赤い竜の夢熱が渦を巻く。
髪を焼く火炎は目前へ迫り、それを翻す太刀捌きは流れる水の如く。
竜の王者リオレウスと、一人のハンターの話だ。
一匹と一人は、敵でありながら友であった。お互いの全力をぶつけ合える、唯一無二の存在だった。
新大陸の者たちにとって、最早この衝突は平和の象徴であった。争い合う定めにあるモンスターと人間が、殺し合いのためでなく力量を魅せ合う為に刃を交えるなんて、聞いたこともなかったから。
「やりますね火竜!また腕を上げたんじゃないですか!」
「ーーー!!!!!」
お互い戦いに手を抜くことはなかった。手を抜けば己が地に背をつくことが分かっていた。手を抜かなければ、ずっとこの舞は続いていくことが分かっていた。
お互いの楽しみでもあった。
ずっとこの喧嘩が続いていくと思っていた。
「グラァアアアア!!!!!」
「!」
何のきっかけもないある日の事だった。
火竜と人との戦いに、突如として恐暴竜の乱入があった。しかも既にその体は真っ赤に染まり、熱を帯びた鉄塊さながら、一目散に火竜へ突っ込んでいった。
「イビルジョー?!しかもこんな大きい個体どこから…」
「ーー!!!!ー!!」
鋭い歯は火竜の首筋を捉え、左右上下に大きく振り回す。火竜も炎を吐きながら抵抗するが、己と同じかそれ以上の図体を振りほどくことは難しいように思えた。
「離せイビルジョー!横槍とは無粋な奴!」
ハンターは大きな振りを素早く避けながら、鋭い太刀捌きを恐暴竜の顎めがけて切り込む。しかし類に見ないほど強靭なその身体には、全くと言っていいほど刃は入っていかなかった。
「クソッ…救援を呼びます!耐えてくださいよ火竜!」
幸いその森は拠点に近く、煙筒を打ち上げれば誰かしら気がつく距離だった。今の時間であれば一狩り終えたハンターたちが、次のクエストを吟味している頃だろう。そしておそらく『相棒』もいる。
ハンターは鞄に入っていた煙筒を手早く打ち上げ、太刀を研ぐともう一度顔めがけて刃を打ち込んだ。
当然時間稼ぎにしかならない。でも黙ってみていることはできない。戦友が牙を立てられているのに、敵わないからと尾を巻いて逃げる性分ではなかった。
「オオオオオオ!!!!!」
言ってしまえば近寄りすぎた。離れるだけの時間を確保できなかった。恐暴竜が振り回した火竜の大きな身体が、ハンターめがけて横から降ってきた。ものすごいスピードで火竜と衝突したハンターの身体は、とてつもない衝撃を受けて吹き飛ぶ。ここは森である。当然吹っ飛んだ先には木があって、その木にまたものすごいスピードで衝突する。
「ハ…カハッ」
「ー…ーー!」
肋は何本か折れているだろう。背骨もイカれたかもしれない。肺が無事であればいいが。
同じく吹き飛ばされた火竜は何とか立ち上がり、恐暴竜を炎で牽制する。
しかし熱した鉄塊に炎など効くわけもなく。
恐暴竜は炎の中を突っ切り、そのままハンターへ大口を開けてみせる。立ち上がるのが精一杯なハンターにそれを避けることは叶わなかった。
「あ」
ガチンと噛み合わさった鋭い牙は、赤い汁を滴らせながら火竜の方へ向けられる。引きちぎれた肉塊が辺りに飛び、見るも無残な光景が広がった。
「グアアアア」
「───!」
再び咆哮が辺りにこだまする。
酷い血を流した火竜がもう一度その顔めがけて炎を吹こうとした時、恐暴竜の背後で大きな爆発が連発して起こった。
「クソ竜め、旨かったかよ…歴戦のハンターは…!」
樽の欠片が宙を舞う。白髪の男が背を伝い、尾から頭へと素早く切り込む。双剣は光を纏い煌めいた。
それに続き何人ものハンターが恐暴竜を囲み、それぞれの武器を使って猛る鉄塊をあっという間に地へ沈めた。軽く十数人はいるだろうか。火竜はそのさまをへなへなと倒れ込みながら見つめた。
「大丈夫か火竜?あぁ、ひでぇ出血だ」
「とりあえず拠点に運び込むか」
「もっと人を呼んでくる」
火竜を取り囲んだハンターたちが首元の怪我を診る。しかし火竜は、そこから外れ一人離れた場所にいる白髪の男を見ていた。
