Heartfelt Memories(旧題:記憶は心の底に)③―コナンSide 12月―
商店街の福引で、蘭が東都水族館のペアチケットを引き当てた。「相変わらず、すげえな……」と思わずコナンは呟いてしまうが、その声は商店街の喧騒に紛れて、蘭の耳には届いていない。
礼を言ってチケットを受け取り、家へと向かって歩きはじめた蘭を、コナンは隣からそっと見上げた。蘭は嬉しそうにチケットを取り出し、まじまじと眺めている。ところが、チケットを見ていた蘭の表情がしだいに曇りはじめた。
「どうしたの? 蘭姉ちゃん」
「どうしよう……コナン君。このチケット、クリスマスまでの土日しか使えないんだって」
「そうなの?」
コナンは蘭からチケットを受け取る。そこには『土日限定!東都水族館のクリスマスにご招待』の文字があった。
「お父さんとお母さんにって思ったんだけど、今月は二人とも休日返上で仕事するって言ってたし……園子と私も、土日は全部予定が入っちゃってるし……ペアチケットだから、コナン君達に渡しても枚数が足りないし……」
悩む蘭の隣で、コナンはひとり呟く。
「土日限定となると……このチケットが使えるのは、九日、十日、十六日、十七日、二十三日、二十四日。……十日!」
日付を挙げていきながら、コナンはあることに気がついた。
「蘭姉ちゃん! このチケット、僕のお友達に渡してもいい?」
「でも、枚数が……」
「大丈夫! 二枚で足りるから!」
「そう? じゃあ、コナン君から渡してくれる?」
「うん! ここから近いから、今から渡してくるね!」
「ありがとう、コナン君。あんまり遅くならないようにね!」
蘭に手を振って、コナンは走り出す。
毎月、十日は、“あの二人”にとって、特別な日である。
そして“あの二人”にとって、東都水族館は縁のある場所だといってもいい。東都水族館に行けば、記憶を取り戻すための、小さなきっかけが生まれるかもしれない。そんな期待を抱いて、コナンは工藤邸へと急いだ。
そして、十二月十日の朝。コナンは東都水族館にいた。
あの日。コナンが赤井と降谷にチケットを渡しに行くと、「コナン君も一緒に行こうよ!」と降谷が言い出したのだ。コナンは断ったが、「いつもお世話になっているお礼に、コナン君のチケット代は赤井と僕で出すから!」と降谷が言い、あっという間にスマホでチケットを購入してしまった。
断れなくなった空気感にコナンが苦笑していると、赤井が「俺も零君も、東都水族館には行ったことがないんだ。案内してくれないか?」と言う。
二人が東都水族館を訪れるのはもちろんこれがはじめてではない。だが、記憶を失っている二人にとっては、はじめての場所となる。
ふと、コナンの脳裏に、ある懸念が思い浮かんだ。
もし行ったことのないはずの場所で、二人が記憶の一部を取り戻すことがあったら? 既視感だけであればただの錯覚だと思うかもしれない。だが、万が一、二人が記憶の矛盾に気づくことがあれば、二人の心身に何か異変が起きる可能性もある。
もしものときに備え、自分は二人を見守るべきなのかもしれない。コナンは考えを改め、「わかったよ。僕に任せて!」とこたえる。降谷は、「今月の十日は何をしようって考えていたところだったんだけど、コナン君のおかげで決まったね」と笑った。
土曜日ということもあり、入口はひどく混み合っていたが、入場すると自由に動き回れる余裕があった。まずは、海の生き物が展示されている場所へ向かう。想像していた以上に、赤井と降谷は楽しそうだ。パネルに書かれていないことまで説明しはじめる降谷に、周囲にいた人たちが感心した様子で聞き入っている。赤井は赤井で、「さすがだな、零君」と降谷を褒めたたえていた。赤井に褒められることがとても嬉しいようで、降谷は時折、照れたように頬を赤くしていた。
イルカのショーがはじまると、赤井、コナン、降谷の順で、左から順番に座る。歩いているときもそうだが、赤井と降谷は、必ず自分を真ん中にするのだ。今は中学生と小学生ほどの年齢差しかないが、もともとは大人と小学生ほどの差があった。そのときの感覚がまだかすかに二人の中に残っているのか。小学生である自分に何かあってはならないと思ってのことか。こんなとき、コナンは二人のことを根はやはり大人なのだと感じてしまう。
ショーが終わり、レストランへと向かう途中で、クリスマスらしい装飾の施されたエリアを通りかかった。大きなクリスマスツリーを中心として、様々な屋台が出ている。そのなかに射的を見つけて、コナンは思わず立ち止まってしまった。
