくる。ここの住民でノースディンの使い魔だ。
     一目散にやってきた猫は、座り込んだクラージィの、前でうろうろと行ったり来たりする。
    「ここは貴女の縄張りか。突然お邪魔してすまない」
     黒猫は返事の代わりにごしごし頭をこすりつけるようにクラージィ足にまとわりついた。ふるるるるると強めに喉を鳴らす音が、座ったままでも聞こえる。喉元をかこうと伸ばしたクラージィの手を舐め、そのまま毛繕いが始まって、一通り終わるとクラージィの足の間に入ってきた。抱き上げるとそのみま大人しく腕の中に収まる。前を向く形で落ち着いた。
     抱えた温かさに、対称的な空気の薄ら寒さと冷えた瓦の堅い感触が体に染み入るのを感じる。
     以前はこんなことはなんでもなかった。ただ、寒さには弱くなったが、固い寝床は今も案外大丈夫そうだと思って、クラージィは一人微笑んだ。
     固く冷えた尻の感触が昔を思い起こさせた。昔といっても、クラージィにとっては言うほど昔ではない。はっきりと思い出せる。同時にどこか遠くに感じる。
     人間の頃から、クラージィの旅はいつも夜だった。人間に話を聞くため昼間も活動していたが、狩るべきものの動きに合わせてクラージィも夜に動いていた。夜の灯りなどほとんどない時代だった。人が寝静まれば地上は暗闇だった。星空を頼りに歩いていた。
    「クラージィ?」
     どれくらい経っただろう。ぼうっとしていたところに、遠くでノースディンの呼ぶ声が聞こえた。食事ができたようだ。だが心が二百年前に飛んでいたせいで、反応できずにいた。
    「クラージィ!」
     さっきよりもずっと近く、開けたままで来た窓の辺りから叫ぶ声がした。主の声で腕の中の猫がもぞりとした。探されている。ノースディンは部屋まで来たようだ。開いた窓を見ただろう。落ちたとでも思われただろうか。
     飛び出してくればすぐ見つかることだ、とクラージィは返事を延ばした。だが予想に反してノースディンは飛び出しては来ない。屋敷の中で隠れてるとでも勘違いさせたか。
     惑わせるつもりではないので、これは良くないと腰を浮かしかけたとき、ノースディンが屋根の上に姿を現した。手には毛布とクッションを抱えている。先程の焦りなどなかったように、冷静な面持ちだ。その様子を見て、
    「貴女が知らせたのだな」
     クラージィは抱えた猫にくすくすと囁いて、鼻と鼻を合わせた。仲睦まじい使い魔と血族に、ノースディンは声をかける。
    「寒がりが何の用意もせず何してるんだ」
     非難めいた台詞だが、両腕に抱えたものが彼の優しさを示している。
    「星空を見たくなったので、屋根に上がってしまった。さっきより安定して浮けたぞ」
     ノースディンは何か言いかけたが口をつぐんだ。おそらく文句の類だが、ノースディンはクラージィのレッスンでは長所を拾い上げる方針のようだ。
    「そうか、よくできたな。だが落ちたら危ない高さだから、声はかけてほしかった」
    「そうだな、すまない」
     両手の荷物からすると、迎えに来たのとは少し違うらしい。まだここにいるのかという問いに頷けば、クッションを敷いてくれた。クラージィがふっかりとした感触に尻を預けると、後ろから毛布を掛けられた。礼を言って体を覆う。
     すると、ノースディンはクラージィの隣に腰を下ろした。毛布もクッションもなく。
     猫がスルリとクラージィの腕の中から抜ける。足音もなく森のシルエットと重ね合うように屋根の上から姿を消した。それを見送ってから、クラージィは隣の男に目をやった。
    「お前も座るのか」
    「邪魔はしない」
     ノースディンは振り向きもせず空を眺めている。
     いつも瀟洒にきめた男が、屋根の上で寛いだように膝を立てて座っている。不思議な感じだ。クラージィほど寒がりではないのは確かだが、寒さを感じないことはない。
     クラージィは、まとった毛布をはずして立ち上がった。怪訝そうに見上げるノースディンの傍らで、毛布を持ち上げ端からおろし、細めの蛇腹にたたんでいく。そして一辺に厚みを作ると
    「座るならここに」
    とノースディンに示した。顔にはほとんど出ていないが、ノースディンは戸惑っているようだ。それでも黙ってクラージィの指示に従った。ノースディンが毛布に座ると、クラージィは後ろから残りの部分を羽織らせた。
    「これではお前が寒いままだろう」と言っている脚の間にクッションを置いて、そこにクラージィは座った。
    「二人でいて温まるなら、これが一番効率いいだろう」
     背中がガードされるので、クラージィも充分温かい。成人男性の体を挟むことになって、ノースディンの脚は少し大変かもしれないと思った。
     ノースディンはしばし沈黙していたが、クラージィもまとめて覆うように毛布を脚周りにかぶせると、抱きかかえるように腕に腕を添わせてきた。おかげで予定よりもずっと温かくなった。その体勢が馴染むまで、しばらく互いに黙る。やがて毛布の内側が二人の低い体温でも温まると、クラージィは口を開いた。
    「こんなに星が見えるなんて、ここに来てから初めて知った」
     吸血鬼の目は暗闇を射貫くだけではなく、夜空の星々も余すところなく捉える。吸血鬼となって初めの頃は新横浜の空しか知らず、町の明るさに圧倒されて空まであまり意識しなかった。星々が見えていることはわかったが、人間のクラージィの頭上に輝いていた星々とそう変わらない気でいたのだ。
     ここにきて、町灯りから離れて、吸血鬼の見る夜の世界を新たに知った。
    「……溺れそうだ」
