羅針盤の魔女②羅針盤の示す先に、彼女の死がある。
この永遠を終わらせたい彼女は、今日も使い魔達と共に彷徨い歩く。
長い長い、「人生」という名の迷宮を───────。
「オイアンタ、羅針盤の魔女だな?」
「……」
街中の薄暗い通りを歩く魔女に声を掛けたのは、ガラの悪いゴロツキ達だった。棍棒やヌンチャク、ナイフ等物騒な武器を持って下衆な笑みを浮かべる彼らは、振り返った魔女の美貌に舌鼓を打つ。
「ヒュゥ、マジで美人じゃねぇか!」
「高く売れそうだねぇ」
「……何の用かしら。私、こう見えて忙しいのだけれど」
「アンタ、金さえ積めば何でもするんだろ?なら俺達についてきてくれよ。何、痛いことはなんもねぇさ……痛いこと、はな」
男達が魔女を取り囲む。猫達は全員毛を逆立てて男達を睨みつけている。
「おぉ、それが使い魔か?珍しい毛並みだ、そっちも高く売れそうだな」
「捕まえて見世物にでもするか」
「……」
魔女は小さくため息を漏らし、「無駄な争いはしたくないのだけれど」と呆れた声を出す。
「零夜」
そして魔女の肩に乗っていた黒猫に声を掛けると、黒猫は地面に降り立ち、人の姿となった。
「!?」
「ね、猫が人に!?」
「……今回は何秒かな、僕の魔女」
「そうね……5秒にしてあげる」
魔女は零夜の頬に手を伸ばし、顔を近づけた。
「お願い零夜……彼らに、思い知らせてやって」
そして唇に口付ける。
「……あぁ、君の為なら」
瞬間。紫の稲妻が走ったと思うと、ゴロツキ達は体を麻痺させ倒れていった。
「ぐ、ぁ……一体、なに、が…………」
「僕の魔女に手を出そうとするからこうなるんだ。彼女は僕の物……君達なんかには触れさせない」
零夜は倒れたゴロツキ達にゴミを見る目を向けた後、愛しそうに魔女に手を伸ばす。
「僕の羅針盤の魔女……穢れていないかい?」
「えぇ、大丈……ちょっと零夜、此処は外だから」
「最近触れ合ってないじゃないか、アダムばかり傍に居て……いつもは僕だったのに」
「ん、ダメって、言ってるでしょ……!零夜……!」
零夜が魔女の腰を抱き、あちこちにキスしようとする中、二人の世界の外側から使い魔達の声が上がる。
(おいコラ!!!!!俺様の前でイチャつくんじゃねぇ!!!!!!!)
(でたでた、零夜の魔女様補給タイム)
(仲良いな〜)
(……私のせいで申し訳ない)
「ほら、戻りなさい。貴方、人の姿でいたら何をするかわからないんだから」
「……今夜は覚悟しておくといい」
零夜はそれだけ言い残すと猫の姿に戻り、魔女の肩に乗った。魔女はため息をつくと、また歩き出す。
「時間を食ってしまったわね。急がないと」
魔女は訪れた先の家の扉をコンコンとノックした。
扉が開くと、白髪に青い瞳の老婆が姿を現す。
「おやおや……いらっしゃい。あんたが羅針盤の魔女様かい?」
「えぇ。この手紙をくださったのは貴女?」
「そうよ。……まぁ、可愛い猫ちゃん達だこと。ミルクを入れてあげましょうね、さぁ上がって」
つい数日前のこと。魔女が泊まっている宿屋の窓へ、手紙が魔女に向けて飛んできたのだ。
『貴女に頼み事があるの。よかったらいらしてくださらないかしら?』
そして住所と名前だけが書かれてあった。羅針盤が示した人助けは、今度はこれらしい。
知り合いでもない相手の元へ手紙を飛ばせるなど、相当手練の魔法使いだろう……家に通された魔女は、一見普通に見える家の中をぐるりと見渡した。
老婆は膝の上に猫化しているアダムを乗せている。アタリ達は出されたミルクを飲んでいた。しかし零夜だけはミルクが入った皿を無視して魔女の膝の上に乗っている。
「あら、その子はミルクが嫌い?」
「……あまり食べない子で」
(他人の出されたものなんて飲めるわけがないだろう)
「こら、零夜」
「あぁ、そういうことね。警戒心が強い子なのね」
(!?)
