奉迎祭にて。 四月に起きた、中区を襲った大型分霊襲撃事件。街の倒壊被害は甚大で、私ーー篁 京之介が住んでいたアパートも、例に漏れず倒壊していた事もまだ記憶に新しい。何とか貴重品や必要なものを一度は取りに帰ったが、とても人間が暮らせるような状態ではなく、玄関で深い溜息を付いたことをよく覚えている。
だが、時というものは過ぎるのが早い。
現在のバディである天女 侑兎くんの実家に居候させてもらうようになり、既に二ヶ月が過ぎようとしていた。一人暮らしではなかなか慣れなかった家事も、侑兎くん天女家のご家族の助力もあり、少しずつ一人で出来るようにもなっていた。今や洗濯物に関しては私が担当しているといってもいい。人は誰しも成長出来るものだな、としみじみ実感している。天女家に世話になっている分、自分が何かこの家族の役に立てているならば、少しだけ自分も誇らしく思える。
買い物や料理に関しては……今でも侑兎くんに注意を受けているので、あまり自信はないが。
******
「京兄ちゃん!次どこいく?わたし、わたあめ食べたい!」
「あ、ずるーい!わたしもー!」
「わたしもー!」
背格好がよく似た少女三人が、それぞれ色違いの浴衣を着て、私の周りを囲む。皆屈託のない笑顔を浮かべながら、今宵の祭を楽しんでいるようだった。
ーー祭というものに行ったことがないんだ。
天女家で食卓を囲んでいる時に話題になった、毎年開催される奉迎祭の話。この御神楽に住む人間で知らない人間はいないだろう。私も勿論話に聞いたことは何度もある。……が、学生の頃は学業に追われ遊ぶということもほぼ無かったし、家を出てからも仕事と身の回りの生活で手一杯で、祭という存在とはほぼほぼ無縁の生活を送っていた。
だが、それを聞いた侑兎くんとその妹達に一緒に行こうという誘いを受けた。無論、普段世話になっている彼等からの誘いを断るはずもなく、皆で現在上区の露天を回っている。道中に咲く紫陽花は見事なもので、時間があれば少し写真に収めておきたいぐらい色鮮やかに咲いていた。
「あぁ、勿論いいとも。えぇっと、わたあめの店は何処にあったかな…」
「京之介さん、あまり妹達を甘やかさないでくださいね?」
侑兎くんに嗜められつつも、三つ子の妹達に手を引かれ次の露店へと足を運ぶ。わたあめというものも初めて見たが、その名前に相応しく綿雲のような形をしていて、私も少し興味を惹かれた。どういった原理でこういった形になるんだろうか……。
三つ子達が欲しがるままわたあめを三つほど購入し、少し露店から道を外れた所で休みながら食べることにした。侑兎くんの妹であり中学生である長女が三つ子の妹達の面倒を見てくれている間、侑兎くんと私の肩が並ぶ。
「もう……言ってる側から甘やかすんですから……」
「あははは、すまない。あまりに皆楽しそうだったので、つい。侑兎くんも楽しんでいるか?」
「それはまぁ……はい」
「俺もとても楽しい。天女家に世話になり始めてから、初めてのこと尽くしだ。面倒をかけてしまっている申し訳なさもあるが、こうして皆との思い出が出来ることが嬉しい。だから、少しの買い食いも許してくれ」
「京之介さんが来てくれて嬉しいのはこちらも、もちろん妹達も同じですけど、京之介さんの場合、買い与えるものが"少し"じゃないんですよ。うちのエンゲル係数ももう分かってますよね?」
「わ、分かっているとも!気をつけるよ……」
またお叱りを受けてしまった……。
本当に、私よりも8つ歳が離れているというのに、こうして時折叱りを受けることがあると、時折自分が弟のように感じることがある。勿論自分が至らない所為ではあるんだが……。
だが、嫌な気分になったことはない。侑兎くんの言葉は、きちんと私のことを見て話してくれているのだと理解している。初対面の時から一年も満たない間柄ではあるが、バディとして隣にいる分、他の皆よりは彼のことを理解出来ているとは思う。彼は誰よりも優しい子なのだ。優しいが故に、葛藤もあるんだろうが……。
「お兄ちゃん、京之介さん!」
中学生の妹が私達を呼ぶ。
どうやら、わたあめを食べ終わった妹達が、次はアイスが食べたいと言っているらしい。
「何度も京之介さんに奢ってもらうのは悪いですし、私達で行ってきます。良いよね、お兄ちゃん」
「うん。でも、人が多いからぶつからないようにね」