「…みよ」
男はしゃがみ込み、赤くなった身体に手を添えた。右胸から上のなくなったそれは、数分前まで己と鎬を削り合っていた戦友だったもの。自分と渡り合う程の力を持っていながら、恐暴竜の前には無力も同然であった。
その日火竜の戦友であったハンターは亡くなった。
「ーーー!!!!」
戦友を想う咆哮は、森の果てや拠点まで届いた。
拠点へ運び込まれ治療を受けた火竜は、しばらく森の奥で眠り続けた。
そして長い長い夢を見た。
『火竜!今日こそはその翼に一発お見舞してやりますよ!』
『おいおいみよ!そんなに近寄っちゃあぶねぇよ!』
『大丈夫!彼は頭がいいんです、私の言葉もちゃんと理解してるんですよ!』
幼い頃の戦友の記憶だ。まだ剣も握りたての子供だった戦友。自分もまだ今ほど身体が大きくない頃で、ようやく空の飛び方を覚えたくらいのものだった。
『ーー!!!』
『あ!飛ぶのは卑怯ですよ!私の届くところで戦いなさい!』
『ー!』
『えっ!乗せてくれるんですか?!…あっ、いや、その…鍔迫り合いの練習ですからね!!』
小さな戦友を小さな背中に乗せて飛んだ事があった。この広い空をどこまでも飛んでいける気がして、酷く高い場所を怖がりながらも目を輝かせる戦友が脳裏から離れない。
『…火竜はその気になれば、どこへでも飛んでいけるんですよね?』
『ーー』
『私もいつか…まだ誰も行ったことのない世界へ行って、見たこともないモンスターたちと戦ってみたいものです』
『ーーー!!ー!』
『え、一緒に?それは素敵ですね!じゃあいつか私達が強くなったら、まだ見たこともない世界で一緒に戦うって、約束しましょう!』
『ー!!』
あぁそうだ、そんな約束もあった。だから一人と一匹はお互いの技を磨くために刃を交えるようになったんだったか。懐かしい。血が出るほど競い合ったのに、酷く穏やかな毎日だった。
「ーーー」
「どうした火竜、もうお目覚めか?」
長い眠りから目覚めたとき、巣の側には白髪の男がいた。
「ーー!」
「落ち着けって、寝込みにお前を切り刻むなんてことはしないよ。できないしな」
男は双剣を研ぎながら月夜を見上げる。巣からは星と月の輝く美しい空が見えた。
「ーーーー」
「勿論お前を責めはしない。お前が一緒に戦ってくれたってことは、拠点の皆も分かってるからな。俺はただ…俺よりも側にいたお前が、辛くないかって思っただけさ」
人の心は繊細すぎてよく分からない。でも男が言う辛さというものが、確かに自分の胸にもあるように思えた。戦友を失うということが、辛いということなのか。
「ーーー、ーーーー」
「俺か?俺は…まぁ、分かってるつもりさ。お互いハンターやってれば、遅かれ早かれくるもんだ」
「ーー」
「ん、何だ」
身体を起こし男の側へ寄る。男が頬に触れると、自然と目から雫がこぼれた。火竜の涙は結晶となって男の掌の上に転がる。
「………泣いてくれるのか、アイツの為に」
「ーーー!!!!!」
「…聞こえてるよ、きっと。お前はアイツと似て声がデカイからな」
これすらも長い夢ならばよかった。
明日になればまた何の変わりもなく戦友が現れて、身丈ほどもある大きな太刀を「貴方と渡り合うために新調しました!」なんて見せてくればよかった。
髪の端を焦がしながら「やりますね、流石は竜の王者!でも私だって負けませんよ!」などと笑っていればよかった。
でも明くる日も、その明くる日も、懲りずに自分のところへやってきた戦友は、二度と姿を見せることはなかった。
***
「…」
長い長い夢を見た。
竜の王者リオレウスと一人のハンターの話だ。
「Miyo!Miyoはいるか!」
「…はい」
強くノックする音がして、急いで戸を開ける。向こうには双蛇党の上司が書類を抱えて険しい顔をしている。
「ドマの方に未確認のドラゴンが発見されたらしい。手隙のものを片端から集めてる、お前もすぐに向かうように」
「了解しました」