「貴女……使い魔の声が聴こえるの?」
「えぇ。私も元は魔法使いだったから」
使い魔と契約をしていないに関わらず声が聴ける魔法使いは希少だ。かなりの熟練者と見える。
「そんな貴女が私に頼み事って……?」
「……会わせて欲しい子がいるの。もう私は老い先短く、魔法もこのくらいで精一杯。だから、貴女がこの街に来たと聴いて、一か八か頼んでみようと思ってね」
老婆は優しく微笑んだ。このくらい、というのは、魔女に手紙を飛ばす程度が限界ということだろうか。
「……構わないけれど、誰に会いたいの?」
「遠い街に生まれた孫に。娘からの手紙も随分前に途絶えてしまってね……せめて一度、会ってから死にたいと思ったのよ」
「その子の名前は?」
「それがねぇ……つい最近魔法に失敗して、その代償で記憶の一部が欠けてしまってね。日常生活に支障は無いけれど、その欠けた記憶の中に孫の名前があったみたいで……娘の手紙の行方もわからなくてね」
老婆は悲しげに目を伏せる。魔女は零夜の体を撫でながら、老婆の話をきいていた。
「無理なお願いだとはわかっているのだけれど……貴女なら、私の手に触れただけでわかるでしょう?」
「……可能よ」
「ならお願い。報酬はこの家の物をいくつでも何でも持っていってちょうだい。きっと一つくらいは役に立つ物があるはずだわ」
そう言って老婆は皺が刻まれた手を差し出す。魔女は立ち上がってその手を握り、老婆の人生を辿った。
「……この子なら、すぐ連れてこれるわ」
「本当?」
「えぇ。それに貴女、もう三日も持たないでしょう?私から話をして、最期まで傍に居てもらうわ」
「まぁ……貴女、優しいのね」
「そうかしら。きっとこの子からしたら、残酷なはずよ」
「いいえ……貴女は、優しい子よ」
「……」
そして魔女が去った、数時間後。
老婆の元へ訪れたのは、一人の少年だった。
「……ばあちゃん?」
「……! 貴方が、私の孫?」
「そう、だと思う。羅針盤の魔女様に言われてきたんだ。オレ、アタリ」
「アタリ……アタリというのね。会いたかったわ……!」
老婆はアタリを抱き締める。アタリも、老婆の背中に手を回した。
「……オレも、……………、会いたかった」
それから老婆とアタリは、しばらく共に過ごした。昔話をしたり、部屋の掃除をしたり、魔法を見せあったり。
とても平穏で暖かな一時だった。
……しかしそれは、アタリの心の傷を、少しずつ抉っていく。
「……」
その様子を、魔女と使い魔達は静かに見守っていた。
(魔女様、彼女は本当にアタリさんの……?)
「……えぇ。彼の祖母で間違いないわ」
(目、そっくりだもんね)
(何で会わせた?)
