ラウンドアバウト【オル相】 好きな人に好きな人がいて、その好きな人の好きな人には更に好きな人がいると好きな人が知ったらしい。
ややこしい。簡潔にしよう。
私の好きな相澤くんには好きな人がいて、相澤くんの惚れた相手には更に他に好きな人がいるらしい。
つまり、矢印はどこまでも一方通行なのが現状だ。
休憩コーナーでマイクくんが頬杖をつきながら、遠目でパソコンに向かう相澤くんの背を眺めてぼそりと告げた。
「全然そう見えないけどあいつあれでかなりへこんでますよ。元から実る恋でもないとかなんとか適当に言い訳つけてアタックすらしてないヘタレのくせに」
「そうなんだ……」
それ以外に迂闊なことを言えば、マイクくんは心の機微に聡いからあっという間に気づかれてしまいそうで私はただ相槌を打って同じように相澤くんの後姿を眺めた。
そんな彼を帰り際玄関で見かけた。校長との話し合いが終わったら職員室にもう姿が見えなかったから帰ってしまったのかとがっかりしていたけれど、まだ運命は私を見放してはいなかったようだ。
「お疲れ様」
怪しまれない程度に駆け寄って挨拶をする。相澤くんはチラリとこちらに視線をくれた。厚めの前髪の間から黒い目と視線が合う。微笑みで返すと、相澤くんはどういう意味合いなのか軽く息を吐いてからお疲れ様ですと小さく口にする。
「ねえ相澤くん、ドライブに行かない?」
呆けた顔が二度瞬きをした。不意打ちを食らった相澤くんは年齢よりも幼く見えてとても可愛い。
「あんたとですか?」
「私と」
「他には?」
「いない。君と二人」
「何故?」
「そうだなあ。かっ飛ばしたい気分なのさ」
「一人で空でも飛んでりゃいいでしょう」
断られるパターンに流れかけた会話を諦めずに立て直す。今日の私は諦めが悪いよ。だって、アタックするって決めたから。実らない恋でも、砕けない程度にね!
「ヤダ。助手席に乗って」
「なんなんですかしつこいな」
「いいだろ。夜景を見に行こう。たまには必要だろ。気分転換ってやつさ!」
ぱちん、とお嬢さん方に人気のウインクをしてみせる。相澤くんは正気かよって表情を浮かべながらも、逆手で後頭部をガシガシと掻き、渋々といったていで諦めたように了承をくれた。
「どうせなら遠くに連れてってください」
「やった!」
「……なんでこんなことに」
了承を後悔した言葉が聞こえたけれど私はそれをスルーするスキルを身につけている。渋々でも私の提案に彼が乗った、それこそが今夜の壮大なミッションの幕開けなのだからね。
とは言え、職員玄関からすぐに車に直行とは問屋が卸さないわけで。部屋に置いてくる荷物がありますと言われ、私が雄英の敷地内の外れにこっそり隠している車を用意している間に相澤くんは寮に戻ってから駐車場まで出向いてくれた。ピカピカに磨き上げられたまま運転させることもなく放置していた車を興味もなさそうに一瞥すると、黙って助手席のドアを開けてシートベルトを締める。
「シャワー浴びて来たの?髪がまだ濡れてるよ。窓開けようか」
運転席側からボタンを操作して助手席の窓を開けた。入り込む風に相澤くんの髪が靡き、石鹸のいい匂いがこちら側にダイレクトに吹き込んでする。気付かれないように深呼吸をした。
「なんで急にドライブなんて言い出したんですか」
「車もたまに乗ってあげないとバッテリー上がっちゃうからさ。いざって時に使えないと困るだろ。定期点検みたいなもんだよ」
私の出まかせに相澤くんは納得のいかない顔をして正面を向いていた。市街地を抜けて高速の入り口へ向かう。飲み物でも買おうかと提案すれば、持って来ましたと準備のいいことに相澤くんはダボダボの服のポケットからペットボトルを二本取り出した。
「ミルクティーとほうじ茶どっちにしますか」
「チョイスが渋いな……じゃあほうじ茶で」
紫色のETCゲートを潜り、分岐の看板を右にウインカーを上げる。相澤くんはペットボトルの蓋を一度緩めてから渡してくれた。うーん優しい。好き。
でもそのダボダボの服、君のセンスじゃない気がする。
「着替えて来たの?私もおめかししてくれば良かった」
「スーツが汗臭かったんで取り替えて来ただけです」
