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    さくらい

    さくらい(@kkk_turnA)の企画用ログ。作業進捗もこっちに。自創作系は未定。

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    MEMO華軍 響志子丸の過去話メモ・母親が五社学園の出身で、志子丸と志之介も五社への願書が来た時には、それぞれ呼んで「行きたいのであれば止めない、けれど常に心してかかること」と教えられていた。実際入学した後、生と死が隣り合わせであることを思い知り、志子丸は相応に強くなろうと思っていたーー矢先に一人の女の子に一目惚れし、余計に奮起することになる。

    ・一年後に志之介が入学した時も、兄として懇々とこの学園がどういう所かと教えたが、「兄ちゃんが大丈夫やったら僕もいけるって。心配し過ぎやわ~」と志之介はいたって緩い反応だった。実際、志子丸よりも志之介の方が昔から要領もよかったため、学園生活も志之介の方が優秀のように見えた。

    ・半年後に、志之介が契約を結んだと聞いた。何度か見たことはある。同じ玉兎、少し口調が男勝りな女の子--笹喜だった。志之介は「笑いのノリが分かる相方」などと言っていたが、笹喜の方はどうも違う反応を見せていた。志子丸はなんとなく自分と同じやなぁ、志之介相手やと大変やなぁと思いながら自身は単身で戦っていた。相変わらず好きな女の子の所に会いに行きながら。

    ・3年生の春、夕方の下校時に志之介が神の襲撃により死んだ 1864

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    MEMO華軍 廻藤英路の過去話メモ・日本舞踊の家系。実家は玉兎。外館家とは長く親交があり、日和やその従姉も舞踊を習いに来ていたため、子供のころから仲は良かった模様。父親も元玉兎生だったが、英路が五社に入学の際、猯として組分けされたことに、家の空気がややどよっとしたらしい。同い年であった日和には同組でないことを嘆かれた。

    ・いたって真面目な生徒。もともと口数もそう多くはなく、部活やバイトもせず、実家に通って舞踊を学ぶ日々。その中で、1年の終わりごろ、相馬岳久という男と仲良くなる。学年は一つ上の先輩だったが、当時読んでいた小説の内容で意気投合したからである。そのまま契約という形で隣にいたが、2年生の秋頃、実家から自分の寮に帰る支度をしていた頃に、相馬から連絡があったことに気づく。
    折り返し電話を入れると、出た相手は、相馬の友人であった卯杏。そこで、相馬が神の攻撃により死んだことを告げられる。「相馬から連絡があったろ、どうして来なかった」と卯杏に電話越しに詰められる。相馬自身は、英路が頻繁に実家に通っていることは知っていたため、電話に出られなくても仕方ねぇな、という反応だった。それに甘えていたことは事実だが、いざ詰められる 1529

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    MEMO華軍 観浪巳暮の過去話メモ・旧姓・三枝 巳暮。両親の仲も良く、7歳の頃までは幸せの絶頂期。最後に両親と撮った写真は、小学校の入学式の写真だった。
    その半年後、父親の浮気が発覚する。しかも、浮気相手は父親の子を身籠っているという。そこからは両親の喧嘩が絶えず、結果として離婚し、母と巳暮は家を追い出される形となった。
    ・専業主婦だった母親だが、母実家とは仲が悪く、どこにも頼ることが出来ない状況下で、母親は生活の為に働きに出る。巳暮も手伝えることは手伝っていたが、やはり女手一つでは厳しかった。時折督促状が届いたり、見知らぬ人が家に押しかけてきたりと、巳暮には知り得ないことも起きていたが、巳暮が中学に入ってから2年が過ぎたころ、母親が病気にかかる。原因は過労とストレス。そして、その時に母親が多大な借金をしていたことを知る。せめて母親の病院の通院や薬代は俺が作る、と中学生ながらに新聞配達などをして少額ながらもバイトをして母親を支えていたが、焼け石に水程度。母親の病状が悪化し、入院を余儀なくされた。
    途方に暮れながら家に帰ったとき、一通の願書が届いていることを知る。五社学園からの入学願書。巳暮からすれば夢のような話だった。 3212