すぐに廊下を走っていく後ろ姿が見えなくなる。女はベッドサイドのテーブルから水晶のような石を持つ首飾りを取り上げ、槍を背負うと急ぎ足でランディングへ向かった。
東国では既に、果ての地に一風変わったドラゴンが現れたと噂になっていた。様々なアウラ族が集まるその平原の隅には、どこから聞きつけたのか大きな人だかりができている。
「すまない、双蛇党の者だ、通してくれ」
「Miyoさん!お待ちしていました」
「あぁ…それでドラゴンの様子は?」
「それが敵意はあるようなのですが、人や動物を襲う様子はなくて…こちらの出方を伺っているという感じでしょうか」
「分かった、見よう」
人をかき分けバルダム覇道の中へ入っていくと、所々焼けた旗や草が焦げた匂いを上げる。カルテノーでの戦いを思い出さなくもない。
「ーーー!!!!」
「!」
そして狩場へ向かう道の角を曲がろうとしたとき、聞き覚えのある咆哮が耳を劈いた。後をついてきていた双蛇党の兵はその場で耳を塞いだが、女はその足を早め狩場へ走る。胸がざわついた。
「ーーーー!!!!!!」
「…リ、リオレウス…」
そこには赤き竜の王者たるリオレウスが舞っていた。居合わせたのであろう数人の冒険者に剣を向けられながら、炎で牽制するようにして距離を取る。古い記憶が呼び覚まされる。内なる炎が熱く上がる。
「ー!!!!!」
「Miyoさん危ない!」
赤き竜は女に気がつくと、そちらへ向かってひらりと舞い降りる。既のところで顔を合わす。冒険者や双蛇党兵士は剣を振ったが、火竜の嘶きと翼の勢いに、その場に倒れ込む。誰もが間に合わないと思った。
「………火竜、なのか?」
「ーーー!」
しかし赤き竜は女をじっと見つめるばかりだった。女はゆっくりとその頬に触れる。火竜と呼ばれた赤き竜の目からは、美しい結晶がこぼれ落ちた。
「…あぁ、本当に、貴方なんですね」
「ーー」
女は至極穏やかな笑みを浮かべる。その手に擦り寄るようにして火竜は喉を鳴らした。
「まさかこんな形で会うことになるなんて、なんと言ったらいいか」
「…あの…Miyoさん?これは一体…」
その状況についていけず呆気にとられる冒険者。ドラゴンと人がこんなにも至近距離で、争うことなく赦している。最近の英雄ではないが、こんなことがあり得るのか。
「古い、遠い地での友人だ。まさか…私を探しに?」
「ーーー!!」
「新天地から旅を?それはまぁ、面白そうな話ですね」
「えっと…つまり敵対しているわけではないと?」
「あぁ、寧ろすぐに刃を交えなくて正解だろう。彼は少々手厳しい」
数十分すると、草原の人だかりはなくなっていった。中にはドラゴンと人が至近距離で語り合う様を見ようとする見物人もいたし、異端者なのではないかと文句をつけようとするものもいたが、一人と一匹の当然のような距離感に、すぐにそれが特別なものでも異端なものでもないということを悟った。
「私の予想するに、新天地とここは異なる世界です。ただ飛ぶだけでは辿り着けないと思ったのですが…」
「ーーーー」
「星と光の海を飛んだ?あぁ…それはもしかしたら世界の間かもしれませんね。となると貴方も何らかのきっかけで、私と同じようにこの世界へ飛来したと」
「ーー」
「私の存在を追うように、ですか…まぁ恐らく、貴方の涙の結晶…これも同じようにして私の元に来たのでしょう。私が父の魂を追って来たように…そうだ、父はどうです?元気ですか?」
「ーーー!ーーーー」
「父がイビルジョーを?ふふ、酷い剣幕だったんじゃないですか?あの人は私の事となると激情するてらいがありますし」
「ーー」
「私もまだまだだったということです。貴方と渡り合えても、もっと強いモンスター達を倒せるくらいでなければ」
「ーーー」
「あれから私もいくらか強くなりました。貴方がくれた炎の加護もありますし…今なら貴方を軽々倒せてしまうかもしれませんね?」
「ーーー!!!!」
「はは、やってみますか?私はいつでも歓迎ですよ 」
それから時々、炎舞い上がる乱舞が草原の隅で行われた。
火の粉巻き上げる火炎は強く、また穏やかだったそうだ。