「君の私服姿あんまり見ないからさ。似合ってる」
「そうですか。貰い物です」
相澤くんに服を贈る人なんて、マイクくんくらいしか想像がつかない。ミッドナイトくんのセンスでもなさそうだし。洗い晒しの髪だからさほど目立たないけど、ちゃんとスタイリングしてハーフアップにでもすればたちまちアヴァンギャルドなモデルさんみたいになれるはずだ。飾り付けてみたい欲と、彼の魅力を引き出す服を的確に選べる友との関係が憎らしい。
「どこ行くんです」
「遠くって君が言ったんだろ」
くぴ、と特に喉も渇いていないのかひとくちだけミルクティーを口に含んで相澤くんはペットボトルをカップホルダーにことんと置いた。退勤ラッシュの時間を過ぎた高速は渋滞もなくするすると流れて行く。何気なくかけていたラジオのボリュームを相澤くんが上げた。
「あれ、マイクだ」
「レギュラー番組の時間ですよ」
普段聞いている様子もないけれど、きちんとそうやって友人の仕事時間を把握している気遣いに尊敬し、把握されているマイクくんに嫉妬をする。
(……はあ。自分の心の狭さが嫌になるよ)
その件に関してはマイクくん本人からジト目で俺とあいつはただの腐れ縁でお互いにそういう感情はミリもないんで誤解しないようにと釘を刺されている。しかし事実を教えてもらっていたとしても思い通りにならないのが感情ってものなのだとここ最近私はつくづく思い知らされっぱなしだ。
「……どこまで行くんです」
相澤くんは道路の脇に建てられている緑色の地名と距離が書かれた看板に視線を留めたまま同じことを尋ねて来た。
「何時までに帰りたいの?」
「……別に。明日じゅうに帰れりゃ構いませんよ」
土曜の夜というのが功を奏したのか、相澤くんは投げやりにそんなことを口にする。寮制に移行してからというもの、平日と休日の境界線が曖昧になって今日だって補講に自主練、事務仕事からの帰宅だったのだ。
唯一の休日を費やしてもいいという口ぶりに、彼の傷心の深さを思う。
そこに付け込もうとしている私の振る舞いは、とてもヒーローのすることじゃない。
「……東京まで行っちゃおうか」
「いいですよ」
あっけらかんと了承して相澤くんは服の袖を捲る。暑いのかと思って片手でハンドルを握りエアコンの温度を調整した。
「いいの?」
「あんたが運転大変なだけですよ。代わりませんからね」
「運転は嫌いじゃないから大丈夫」
会話は途切れ、沈黙をマイクくんのラジオが埋めてくれた。しばらくそのまま走り続ける。時々横目で窺うけれど相澤くんは黙って前を向いたままだ。
誰のことを想っているのか想像しただけで胸が締め付けられる。
「……本当のところ、どうなんです」
「どうって?」
相澤くんが指差したところにはナビがある。本気で東京まで行くのかということかなと判断しかけた私の耳に意味のある言葉として流れ込むマイクくんのラジオ。
『いやァ。うっかり口を滑らせたのは俺が悪いんだけどさ。そこら辺は友情ってモンがあるから、本人から許可がない限りそれ以上のことは言えねえよ。もちろんリスナー諸君が興味津々なのはわかる、わかるけど。そこはさ、温かい目で見守ってやって欲しいんだわ。そっとな。そーっと、触れたら壊れちまうから。わかるだろ?なお壊したいってヤツは名乗り出てくれ。口を滑らせた責任取って俺がボコる。えっ?ボコるのダメ?ディレクターからNG出ましたァ〜!でもホント、そこは頼んだぜ!』
捲し立てられた早口なのに、ちゃんと全部はっきりと聞こえるからマイクくんの滑舌はすごい。
私が感心したのはそこばかりで、お話の主筋は全く掴めなかった。
「ごめん、何の話?」
「マイクが先週のラジオで、名前ぼかしてましたけどあんたに好きな人がいるって話をしたんですよ。本人から聞いてないんですか?」
「……何それ初耳……あ、いや、あれかな?」
ちょっと騒がしくなるかもしれません、申し訳ないって丁寧に頭を下げられたことが一週間くらい前にあったけれどちょうど立て込んでた時間で詳しく聞くのを忘れていたんだった。
「それっぽい謝罪はあったね。でも何のことか確認するの忘れてたし、特に何か迷惑を被ったこともないし。私だって確定した話し方だったの?」
