幕間の楓恒⑳ ふわ、と大きな口を開けて息を吐き出しながら丹恒はもそもそと布団から起き上がった。兄である丹楓の姿は既に隣には無く、務めを果たす為に何処かへ行ってしまったようだ。
まだまだ幼龍である丹恒は、今日はこれから何をしようかと首を捻る。
いつもであれば丹楓の後ろをついて歩いたり、丹楓の屋敷で本を読んだりとしているが今部屋にある本は全て読み終わってしまっているし丹楓は部屋にいないので今から追いかけることは難しいだろう。
丹恒が悩む度に尾がゆらゆらと揺れて布団にぺしぺしと当たった。
布団に当たる尾の音に釣られて丹恒は自分の尾へ視線を向けると、丹楓がいつも使っている机が視界に入ってくる。最近の丹楓は少し忙しいのかこの机に向かって疲れた顔をしていることが多い。
他の人はあまり気づいていないようだったが、丹楓をいつも見ている丹恒にはわかっていしまっていた。
そんな丹楓の為に何かしようと思いつき、丹恒は立ち上がると短い足を動かし部屋を抜け出す。
丹楓はどんなことをすれば喜ぶのか、丹恒には良い案が浮かんでこないが丹楓がよく一緒に居る人ならば何か知っているかもしれない。
この時間ならば、廻星港の辺りに誰かはいるはずだと一人きりで歩く丹恒を見つめる龍師の視線に気づかず、丹恒は屋敷を抜け出した。
いつもならば丹楓に抱えられて向かう道を一人で歩くと新しい発見がある。丹楓の視線では見つけられないところに咲いている花や草に、小さな穴があいた壁。どれも丹恒にとっては興味深いものではあったが今日はそれよりも丹楓の為に丹楓の友人のところへ行かなければと気になるものを見つける度に足を止めて、首を振って足を進めて、また止めるを繰り返してしまう。
そんなことをしていれば常より時間がかかってしまうのは当たり前で。丹恒が廻星港に着いた頃には数刻過ぎてしまっていた。
きょろきょろと丹恒は丹楓の友人の姿を探す。丹楓の友人は何度も会っているからすぐにわかるはずだ。
「あれ? 丹恒じゃないですか」
「丹恒? お前さん、一人なのか?」
「はくじゅ、おーせい」
少し歩いているだけで丹楓の友人の姿を見かけて丹恒は足を止める。白珠はきっと居ると思っていたが、応星も居るとは思っていなかった丹恒は驚いて尾をゆらゆらと揺らした。
「丹楓と一緒ではないのですか?」
「ん、はくじゅにききたいことがある」
「私に? 何ですかね?」
「おちび、足疲れてるだろ……と」
「―ッ! つかれていない」
丹恒を抱きあげようと伸びてきた応星の手を尾でぺしりと叩く。丹恒が丹楓以外に抱き上げられることを嫌がるのは今日が初めてではないので、応星は苦笑いをすると叩かれた手をひらひらと振る。
丹恒の小さな尾が当たったくらいではとくに痛くはない。これはもうこれ以上抱き上げるつもりはないという応星なりの返事であった。
「それで、聞きたいこととは?」
「たんふーをよろこばせたい」
「はい?」
「たんふーがよろこぶことがしりたい」
予想外のことを言われて首を捻る白珠と、面白そうだと口角をあげた応星が対照的に見える。うーん、と考え込んだ白珠とは逆に丹恒と視線を合わせるためにかがんだ応星は喉で笑う。
「お前さんがすることなら、彼奴は何でも嬉しいだろうよ」
「……なんでもはだめだ」
何でも良いでは、何がいいのか丹恒にはわからない。白珠ならばいい案が浮かんでいるかもしれないと視線を白珠へと移す。
「そうですね…丹恒が丹楓にしてもらって嬉しかったことをしてみるのはどうですか?」
「おれが……うれしかったこと?」
丹恒は大きな目をまぁるくして、瞼をぱちぱちと動かした。
「丹恒がしてもらって嬉しかったことなら、丹楓もきっと嬉しいんじゃないかと」
「! ありがと、はくじゅ……と、おーせい」
「いえいえ」
「待て、二人で送ってやる」
「……ん」
白珠のおかげで丹恒は丹楓にしたいことを心の中で決めていた。白珠と手を繋ぎ早く丹楓に会ってしたいと考えながら帰り道を歩くと行くときは興味のあった花や木は気にならない。
早く、丹楓に会わなければ。丹恒の頭の中はそれでいっぱいだった。
「……遅かったな」
「ま、そうなるわな」
丹楓の屋敷の扉に背を預けて丹楓が立っていた。応星はわかっていたかのように息を吐き出す。
「丹恒…、丹楓に言わないで出てきちゃったんですか?」
「? ………ん」
白珠の問に頷いて応えた丹恒は、手を解くと丹楓の元へ足を進める。じっとこちらを見つめてくる丹楓は何かを言いたそうにしているが、はぁ、と息を吐き出すと丹恒を抱き上げた。
「丹恒、一人で屋敷から出ていくことは今後してはならぬ。出かけるならば誰かを呼べ」
「…? わかった」
「丹恒の兄は心配性だな」
「……応星」
ぎろり、と睨まれた応星は丹楓の視線を気にしていないのか小さく笑うと白珠と共に来た道を戻っていった。
「たんふー」
「なんだ」
丹恒を抱き上げた丹楓はまだ怒っているのかいつもよりも声が冷たい。だがそれは丹恒を心配してのことだと丹恒はわかっていて、丹楓をぎゅ、と抱きしめる。
「……どうした」
先ほどまでの声とは違い、丹楓の声音は純粋に驚いているようだった。丹恒はそんな丹楓の声を聞いて尾も丹楓の腕に絡ませる。
「たんふ、さいきんつかれている」
「…急ぎのものがあったからな」
「つかれているたんふーのためになにかしたかった」
「……それが、これか?」
「ん、たんふーにぎゅ、されるのうれしいから」
「そうか」
丹楓は丹恒に自分が疲れていることに気づかれていたことも驚いたが、丹恒のされて嬉しかったことが丹楓に抱きしめてもらうことだとは思わず小さく笑ってしまう。
先ほどまで心配で怒っていたというのに今はそれよりも腕の中の存在が愛しい。
丹楓は自分の尾で丹恒の頬を撫でる。擽ったいのか、丹恒が小さく微笑んだ。
「部屋に戻るぞ、丹恒…もっと余を抱きしめてくれるのだろう?」
「ん!」