君と歩む、じんわりと、汗が背中を伝う。セミが鳴いていて、海の香りが鼻腔をくすぐる。太陽は私の真上にいて、じりじりと焼いてくる。どれも夏を象徴する出来事で、毎年変わらない煩わしいもの。
だけど、今の私にとってはどれもが新鮮に感じる。ずっとずっとビニール袋の中にしまわれて、着ることなんてないって諦めていたセーラ服に初めて袖を通す。
「お母さん、似合ってるかな?」
「うん、よく似合ってるよ」
そう答えてもらえたのが嬉しくて、笑みが零れる。今日は正式な復学の申請と学校案内……それと課題を少しもらう予定。病院にいた頃もちゃんと課題は仁琴ちゃんに届けてもらっていた。だけど授業をまともに受けることがままならなかった身体では課題を見るのも辛かった記憶がじんわりと脳を焦がす。
辛かった。届けられる度に自分とあの子は違う場所にいるってのを見せつけられてる気がしたから。でも、それは私が勝手に僻んでいるだけで仁琴ちゃんは悪くない。上手く折り合いは付けれなかったし、「お見舞いになんか来ないで」って何度も言った。
でも、仁琴ちゃんはそう言っても来てくれた。私の素っ気ない態度にも嫌な顔をせずに居てくれた。だからかな?仁琴ちゃんが来てくれるのが、楽しみに変わっていった。いつか一緒に勉強をしたり、放課後に何か食べたり、お祭りに行きたい……。そんな星よりも遠くにある夢に気がつけば手を伸ばしてしまっていた。
だけど膨らんでいく夢に比例するように、私の身体は悪くなる。街中のセミが鳴き止むのが早いか、私の心臓が止まるのが早いか……。それぐらいしか、残された時間は無いと聞いた。
それを聞いた瞬間は「もう苦しまなくていいんだ」とか「セミの方が長生きだろうな」とか考えていた。だけど、時間が経つにつれて筆から零れ落ちたインクが染みるみたいにやりたい事が生まれる。
学校に行ってみたい。
買い食いってのをしてみたい。
みんなと同じ授業を受けたい。
休み時間にお話をしてみたい。
水泳の授業を受けてみたい。
遠足や修学旅行に行きたい。
お泊まりがしてみたい。
デパートで買い物をしてみたい。
映画館で映画を見てみたい。
水族館に行ってみたい。
夏祭りに行きたい。
私と同じくらいの子が当たり前のようにやってきたこと……全部やりたい。
誰にお願いしたって、出来ない。出来るはずがない。何かの拍子にうっかりと命を落としてしまうこんな身体では……到底。
だから、お母さんに「どこか行く?」って聞かれた時も、「何かやりたいことは?」って聞かれた時も私は精一杯の笑顔で「ないよ」って言ってた。だって今更願いが叶ったって、執着が残るだけだから。ならばいっそ「次」に期待して終わらせたかった。
だけど、そんな日々はもう遥か彼方へと流れていった。今の私にはあの清潔すぎる真っ白な部屋で手を伸ばしていたものに、ちゃんと手が届く場所にいる。
「いってきます」
そう言って家を飛び出して、駅に向かう。駅には私と同じセーラ服を着た子達が、同じように電車を待っている。ずっと夢見ていた、本やテレビの向こう側の世界が当たり前のように眼前に広がる。それだけで、ドキドキして浮き足立つのがわかる。
しばらくキョロキョロと辺りを見渡していれば、電車が止まり、みんなが乗り込む。雛鳥が親鳥の行動を真似るように、電車に乗りこむ。
少しだけ窮屈の車内でも、空調は効いていて直接当たると寒いくらいだった。そんなことを考えていると、あっという間に電車は学校の最寄り駅に着く。乗車時と同じ様にみんなと一緒に降りて、改札を出て仁琴ちゃんを探す。
まだ登校日では無いが、「登校日前に学校に行くことになった」と連絡を入れると着いてきてくれることになったのだ。
「あ、おはよう。仁琴ちゃん」
「おはよう、ナギサ。じゃあ行こうか」
そう言ってまだ暑いのに、手を握って歩き出す。学校に行く……それも、友達と。絶対に叶うと思わなかった夢。小さい時に流れ星に何度も願ってた夢。流れ星に願ったって意味なんてないって気づいて、泣いて沢山の人を困らせた夢。
それが今、当たり前のように叶えれる。これからもきっと、叶えていける。そんな確信を得る。
「ナギサ、何笑ってるの?」
「んん、なんでもないよ」
そう言って笑って繋いでいた手を握り返した。