「いつもの人助けよ」
(そうじゃねぇ。あれはアタリくんにとって……)
「いいえ。アタリにとっても必要なことよ」
(……なるほどね。君はそう見たのか)
「えぇ。……これは、アタリがまた一つ、変わる為に必要な事だわ」
木の上で、魔女達はそう話していた……
「……ばあちゃん」
「ん……?」
「逝っちゃ、やだ」
「ふふ……ありがとう、アタリ……私は十分、幸せだったよ……」
ベッドに横たわる老婆の手を握り、アタリは俯いている。
老婆はふと、口を開いた。
「ごめんねぇ……うちの子が、アンタに酷いことして……」
「! 気づいて……?」
「薄々、感じていたんだ……使い魔にならなきゃいけないほど、辛いことをされたんだろう……?ごめんねぇ……私が、近くに、いてあげられれば……」
「……ばあちゃん…………」
アタリの潤んだ青の瞳と、老婆の今すぐ閉じそうな暗い青の瞳がかち合う。
「……強く、生きなさい……アタリ…………」
その言葉を最期に……老婆は息絶えた。
羅針盤の魔女は、震えているアタリの後ろ姿を見つめている。
「アタリ」
「……魔女様。オレ」
それ以降、アタリの言葉は続かない。魔女は、アタリの頭を撫でながら訊く。
「貴女にとって、これは意味のある事だった?」
「……」
アタリは静かに頷き、老婆の指についている指輪をそっと外した。
大粒のラピスラズリの宝石がついた指輪だ。
「……失うから、強くなれる。そう言いたいんだろ、魔女様」
「さぁ、どうかしらね」
アタリは右手の中指に指輪をつけると、魔女と共にドアの方へ向かう。
アタリは立ち止まり、老婆の方を振り返ると、
「……オレも、もっと早く、会いたかったよ」
そう言って走り去った。
外に出ると、また違うゴロツキ達が家の前に群がっていた。
「おうおう、嬢ちゃん達もこの家の財産が狙いか?」
「……何のことかしら」
「とぼけんなよ!ここの魔法使いのババア、死んだんだろ?凄腕の魔法使いらしいからな、金目の物もいくつかあるだろ」
「全員あいつが死ぬの待ってたんだぜ!結界が張ってあったから奇襲できなくてよぉ」
「ほらほら、命が惜しかったら退きな!」
好き勝手言うゴロツキ達の前に、アタリが立ち塞がる。
「あぁん?何だよ餓鬼!退け!」
「……魔女様。今日はオレにやらせてくれ。こんなやつらに、ばあちゃんの家を荒らされたくねー」
「……構わないわ」
魔女は屈むと、アタリの頬に手を伸ばす。
「羅針盤の魔女様……オレに命令を」
「……そうね」
そして顔を近づけると、
「───アタリ。あの無粋な輩を懲らしめて」
羅針盤の魔女はアタリに口付ける。口付けを貰ったアタリはゴロツキ達の方を向き、手を前に出して指輪を光らせた。
「よっしゃ、任せろ」
そして目にも止まらぬ速さでゴロツキ達に蹴りをお見舞いしていく。
「な、何だこの餓鬼!?はえっ……がぁッ!?」
「足だ!!足を掴め!!ぐぁっ!!」
アタリの速さに誰も追いつくことなく、なぎ倒されていく。
(アタリが戦ってるとこ久しぶりに見たけど、やっぱりえげつないね〜。あんだけ助走つけた蹴りを秒単位で繰り出せるなんて)
(使い魔になるとただの餓鬼もあぁなっちまうんだな)
「アタリは元からスピードに関して素質があった、それを引き出しているだけよ」
(やはり目では追えないな。流石だ)
(……あれが、アタリさんの力)
ゴロツキ達を片付けたアタリは、魔女を振り返る。魔女が近くにいた騎士団に報告すると、ゴロツキ達は回収され……老婆の家は無事、騎士団に守られることとなった。
「ちょっと零夜……!」
「言ったじゃないか、覚悟しておけと」
「んっ……!」
(だから!!人前でいちゃくつんじゃねーっ!!)
宿屋に戻るなり人の姿になり魔女の顔に次々と口付ける零夜にシャーッと毛を逆立てるサーティーン。マルコスは素知らぬ顔でベッドの上で欠伸をしており、アダムはやれやれとため息をついている。
「……」
窓際では、アタリがじっと空に浮かぶ月を眺めている。アダムは声をかけようとしたが、
(今はそっとしときなよ。そのうち元に戻るさ)
マルコスに言われ動きを止める。
(……マルコスさん、彼は一体)
(さぁね〜。僕もよく知らないから。知ったところで、僕らには何の得もないでしょ?だから知らなくていいの)
(……)
羅針盤の示す先にある、死と隣り合わせの人助け。
一体これに何の意味があるのか。それは、まだ羅針盤しか知らない。