「じゃあ、私達は此処で待っているよ。気をつけて」
言葉を交わし、妹達が人混みの中へ消えていく。その姿を見送りながら、なんとも微笑ましい気持ちになると同時に、憧憬の念が生まれる。
私は、昔から家族とは仲が良くなかった。二人、実の兄はいるものの、兄弟仲良く並んで遊ぶ、といったこともした記憶がない。両親の期待通りに成績を上げ、期待通りの成果を上げ医者となった長兄。その後に続くように、次兄も両親に認められ医療の道に進む。
ーー私だけ、"俺だけ"その道に続くことが出来なかった。
今考えると"医者には向いていなかった"の一言で済む話なのだが、当時の篁家において医療の道に進めないことは、出来損ない同然の話だったのだ。当然、自分に対して両親の興味はなく、兄二人からも何度も出来損ないだと疎まれ蔑まれた。それを当然だと思いつつも、苛立ち荒れていた自分もいた。我慢出来ず家を飛び出して高月に就職した自分に、篁家の皆がどう思っているのか、確認することも怖かった。
ーー過去の自分が焦がれて欲していたのは、家族としての暖かさ。
天女家の皆と共に過ごしている内に、屈託のない笑顔で家に迎え入れてくれた皆を見る度に、自分の心が、過去の自分すらも救われている気がする。
「……京之介さん?どうしたんですか?さっきから黙ったままですが」
「え?あぁ、いや。何でもないよ。少し感傷に浸っていた、かな」
「感傷……?」
ーーふと侑兎くんの方を向いた先に、見覚えのある青色の髪色が目に入る。
あれは……有理さんか?髪を結っているからか、少し雰囲気が違うように思えるが……
……否、それよりも。
「……すまない、侑兎くん。少し此処で待っていてもらえるか」
「えっ、何処に行くんですかーーって、京之介さん!?」
侑兎くんの声を聞かぬまま、足は勝手に有理さんの元にーー有理さんの視線の先の男の元に、走り出していた。
どうして此処にいる?何故有理さんと話している?疑問が浮かんではすぐに消える。距離が近づくに連れ聞き馴染みのある怒号が聞こえる。その男……自分とよく似た髪色、目の色をした男は有理さんに詰め寄っている。
ーーそうか、確か有理さんとは歳が近かったな。
そう納得した時には、有理さんとその男ーー篁家長男・恭一郎の間に割って入り、有理さんを掴もうとした手を自分が掴んでいた。
「……何しているんですか、恭一郎兄さん」
絞り出した声が震えていたのを自覚した。走ってきた分の息の乱れか、自分の中の兄への畏怖の心か。両方だろう。
「…京之介くん、君も祭に来ていたんですか」
少し驚いたような声色の有理さんの方へ振り向き、頷く。
「えぇ、兄が有理さんに詰め寄っていたのをたまたま見掛けて。……兄がすみません」
「……京之介、か?」
有理さんに少し離れていてください、と頼み、兄の方へと向き直る。
真っ直ぐに正面、目を見開いて驚いている兄の方を睨む。こうして正面から顔を見るのは、お互い何年振りなのだろうか。最後に見た兄の表情は、俺が志望校に一度落ちた時の、呆れたような怒りのような表情だった気がする。
「いくら人目が付きにくい場所とはいえ、こんな所で喧嘩ですか」
「勝手気侭に家を出た愚弟が俺に説教か、笑わせる」
嘲笑混じりに掴んでいた手を払い除けられると同時に、自分が頬を打たれたのだと気付くのに少しかかった。有理さんに詰め寄っていた時よりも数段怒りの表情が見える兄は途端に口を開いた。
「お前が俺に口を出せる立場か?母さんに一方的に罵倒して家を出たらしいな。その後一切の連絡も寄越さないなど……。昔から何処まで俺達の足を引っ張れば気が済む!!篁の面汚しが」
ーー成程、そう言う経緯で話が伝わっているのか。
なるべく冷静に兄の言葉を聞こうと思った。昔から兄は一度頭で決めたことは頑として譲らない性格だ。俺自身もその気はあると思うが……大方母から事実とはやや違った話を聞かされているんだろう。
なんとも、昔から変わらない。
「…………」
「何をやらせても中途半端だったお前のことだ、行く当てもないから有理に泣きついて、今は適当な職にでも就いて、のうのうと過ごしているんだろう」
「……そんなことは、ありません」
「並んでその眼帯はなんだ!お前は昔から要領が悪い。仕様の無い理由で怪我でもしたんだろう?情けない」
ーー仕様のない怪我?この眼帯の下の穢れが…?