「年上の同僚の恋バナって触れ込みでしたけど。雄英の教師陣の情報は探れば出ますが公に知られててまず名前が上がるのはあんたでしょう?」
「……否定はできないな」
「それは、マイクの発言に対して?」
珍しく事実を確定させようと切り込んでくる相澤くんの質問の仕方に違和感を覚えた。運転中で長くよそ見のできない私の頬に、触れたら壊れてしまいそうな気配を孕んだ相澤くんの視線が注がれている。
「気になるの?」
「……言いたくなければ結構ですよ」
「好きな人は、いるよ」
「そうですか。マイクのことだから適当に言ったのかと思ってましたが本当だったんですね」
ふい、と視線が逸らされた。相澤くんは黙って前を見た。でもその目が追ってるのは遠く前を走るトラックのテールランプなんかじゃない。
私だって君と同じさ。好きな人に振り向いてもらえない、でもなんとか視界に入ろうと頑張っているのさ。
口から滑り出ようとした言葉をすんでのところで飲み込んだ。
(危ない危ない。相澤くんの好きな人に好きな人がいるなんてこと、実はマイクくんが私に話してたなんて知れたら後でマイクくんが怒られちゃう)
トラックを追い越し、後続車をミラーと目視で確認しながらまた左車線に戻れば、しばらく前には車の影は見えなかった。
「告白とかしないんですか」
「私の好きな人、他に好きな人がいるんだよ」
「……へぇ」
「だから、振り向いてもらえるように頑張りたくてさ。相澤くんは?誰かいい人いないの?」
自然な流れで恋愛系の話題に持ち込めたのはいいものの、慣れないジャンルすぎてハンドルを握る手にじっとりと汗が滲んでいる。
「好きな人はいますよ」
「そうなんだ」
声が裏返りそうになるのを必死で堪えた。嘘くさい相槌にならなかっただろうか。そればかりを気にして、動揺を誤魔化すためにペットボトルを口に運んだ。
「あ、アプローチとかしないの?」
「望み薄で」
「どうして?」
「その人も他に好きな人がいるんです」
「……そっか」
ああ。本人から改めて聞くとやっぱり胸が苦しいよ。私がこんなに好きなのに、君は同じだけ他の誰かを想って切なくなってるなんてさ。
「お互い、片想い同士頑張ろう!」
心にもない励ましに相澤くんが少しだけ笑った。
本当は君の失恋につけ込んで、私にしなよとアピールするはずだったのに勇気を振り絞って言えたのはそんな言葉だけだ。
「オールマイトさんの好きな人ってどんな人ですか」
「私の好きな人かい」
君だよ。
何の説明もいらない端的な事実を告げられたらどれほど楽だろうか。でもそれは、君に私を振らせることになる。こんな密室で、しかも寮に帰り着くまで始終一緒にいなければならない地獄を想像して身震いがした。
「すごく優しい人だよ。ぶっきらぼうで怖いところもあるけれど、きちんと人を見て適切な声掛けができる、努力家で、とても尊敬できる人だ。君の好きな人は?」
「……天性の才能かと思っていたんですがその人も実は努力家だって知りました。抜けてるところもあるけど、明るくて決して弱みを見せようとしなくて、とても格好が良い人ですね」
「そんな人いるんだ?私の知ってる人?」
「……まあ、知ってるんじゃないですか」
「ええ?全然想像つかないな。誰だろ。待って待って、考えるから」
「クイズじゃねえんですが」
マイクのラジオのエンディングテーマが流れ始める。走り出して小一時間が過ぎたと気付く。
『勇気を出して誘った相手にゃ本音ぶつけろよ!誘われたんなら素直になれよ!じゃあ、今夜のお相手は皆のお耳の恋人DJマイクでした!ばいびー!』
(本音を、ぶつける、かあ)
「音楽かけて良いですか」
相澤くんがスマートフォンを取り出している。接続画面をいじって、そこから先を彼の操作に任せた。やがてスピーカーからマイクのボイスの代わりに流れて来たのはちょっと昔の洋楽だった。
「相澤くん、こういうの聞くの?」
「マイクに勧められて」
「そっか。私もこの曲好きだよ」
「マイクから聞きました」
「そうなんだ」
ふうん。
流した言葉がえらい勢いで戻って来た。
(えっマイクなんで私の好きな曲を相澤くんに勧めてるのそして相澤くんもすんなりスマホにそれを入れてるの?)
