「同い年」 話があります、なんて改まって言われたものだから、これは悪い話かもしれない、と思わず身構えた。
「話ってなんすか」
律儀にカーペットの上に正座しているマヨイに合わせて、自分も慣れない正座をしながらニキは尋ねた。
「椎名さんにお願いがありまして」
「はい」
「私のこと、年下扱いするのをやめていただけないでしょうかぁ……」
「……はい?」
マヨイは視線をさまよわせた。
「ええと、その……言葉の通りですぅ。ほら、私今日誕生日じゃないですか」
「うん、おめでとうっす」
「ありがとうございますぅ。……このやり取り何度目でしょうか」
「何度目だろ、数えてないっすね」
日付が変わった時に一回、朝起きて目が合った時に一回、あとは朝食後に、前日からこっそり用意していた誕生日のケーキを見せた時にも一回。マヨイが誕生日を迎えたことを実感するたびに自然とお祝いの言葉が出てしまい、そのたびにマヨイがお礼を言う、というのをもう今日になってから何度も繰り返していた。
「とにかく。晴れて私も椎名さんと同い年になった訳ですし、年下扱いするのをやめていただきたいんです」
「……嫌だった?」
「嫌とかそういうのではないんですけど……」
「嫌じゃないのに、やめてほしいんすね?」
ううん、と元々困ったような顔をしているマヨイが、普段よりももっと、はっきりと困ったような顔をした。というよりも、実際に困っているのだろう。
「もちろんマヨちゃんが嫌ならやめるっすよ。僕から見ればマヨちゃんも可愛い年下の子だったんで、こはくちゃんとかHiMERUくんにするのと同じようについつい年下扱いしちゃってたけど、確かに恋人同士なのに年の差がどうこう言うのもおかしいですもんね」
年下に甘い自覚のあるニキは、素直に頷いた。ニキにとっては、年下の子というのはそれだけで可愛く思えるものだった。特に同じユニットのこはくあたりが困っていると、無条件で助けてあげたくなる。
弟も妹もいないけれど、身近な年下というだけで守ってあげたくなる。自分の方が年上なんだからしっかりしなくては、と背筋がぴんと伸びるような気持ちになる。
マヨイに対してもそうだった。背丈は同じくらい大きいけれど、ひとつ年下の男の子。お付き合いをするようになってからも、その事実はニキの中に大きな顔をして居座っており、マヨイが無理をしようとしたり、意地を張ったりした時なんかに、つい僕の方が年上なんだから、という言い回しをして、何か言いたげな様子のマヨイを封じてしまっていた。
きっと、それが良くなかったのだろうな、とニキは反省した。年上なんだから、とニキが口にするたびに、マヨイは少しだけ、悲しそうな顔をしていた。自分の言いたいことが言えず、不満だったのかもしれない。
「同い年のマヨちゃん」
試しにそう声をかけてみると、マヨイがそわそわと落ち着かない様子で、小さく、はい、と返事した。
「わざわざ同い年って言われるのも、何だか違和感がありますねぇ」
「そうっすね。でも、慣れていかないと。今だって気を抜くと、ついいつもの癖でマヨちゃんのこと年下扱いしちゃいそうっす」
なはは、と朗らかに笑うニキを、しかしマヨイはどこか寂しそうな顔で見つめていた。
「マヨちゃん、それ僕がやるっすよ」
マヨイの誕生日から少し経ったある日のこと。
朝ごはんが終わった後の皿洗いに手を付けようとすると、横から手が伸びてきて、その手がマヨイの手から、洗剤をしみ込ませたスポンジを奪っていった。眠くてぼんやりしていたせいで、いつの間にかニキが背後に立っていたのに、スポンジを奪われるまで全く気が付かなかった。
「いえ、今日は私が当番の日ですし」
「昨日は遅くまでお仕事だったでしょ。眠そうだし、昼からの仕事まで仮眠取った方がいいっすよ」
「でも」
「いいっすよ、僕の方が……ううん、何でもないっす」
年上だから、とまた言いかけたのだろうニキが、小さく首を振った。
こんなつもりじゃなかった。
年下扱いしないでほしい、という簡潔な言い方ではなく、もっと言葉を尽くして、きちんと自分の気持ちを伝えるべきだったのだと、マヨイはこの時理解した。
「……あの、椎名さん」
「なんすか」
「やっぱり、年下扱いしてもいいですよ」
ニキは、何度か瞬きをして、それから困ったように笑った。
「……気を遣わせちゃったっすね」
「いいえ、私が悪いんです。本当は、こんな風に椎名さんに気を遣わせたい訳じゃなくて、その」
「いいっすよ、言いたいこと何でも言っても」
こういう時でもニキは魔法のように、すぐにマヨイの欲しい言葉をくれる。それが、今は申し訳ないと感じる。
「……そのぉ……私はただ、椎名さんに無理をさせたくなくて……」
「無理?」
「私が困っていたら、椎名さんはすぐに助けてくださるから。匂いで何となく分かるって椎名さんは言っていましたけど、私は椎名さんの匂いで、椎名さんの何かが理解出来る訳じゃないから。その上、年下だからって私なんかのことを甘やかしてくださって。私ばかり良くしてもらっていて、それが申し訳なかったんです」
「……いきなり年下扱いしないでほしいって言い始めたの、そんな理由だったんすね」
ふっとニキの表情がやわらいだ。
「年下だからって理由をつけないと、マヨちゃんのことを甘やかせない僕の方が悪かったっす。マヨちゃんは、なあんにも悪くないっすよ」
「またそうやって、自分ばかり悪者にして。私のこともちゃんと悪者にしてください」
「マヨちゃんが、私なんかって言うのをやめたら、僕も自分のことを悪者扱いするのをやめるし、マヨちゃんが悪い時はマヨちゃんが悪いってちゃんと言うっすよ」
「ずるい人ですね」
「マヨちゃんもね」
ふふ、と顔を見合わせて笑う。
「マヨちゃんが年下でも、同い年でも関係なく、僕ぁマヨちゃんが可愛くて、僕がそうしたいから甘やかしてるんすよ」
「そんなに甘やかして、私がつけあがったらどうするんですかぁ」
「つけあがったマヨちゃんも、きっと可愛いから問題ないっすよ」
さて、とニキが、さっきからの話し合いの間で大分泡が弾けて消えてしまったスポンジを握りなおした。
「ほらほら、後は僕がやるんで、マヨちゃんは寝ましょ」
「本当にいいんですかぁ?」
「いいんすよ」
軽く、マヨイの髪にニキがキスを落とした。
「おやすみ、マヨちゃん」
「……おやすみなさい、椎名さん」
にこり、とニキが笑顔で返す。泡のついた手を水で軽く洗って、マヨイは足早にキッチンを後にした。
恥ずかしいくらい真っ赤になっているであろう自分の顔と耳が、どうかばれていませんようにと願いながら。