握る拳に思わず力が入る。
兄だって、先日の中区で起きたことは知っている筈だろうに。自分はさも関係がないとでも思っているんだろうか。
適当な職?皆死に物狂いで分霊に向かって、戦って。
あんなに大勢、罪のない人々が亡くなったというのに。
ーー何も、何も知らない癖に。
気がついた時には、俺の拳は兄の顔面を殴っていた。兄は油断していたのだろう、衝撃のままに地面に足を付けている。
「何も知らない癖に偉そうな口を!!中区の災害でどれだけの人達が、俺達の仲間が救護活動中に亡くなったと思ってる!!それが適当な職?ふざけるな!!」
「……ッ、この、」
「確かに兄さんには、俺達がしていることは理解出来ないだろうな!!自分達以外は屑だとでも言わんばかりで、安全な場所から自分より不出来な人間を見下してばかりのアンタ達には!!」
あぁ、やってしまった。高月に入って人として丸くなれたかと自分でも思っていたが、カッとなるとすぐ癖はそうは変わらないらしい。
頭と感情はとうにセーブ出来ていない。
「アンタ達に見放され何もなかった俺に、居場所と役割を与えてくれた場所が今の場所なんだ!アンタ達が見下し蔑むような俺でも、誰かを守ることが出来るんだと、認めてくれた。俺は今の場所に誇りを持ってる」
ーー正直、大勢の仲間が亡くなった時。合同葬儀に参列した時。一瞬怖くなった。
次にあのような大型の分霊が現れた時、俺は果たして生き残ることが出来るのか。穢れが残った状態が続いて、次にまた穢れが蓄積された状態で残ってしまった場合、自分はどうなってしまうのかと不安に駆られたこともある。
それでも、今の自分には頼もしい味方がいる。頼れる仲間がいる。彼等が共に戦ってくれるから、俺は俺のありのままで戦うことが出来る。
ーーそれを、誇りと言わずしてなんというのか。
息を整え、兄を見る。珍しく、表情に動揺の色が見えた。
……貴方みたいに、優秀で、誰からも認められていれば、今の俺は此処にはいなかっただろう。
昔は兄達に対して憧れもあった。尊敬もあった。
でも、今は。
「……篁家として、俺の存在が邪魔なのであれば、縁を切ってくれて構わない。……父さんと母さんにも、そう伝えてください……兄さんに、貴方達家族に認められなくても、俺は、俺の道を行きます。………今まで、迷惑をかけてすみません、でした」
兄に頭を下げることも、もう何年振りなんだろう。昔は、悔しさと申し訳なさでいっぱいだった。
でも、今は。
何故だか少しだけ、誇らしい気持ちになれた。
頭を上げ、兄から視線を離す。
有理さんにも謝らなければ。と向き直る前に、どうやら自分の後ろにいたらしい、とても驚いた表情の侑兎くんと目があった。
一瞬で我に返る。
「い、い、侑兎くん!!?!?どうして此処に!?!?」
「あ、いえ……突然走って行ってしまったので、追いかけてきたんですが……」
(……こ、この状況……どう説明したらいいんだろうか……)
もう、頭の中は侑兎くんに対しどう弁解すべきかで頭がいっぱいになってしまった。
余程困惑していたのが伝わったのだろうか、有理さんの方に顔を向けると、有理さんもやや困った様子で苦笑していた。
ーーーーーーーーーー