「どうしたの? コナン君。射的の景品でほしいものでもあるの?」
「あ、いや……そんなんじゃなくて……」
降谷の前でひらひらと両手を振る。射的を見て、ライフルを持つ赤井を連想してしまったのだが、もちろんそれを降谷に言うことはできない。
「遠慮しなくていいよ、コナン君。どれがほしいの?」
「あ~、じゃあ……あの一番上にあるイルカのぬいぐるみかなぁ……」
うまく誤魔化すこともできずに、コナンは射的の景品を上から下まで眺めて、店が一番推しているであろうクリスマス限定カラーのぬいぐるみを指差した。すると、降谷がすかさず赤井に言う。
「赤井、あなたこういうの得意でしょう? 任せていいですか?」
降谷の言葉に、コナンは驚いた。降谷本人は、“気づいていない”。
「あ、ああ……」
降谷に言われるがまま、赤井がコルクの入った銃を手に取る。本物の銃弾が詰まれているわけでもないのに、コナンは緊張した。隣にいる降谷も、固唾を飲んで見守っている。
銃を構える中学生の赤井に、大人の赤井が重なって見えて、コナンは目を見開く。我に返ったときにはもう、銃から飛び出したコルクが、一発で景品を仕留めていた。
「すごい! さすが、秀一兄ちゃん!」
ありがとう! と礼を告げると、赤井はひとつ微笑んで、すぐに視線を下ろした。赤井の視線の先には、コルク銃の引き金を引いた自身の左手がある。降谷も降谷で、景品のぬいぐるみを受け取るコナンの隣で、何かを思案しているような様子をみせていた。
赤井も降谷も、しばらく何かを考えこんでいたが、次の目的地であるレストランへ行き、メニューを見はじめると、しだいにいつもの二人へと戻っていった。
昼食をとったあと、コナンは東都水族館のオススメのエリアへ二人を連れて行った。人が多いので待ち時間もあったが、会話が尽きることはなかったので、待っている時間も苦にはならなかった。
あっという間に夕方になり、そろそろ帰らなければならない時間となった。十八歳未満の子どもは、保護者の同伴がなければ夜までいることはできない。最後に大観覧車に乗ろうと降谷が言うので、コナンは二人と一緒に観覧車の待機列に並んだ。
十二月にしては暖かい陽気が零れ落ちている日だったが、陽が落ちはじめると、吹いてくる風も強く、冷たくなってくる。
ゴンドラに乗る前も一際大きな風が吹き、今にも飛ばされそうな降谷の帽子を赤井が手で押さえた。
「しっかり押さえていないと、また飛んで行ってしまうぞ」
「……え、ええ。そうですね」
また? 赤井の発言にコナンは引っかかりを覚えたが、ゴンドラに乗る順番が回ってきたので、コナンは歩を進めた。
ゴンドラの中で、赤井と降谷は隣り合わせに座り、コナンは二人と向かい合うように反対側の席に座った。ゴンドラの中は静寂に包まれていた。赤井も降谷も、視線を外に向けてはいるが、外の景色を楽しんでいるようには見えない。二人とも何か考え事をしているようだった。
ふと降谷が口を開いた。
「……赤井。過去に僕の前で射的をしたことってありましたか?」
「……いや、俺の記憶違いでなければ、なかったと思う」
「そうですよね」
続けて、今度は赤井が降谷に問いかけた。
「……零君。君は俺といるときに、帽子を風に飛ばされたことはあったかな」
「……いえ、なかったと思います」
「やはりそうか」
二人の会話に、コナンはどきりとした。失くした記憶を、二人は手繰り寄せはじめているのかもしれない。コナンは、「実は二人とも、ここに来たのははじめてじゃないんだよ」そう打ち明けたくなったが、声にはならなかった。
「僕達、疲れてるんですかね」
「……え?」
降谷の声に、コナンは目を瞬かせる。
「実は……今日が楽しみ過ぎて、昨晩ほとんど寝てないんだよ。赤井も僕も」
「そ、そうなの?」
コナンの目が点になる。それは本当のことなのかと一瞬疑ったが、降谷の発言を肯定するように赤井が言った。
「……実はこんなものを買ってしまってな。零君と二人で読み込んでしまったんだよ」
赤井の手には、『東都水族館を120%楽しむ!超ガイドブック』があった。度々忘れそうになるが、記憶を失くしている今の二人は、大人ではなく中学生――つまりまだ子どもだ。チケットを渡してからずっと、二人は今日この日を全力で楽しむために準備をしていたのだろう。そんな二人を微笑ましく思いながらも、コナンの心の中は複雑な気持ちでいっぱいだった。
コナンは小さく息を吐き、暮れゆく外の景色へと視線をやる。
コナンの視界の外で、赤井と降谷が真剣な顔をして互いの目を見ていたことに、コナンは気づかなかった。