「オールマイトさん、マイクに恋愛相談するのやめた方いいと思いますよ」
「な、んで?」
「口が軽い」
「軽いように見えるけれど、でも彼だって本当にダメなラインはちゃんと守ってるだろう?」
「年上の同僚の恋バナ、職員室でも当然話題になったんですよ。だから俺も聞きました、あいつに」
「……答えを?」
「まさか。すんなり教えてくれるわけないでしょう。でもこう言われましたよ。俺が言ったって面白くねーだろ、だそうで」
(……マイク!)
それはもう答えだ。固有名詞を出さないだけのファイナルアンサーだ。
思わずハンドルを叩きたくなる衝動が突き抜ける。
「生憎私には君の好きな格好いい人、心当たりがない」
「俺もあんたの好きな努力家なんてとんと見当もつきませんよ」
狐と狸の化かし合い、或いは背水の陣。
これはそうなのか?相澤くんの好きな人が好きな人の件は回り回って巡り巡ってぐるぐるぐるぐる、私と君はただふたりだけを間を行き交う矢印を存在しない第三者を介してやきもきと回していただけだと、そういうオチで良いのかい?
顛末を神に祈れば相澤くんはちらりとこちらを眺め、音楽のボリュームを上げた。切ない片想いの歌詞が車内に響き渡る。
「どこかでパーキングにでも入りますか?」
「トイレ?」
「いえ。あんたの顔があまりにも赤いので、少し休憩した方がいいかと思って」
「……さっきから汗が止まらないと思ったよ」
「どうしたんです、オールマイトともあろうものが」
「君絶対面白がってるだろ」
「何をです?」
「……そんなこと言うなら東京まで攫ってしまうよ」
「構いませんよ」
腹の探り合いに確信を得たのか、相澤くんはくつくつと肩を揺らして笑う。
「折角のあんたとのドライブです。時間の許す限り楽しませて貰えて俺は有難いですがね」
「……私、マイクに相談したこと間違ってなかったよ」
私もまた確信を得て色々複雑な気持ちを溜息に変え全て逃した。
「君が、親友のマイクに相談してないわけないもんな」
視線を遣ると、こちらを見ていた相澤くんとバッチリ目が合った。はっと見開いた目と装った無表情が抱き締めたいほど愛おしい。
「夜景、好き?」
「久々に見るのも悪くないですね」
「じゃあこのまま東へ向かうよ」
またひとつインターを通り過ぎ、私はアクセルを踏み込んだ。
「安全運転でお願いします」
「勿論さ」
踏み込んだペダルをそっと戻せば、堪えきれずに相澤くんが吹き出した。
「ねえオールマイトさん」
「ん?」
「本宅、あっちにあるんでしょう?」
それがどういう意味かわからずに声にするほど、君はお子様じゃあないだろう。
曲が変わる。同じアルバムの、こちらは甘ったるいほど恋人に首っ丈な愛の歌。
さっきから私を負かして笑う彼の余裕が憎らしくて、膝の上に投げ出されていた手を取った。握る必要のないギアの上に置いて、上から手を重ねる。指の間から指を絡めてやれば相澤くんはぎょっとして黙り込んでしまった。
その様子に少しだけ溜飲は下がったけれど、代わりに上がりっぱなしの体温が大量の汗を誘発する。
ベタベタした手で触れるのは嫌われないかとじっとりとした手のひらを離した。相澤くんはゆっくりギアに乗せられた手を胸元に引き寄せ、隠すようにもう片方の手で包み込んでこちらを睨む。
どうしよう。怖くない。可愛いが溢れて止まらない。
「明日じゅうに帰れれば、俺はそれでいいです」
「帰せそうにないこと言わないでよ」
「……夜はまだ終わりませんから」
東京までの距離が三桁を切った案内板を通り過ぎる。
今ならどこまでも走り抜けられる気がした。