【読切ドラロナ】tocană specială とある静かな満月の夜。ドラルク城にて。
「今日は君が好きな赤身肉が手に入ったから、私の得意料理であるシチューをこしらえてみたよ」
さあスプーンを持ちたまえ。
おかわりはいっぱいあるから、おなかいっぱいになるまで食べるといい。ただ、今日の肉は、かなり脂肪分が少なくてね。よくよく煮込んだのだけれど、硬かったらすまない。あとクセの強い香りがするから、いつもより香辛料を効かせてみたのだよ。
「どうかな? 退治人くんのお口に合うといいのだけれど」
そう言いながら、シチューの入った皿を満面の笑みを浮かべながら俺の前にサーブした痩躯の吸血鬼は、さあ召し上がれと促す。
俺は無言で皿を見下ろしつつ、机の端に置いたスマホが、さっきからずっとひっきりなしに通知音を鳴らし続けていることに気づき、視線を向けた。
ポップアップ通知が流れていくのをしばらくながめたあと、カトラリーを手に取り、吸血鬼を見遣る。
「………なあ、これ、なんの赤身肉なんだ?」
行儀悪くスプーンで肉をつつく。
俺の向かいの席に優雅に腰掛けた吸血鬼は、すぐに返事を寄越さなかった。ワイングラスにたっぷりと入った朱殷色を、口内へひとくちまねくと、すぐさま「……やっぱりくどいな……」と小さくボヤいたかと思えば、グラスを机の隅へと押しやる。ナフキンで口元をゆっくりと拭ながら口を開いた。
「なにって、君が好きな赤身肉だよ」
「……俺、好きって言ったことあるっけ?」
「言ってなかったけど、わかるよ」
「へぇ、そりゃすげぇな」
「だって他でもない君という大好きなヒトのことなのだよ? そんなもの、なんでもわかってしまうものさ」
「なんでも?」
「そう。なーんでも」
皿の上では、ごろりと大きくカットして煮込まれた赤身肉が、濃厚な赤茶色の液体をたっぷりまとい、蛍光灯を反射してテラテラと光っている。
そのわずかな間にも、スマホが震え続けて、何度も新しいメッセージが届いたことを知らせていた。
「…………まさか、なぁ」
「どうかしたのかい?」
「いや。お前はいつも、俺が食ったことねぇモンを出してくるプロだったよな、って思ってな」
「ははっ。大袈裟な。ごく普通のお肉のシチューだよ? ふだんの君の食生活がコンビニ中心だからそう思うだけさ」
いいから食べるといい。このままだと冷めてしまうじゃないか、と、俺に皿の中身を再び促した男は、己の前に新しい空のグラスを置くと、それにゆっくりとミルクを注ぐ。
俺はスプーンでつっついていた肉の塊を、赤茶色の液体と共にすくう。確かに香辛料がきつく香った。
グラスにミルクをたっぷり注いだ吸血鬼は、そこに血液を数滴垂らしたあと「そうだ」と弾むように言いつつマドラーを持った。
「ねぇ、ステーキも焼こうか? 実は丸ごと仕入れたから、たくさんあるんだ」
ただしステーキにするなら、なるべく柔らかそうな部位を吟味しなきゃな、と独り言のように言葉をこぼしながら、にこにこと笑う。
グラスのなかに入れられたマドラーが、ミルクと血液をくるくる混ぜている。
まるでいちごミルクのようだ、なんてことをぼんやりと思った。
ふと、短い振動を繰り返していたスマホが、長く震え出した。
四角い画面は吸血鬼対策課にいる腐れ縁の男からの着信を知らせている。
その間もポップアップ通知は際限なく新着メッセージを告げ続けていた。
送信先は吸血鬼退治人ギルド、吸血鬼対策課の知人、退治人専用の緊急速報アプリ、あとどこから嗅ぎつけたのか各種メディアの記者が続く。
『吸血鬼退治人レッド・バレット行方不明の件についての追記』
『緊急事態。レッド・バレットを大至急捜索せよ』
『特別警報。レッド・バレット行方不明。危険度Aの高等吸血鬼の可能性大につき厳戒態勢にて巡回せよ』
『レッド・バレット行方不明事件に関する取材のご協力お願いします』
俺はそれらをざっくり見たあと、スマホをズボンのポケットにねじ込んだ。
「……なぁ、ドラルク。丸ごと仕入れた肉ってどこにあるんだよ。どうせなら見てから食う部位を選びたいんだけど」
「いいけど……ロナルド君は、大丈夫なヒト?」
「なにがだよ」
「いや、ほら、スーパーに並んでいるような切り身の状態のお肉は大丈夫だけど、骨とか皮とかついたままだと可哀想で無理ってヒト、いるじゃない?」
「問題ねぇよ」
「そうか。ならば喜んで案内しよう。ついてきたまえ!」
吸血鬼は嬉々とした表情を浮かべると椅子から立ち上がった。
そのまま床に広がる闇を滑るようにこちらにやって来る。
「ふふっ。きっと君はとっても喜ぶと思うんだ。もしかしたら泣いちゃうかも」
込み上げてくる笑いを抑えられないとでもいう様子で、ドラルクがマントを口元にあてながら体を揺らした。
ついで「はやくはやく!」と、俺の手を握り、幼児のようにぐいぐいとひっぱって急かす。
そのまま手を繋ぎ、前を歩く男の足取りは、まるで踊るかのようである。
「そうかよ。そりゃあ楽しみだなぁ」
「そんなに楽しみにしてくれるのならば、苦労して手に入れたかいがあったってもんだよ」
弾む声を発しながら、振り返ることなく廊下を進んでいく高等吸血鬼の後頭部を見つつ、最悪を想定して、銃に込めた弾丸が残り何発だったかを、俺は思い出していた。