蛇は花を愛でるか レディ・アヴァロンも加わった船内は楽しげな雰囲気で満たされ、特異点とはいえ夏の風物詩となっているせいか心なしか笑顔の多いマスターや未だに怪しい道満の様子を遠巻きに見ながら、アスクレピオスは医療キットの最終点検を行なっていた。
「先生もたまにはあの中入ってきたらどうだい?」
そう声をかけられた方に視線をやると、程よく冷えた水を差し出された。水道のやつだから安心しなと言われればそれまでで、そのグラスを受け取るしかない。
キリも良いのでそのまま飲むか、と口をつけた。ほんの少し塩味を感じたのでこの水を渡してきた男──燕青をチラリと見る。
「赤い弓兵さん直伝、熱中症対策ってな? まぁ本当にそこの水道の水から作られてるし、主将からアスクレピオスは大丈夫だって分かってるけど渡してきて欲しいってさ」
「なるほどな。余計なお世話……と言いたいところだが、マスターの気遣いなら許してやる」
「その調子であっち行ってきたらどうだい?」
「……いや、お前の方こそ戻ったらどうだ」
俺ぇ? と少しちゃらけた様子を見せながら、燕青はアスクレピオスの隣に座った。その手にはもうひとつの水が握られている。
視線をマスター達から離さないまま、燕青は口元を緩めた。
「俺はちょっと休憩。あの旦那はワルキューレ達が見ててくれるみたいだし、俺も主将から気遣われたクチでね」
「確か、フラワーパークではワルキューレ達と合わせてよく動いていたと言っていたな。それか」
「多分な。いつもの事と言えばそれでおしまいだが、流石に旦那の監視もあるからあんまり離れたくないとこ、なんだけどなぁ」
それにはアスクレピオスも概ね同意だった。昨年の蘆屋道満が何をやらかしたのか、というのはアスクレピオスの方にも情報が入っている。
インド異聞帯の事もあるので、他のサーヴァントより不信感は多少強くあるのかもしれないが。
「そういえば、毒の花とかはあったのか? 珍しいものがあれば一輪くらい持ってきてもらいたかったが」
「あー、どうだったろうな? 施設の改良もするかって主将も言ってたし、その時にでも行ってみるかい先生」
「経過観察という訳か。それなら行ってみる価値はありそうだ」
「その後には次のエリアだとは思うんだが……あの旦那がどうするか、分からねぇからなぁ」
流石の燕青も不安にも近い言葉が出てしまう。何を言っても何をしても不信感というのが拭えないからこそ来る疲れだな、とアスクレピオスは燕青の空いた手にひとつ「錠剤」を置いてやる。
「えっ、チョコ?」
「一時的な処方だ。俺からの労いだと思え」
「んじゃ、お言葉に甘えてもらっとく。ありがと先生」
ほんの少し柔らかいチョコレートを口にして、燕青は眉間に皺を寄せた。
「にっが……」
「カカオ九割だからな」
「意趣返しって事ォ? 先生やるぅ」
「チョコレートが必ずしも甘くない、というだけだ。それに少しは気も軽くなる」
「んん……? ああ、まぁ確かに。ちょっと気ぃ抜けたかもな、いい意味で」
カルデアのバレンタインでのチョコレートは散々ではあるが、こういうちょっとした時に見るものなら嗜好品だ。しかし、それだけが要因ではないと燕青は笑う。
「意外と茶目っ気ある先生がやったから、だと思うぜ俺は」
「……感覚的過ぎる感想だな」
「とにかく、もう少しだけ。このしょっぱい水をここで堪能するとしますかね」
そう言ってちまちまと水を飲みながら燕青はマスター達を見る。
──その瞳に先程の鋭さはなく、アスクレピオスも少し安堵に近い、息をこぼしたのだった。