フライミートゥザムーン
「 ……ここはさ、星が近いね」
天文台の窓から空を見上げて、夜空の色の瞳をした男はそう呟いた。視線だけをそちらに向けて、続きを促す。
「 現代ではさ、地上が光に溢れてたから。逆に、空の星が遠い気がしてた」
「 距離は変わらねぇぞ」
「 うん、そうなんだけど。……ここは、空が近くて。星に手が届きそうだなって。
落ちてきそうな星空って、きっとこういうのね」
いつになく饒舌に、夜空の色の瞳にきらきら星を映したみたいに言うものだから。
「 ……いつか」
「 え?」
「 ……いつか、テメーにひとつ、取ってやるよ」
ぼそりと。言うつもりもなかった言葉が、口をついて出た。
ゲンは、キョトンとこちらをふりかえったあと。しろい花が開くように、ふんわりとわらった。
『 Fly me to the moon. And let me play among the stars. Let me see what Spring like On Jupiter and Mars. In other words, hold my hand〜……♪』
月へ向かうロケットが完成間際となり、最終調整を行う合間、立ち寄ったレストルームから歌声が聴こえた。
チョイスがまた、わざとらしいくらいだ。
「 引きずってでも連れてくから、安心しまくれ。……月には何がいるかわからねぇ。
だが、言語の通じる、意思疎通の可能な相手なら─── テメーの出番だ。メンタリスト」
言葉に、振り返って。
男はあの時と同じ、夜空の色の眸で剣呑にわらった。
「 相変わらず無茶振りなんだから。……メンタリストにそう言う勝負、挑んじゃう?」
一瞬、間があって。
二人で顔を見合わせると、耐えかねたように互いに吹き出した。
「 おう、頼りにしてんぞ、メンタリスト」
けれど、今日はこんな話をしにきたのではない。危うく男の誘導に乗りかけて、ひとつ息をついて思考を切り替える。
……手のひらに、じわりと汗が滲む。
こんなに緊張するのは、いつ以来だろう。
それをなるべく表情に出さないように、男に向き直った。
「 ……ゲン」
普段あまり呼ばれ慣れない名に、わずかに動揺の色が浮かぶ。……よし、こちらのペースだ。
「 ちぃっと、手ェ貸せ。……左手な」
ゲンは小首を傾げながら、素直に左手を差し出してくる。
「 先にテメーに言っとくことがある」
靭い目で、じっと見上げた。結果的に拒否権は与えても、反駁は許さない。
それを察したのか、ゲンは息を呑んでこちらの言葉を待った。
「 テメーが好きだ。結婚してくれ。……今すぐ」
そう言って、左手の薬指にそっとくちづける。ポケットからほっそりとした銀色の金属を取り出して、言葉を継いだ。
「 ……コイツを受け取ってほしい」
差し出された指輪の内側には、澄んだ緑色をしたガラス質の石と、四角い銀色の細石が嵌っている。
緑の石は見たことがある。モルダバイト。宇宙を起源とする硝子質の石。……銀色のは何だろう。
「 ギベオン。小せぇが、隕石だ。ジョエルに教わって俺が加工した」
隕石。……星。それってまさか。
目を見開くゲンに、千空はニヤリと笑った。
「 ……いつか言ったろ。ひとつ、取ってやるって」
あんな。
その場の些細な口約束を覚えてくれていたなんて。そして、その約束を提げて、今、千空からプロポーズされているなんて。
現実感がなさすぎる。
茫然とするゲンの薬指に、指輪を嵌めて。
もう一度。
今度は指輪を嵌めた指にくちづけた。
「 ……さっきの歌の続きだろ」
え。と記憶を遡る。うた。
Fly me to the moon(私を月まで連れてって)
1950年台のジャズナンバー。
原題は『 In other words』。
ええと、それで?続き?
混乱していると、千空はふっとわらって。
伸びやかな声で歌を継いだ。
『 In other words, hold my hand, in other words Darlin' kiss me〜……♪』
言い替えると、手を繋いでて欲しいの。
もっと言うと、キスしてほしいの、ダーリン。
……それに気づいて、顔から火が出るほど真っ赤になった。
それにクククと笑いながら、ふと改まった顔をして訊いた。
「 それで、返事は?」
「 うん、じゃあ、俺も千空ちゃんに倣って」
くすりとわらうと、すうと息を吸い込んでうたをつないだ。
『 In other words, please be true In other words 〜……♪ 』
言い替えると、君に嘘はつかない。だから、ホントにして。
「 俺も、千空ちゃんが好きだよ。……だから、結婚してください」
改まってそう言うと、千空はわかりやすく赤くなって。誤魔化すように頭を掻きながら、
「 お、おう……その…… 」
「「 俺の家族になってください 」」
最後は、二人同時にそう言って。もう一度顔を見合わせて笑いあった。
……千空に手を取られて向かった先には、これまで一緒に過ごしてきた皆んながいて。
ブーケとベールを差し出してくれた。
「 だって千空くんたら急に言い出すんだもの。前もって言ってくれたら、もっと二人に似合う服作ったのに」
そうぼやく幼馴染に、千空は苦笑した。確かに、手順も何もあったものではなかったから、ご不満ごもっともだ。
「 悪りぃな、杠先生」
そう詫びると、ピンで胸に花を飾ってくれた。目が合ったところで、いつものおっとりした笑顔をうかべる。
「 いいよ。……おめでとう、千空くん、ゲンくん。二人のお祝い出来てうれしいよ」
急なことで豪華な衣装も御馳走も何もなかったけれど、祝福してくれるひとたちの笑顔に囲まれて、とてもしあわせなひとときを過ごした。
「 ねぇ、ところで千空ちゃん」
「 あ"ぁ?」
「 今このタイミングで結婚式ってことはさ」
脳裏を掠めた事柄を察したのか、隣で新郎はニヤリとわらう。
「 あ"ぁ。……月で、ハネムーンと行こうぜ」
帰ったら、朝まで離さねぇ。
「 ジーマーで…… 」
ムードがないことこの上ないが、いよいよ真実に迫れる、謎を解明できる。
空を見上げて、そう目を輝かせるパートナーを見たら、そんなことはどうでもよくなった。
「 じゃあ、速攻で片をつけて、あとはゆっくりハネムーンといこっか。……頼りにしてるよ、ダーリン♬」
戯けた口調でそう言うと、
「 あ"ぁ。……頼りにしてるぜ、ハニー」
そう囁いて、そっとゲンを抱き寄せてキスをした。