     虚空と呼べそうな隙間がない。眩しさの間もささやかな光が埋めている。今夜は新月だ。星明りを妨げるものはない。
    「空の星を頼りに歩いたものだが、こんなに多いと逆に迷ってしまいそうだ。でもポラリスは見つけたぞ」
     見上げた先の一つ星、と呼ぶには他の星々に囲まれているが、それでも見てそうと知れるだけの明るさは放っている。今夜、クラージィが眺めている間も揺るぎなくそこにあった。すぐ傍に感じるノースディンの頭が動く。同じ星を見ている。
    「そうだ、地図を見ようと思っていたのに忘れていた。あの頃より私はずいぶん南に下ったのだな。前まで見ていた夜空とでは、ポラリスの高さが違うので、最初に見つけるのは戸惑った」
     思いつくまま言葉を紡ぐのを、ノースディンは黙って聞いている。
    「だが見つけた。私はあの星を頼りに歩いていた。星にとっては二百年などすぐなのか、変わらないな。でも、そうか、あの高さにあるのか」
    「…帰ってみるか?」
     帰る、という言葉の示す先が分からずに、クラージィは少し考え込んでしまった。そして気付いた。教会、街道、村々、そして深い森を巡ったあの地。
    「飛べるようになったらか?」
    「慣れても飛んでいくには大変だ。行くなら飛行機でだな。飛行の習熟度は問わない」
    「飛行機…あれか」
     今は目の前には飛んでいない機体を、空の眺めに思い描いた。何十人も人を乗せた乗り物が空を行き交っているのだという。一度乗ってみたい気持ちはあった。だが、
    「……少し怖いな」
    「飛行機が?」
    「いや…」
     自分の中に入り込んだせいで、クラージィは言葉を飛ばしてしまった。
     今のクラージィは今の環境をまるごと受け入れている。目覚めたら何もかも初めての世界だった。だからこそそのまま受け入れることができた気がする。
     知っている場所はどうだろうか。
     あの地は、森は明るくなっただろうか、村は、町は、にぎやかになっただろうか。人と吸血鬼は手を取り合って踊れるだろうか。新横浜はかなり特殊というのは聞き知っている。
     森は、暗いままがいいかもしれない。他はどうだろう、自分は変化を望んでいるのか、クラージィは迷う。唐突に失った景色。しかし、変化がないということは、今のクラージィを拒否するものも多いということだ。あの頃は答えを探すことに必死で、世界に拒絶されても揺るがずにいられた。新横浜を知ったクラージィがどうなるのかは、自分でもわからない。
     考えがまとまらずに黙りこくったクラージィを、どう捉えたか、ノースディンは抱えた腕に力を込めた。
    「今予定を立てなくていいんだ。行きたいと気が向いたら言ってくれればいい。いつでも連れていくから」
    「…お前も一緒に行くのか?」
    「…案内はいるだろう。泊まる場所も。向こうに拠点は残してある」
     少し拗ねさせてしまったようだ。ノースディンは過保護のきらいがある。だがそれでもクラージィから取り上げるのではなく、与える範囲であろうとしているのをクラージィは感じている。
    「……その時は頼む」
     少し頭を傾けて、自分を覆う腕に重みを一部預けた。
     溢れんばかりの星空から、一条の光が零れる。
    「今エッチなことを考えてるか?」
    「は?」
     クラージィの発した唐突な単語に、ノースディンの間抜けた反応が返る。
    「時折流れ星が落ちるのだ」
    「っ…ここはあの町じゃないんだ。そんな変態能力の奴など来ていてたまるか。あれはただの流れ星だ」
    「なるほど、これだけ星が多いと流れる星も多いな」
     クラージィが本気で言ったわけではないと思ったのだろう。揶揄われたと判断したのか、ノースディンはうなだれてクラージィの肩に頭を埋める。そのまま動かなくなった。近付いた距離に今度こそ流れ星が降るかと思ったが、そのタイミングでは星は落ちなかった。
     クラージィは星空を見つめる。屋根に上がってから時間が経って、星々はずいぶん移動している。北極星は変わらず同じ場所にあった。道しるべの星だ。
     自分の位置が変われば、当然見える位置は変わる。しかし北極星は動いたわけではない。目指すべきものを変えないなら、自分がどこにいるのかは関係ないのだ。
     空を巡る星々の中心をただ静かに見つめて過ごした。

     それからいくつかの流れ星を数え、ポラリスの周囲で星座がぐるっと移動した頃。
    「…ノースディン」
     返事がない。寝ているのだろうか。しかしこういう時の彼は反応を抑えているだけのこともある。さっき拗ねさせたせいかもしれない。クラージィは構わず続けた。
    「その、腹が減ってしまって」
     肩から背中にかけて、ノースディンが震えるのが伝わった。やはり起きていた。そして笑っている。クラージィの肩に乗せられた頭が退いた。包んでいた腕も外された。毛布が落ちて、クラージィの背を守っていた体が遠ざかる。
     ノースディンが立ち上がり、冷たい空気にさらされてクラージィは身震いをした。途端に毛布をかぶせられる。かき集めるように自分の身に毛布を巻き付けて、クラージィも立ち上がる。残ったクッションを拾い上げたノースディンは、微笑んでいるようだった。
    「温め直しの時間があるから、少し待たせるぞ」
    「ありがたい、楽しみだ」
     先へ行くノースディンが、屋根の端から宙へ歩き出して振り返る。
     そして手を差し伸べた。
     クラージィは迷わずその手を取って、一歩空へと踏み出したのだった。
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