【読切ドラロナ】ドライヤーによる駆け引きは引き分け ある夜。ドラルク城にて。
帰城後すぐにお風呂で汗と泥をすっかり綺麗にした退治人くんが、どっかりとソファに腰を落とした。
いつもと変わらぬ黒いインナーとボトムスを身につけたスタイルで部屋に戻ってきた彼を見た私は、ミネラルウォーターのペットボトルを渡しつつ隣に腰掛け、常々思っていた疑問を投げかける。
「ねぇ退治人くん。なんでいつもドライヤーで乾かさないの?」
お湯も滴る美しい男は、手のなかにおさめたよく冷えた水のボトルを無言で開栓したあと、私の問いかけに対して、まるで独り言のように言葉を零した。
「……ドライヤー?」
「何その反応。まさか、君、ドライヤーを知らない……?」
「馬鹿にすんな。知ってるっつの」
「じゃあ、ドライヤーを使って髪の毛を乾かす方法を知らない、とか?」
名前や形状は知っていても、使い方を知らないことくらい、ままあるだろう。
レクチャーしようか? と申し出れば、物凄く不愉快そうに睨まれた。
「知ってる」
「なら脱衣所に置いてあることを知らなかったのかい?」
「それも知ってる」
「じゃあ使いなよ」
「……今すべてを忘れた」
「おいおい。面倒くさがるな。ほら、私がわざわざ手ずから持ってきてやったから、ここでちゃちゃっと乾かしたまえ」
マントの下からドライヤーを出してやる。だがしかし、びしょ濡れヘアーの退治人は、ミネラルウォーターをひとくち飲んだ後、肩をすくめた。
「ほっといたら乾くんだからいいだろ」
「それじゃあ良くないから言っているんだが? ちゃんと乾かさないと困るだろう」
「俺は困らない」
「私が困るの。生乾きのまま寝たりしたら、客間の寝具に雑菌が繁殖しちゃうじゃないか」
君がすやすや寝ている間に、濡れた髪から落ちた雫でしっとりと湿った枕やシーツは、吸血鬼という生き物が管理している以上、絶対に太陽光に当てて乾かされることはない。つまり、完全に乾燥することがないのだ。いくら頻回にファ○リーズやリセッ○ュをしようが、菌に強そうな洗剤で洗濯しようが、雑菌はどうしたって残るものである。九九.九パーセント除菌出来ても、完全なるゼロにはならんのだ。
ならば発生する原因はなるべく除去しておくに限る。
「菌の繁殖、ダメ! 絶対!」
「別に俺は何が繁殖していようが平気だぜ?」
「ばかもの。そのカビだのなんだのを掃除するのは誰だと思っているんだね。私が死ぬだろうが」
「さすが雑魚」
「喧しいわ。君は職業柄どんな劣悪な環境だろうと眠れるのかもしれないが、私は繊細なのだよ」
カビ菌が育ったシーツなんか見ようものなら、丸一日中死に続ける自信しかない。
自分を抱きしめて震えてみせた私に、退治人は『面倒くさい』をベッタリと顔面にはりつけたまま言葉を紡いだ。
「……自然乾燥で十分だろ」
きちんと乾くなら、このまま放置でも十分じゃねぇか、と君は言う。
「あのねぇ、そうやって適当にしてるとハゲるぞ」
強さだけではなく、そのヴィジュアルも売り物にしているくせに、それでいいのか君は。
必ずしもそうなる訳ではないが、寝具だけでなく頭皮にも雑菌が繁殖する場合がある。最悪毛髪が薄くなるぞと言ってやれば、しばし黙り込んだ退治人が、ついで貼り付けたように、にっこりと笑った。
「おい。そこの吸血鬼。ロナルド様の髪をドライヤーで乾かす栄誉をやるよ」
ハゲた退治人を想像して、それはみっともないとでも思ったらしい。
「そんな栄誉はいらないが?」
自分でやりたまえ、とドライヤーを押し付ければ、すぐさまこちら側に押し返された。
「やるっつってんだから、貰っとけよ。タダなんだから」
と言うと、私の返事を待つことなく、君はそこらへんにあった延長コードにさっさとプラグを差し込んだ。
その後「よっこいせ」の掛け声と共に私の体を跨ぐ。
ソファの上で向かい合わせになった状態で、私の体を両足で挟み込んだ君は、最後に私を囲うように背もたれに手を置いた。
その状況に、私はただただ目を見張るしかない。
「は? なんだね、この体勢。髪の毛を乾かせと言うのなら、後ろを向きたまえ」
「吸血鬼に背中を向けた挙句、首筋晒すようなことするバカな退治人はいねぇだろ」
「それはまあそうだけれども……」
「んだよ。こっち向きだと、お前にとってなんか不都合でもあんのか」
「……単純に乾かしにくい」
「そこはなんとかしろ、ザコ」
「ザコって言うなら普通に後ろを向きなよ」
「プロの退治人はザコにも気を抜かねぇもんだぜ」
「……そのザコに初対面で噛まれたくせに」
「──? 今からドライヤーじゃなくて、あの日のやり直しするか?」
「エンリョシトキマス」
瞬きするより早く、おでこのど真ん中にゴリッと突き付けられた銃口に、すぐさま双手を挙げれば「じゃあ問題ねぇな」と言いながら君が口角を上げながらこちらを見下ろす。
問題ないわけあるか。ありありのありに決まっているだろうが!
まったくこの退治人ときたら! こっちの気も知らないで!
私が君に懸想してるだなんて微塵も気づいてないからって、人の身体をなんともきわどい感じに跨いでくれちゃってからに!!
ほんと君って男は!!
だいたい他にいくらでも座りようがあったんじゃなかろうか。
この体勢はどう考えたって、君に一方的に思いを寄せる身としては辛いものがある。
あまりにも、近い。近すぎる。
だけれどこんなにも近いというのに、体重をかけて私が死なないように、彼の尻がギリギリ私の太腿に触れないように浮かされたままだ。その配慮が、もどかしい。
両手がソファの背もたれを掴んでいるのも、心がザワつく。
全て私が死なないための彼の気遣いなのだけれども、君と私の間にある僅かな隙間が、ひどく不愉快でたまない。
君にいくら手を伸ばそうとも、君と私の間には絶対に埋まらないモノがあるとでもいうようで。
それでも私は、永遠に君に手を伸ばし続けるのだけれど。
だってこの気持ちは簡単に諦められるモノではないのだ。
「んじゃ、ちゃちゃっとやってくれ」
「……う、うむ……って、ワーオ」
気持ちを切り替えて、彼の髪に手を伸ばすべく改めて視線を上げた瞬間、おもわず変な声が漏れた。
見上げた先に、大輪の解語の花があったからに他ならない。
この男の美しさは、至近距離で浴びるには、あまりにも強過ぎる。
こんなに鮮やかな青色の双眸は、見たことがない。
こんなにも美しさの頂点を極めたような貌なんて、二〇〇年以上生きてきた中で、見たことがない。
眩しさに思わず目を細めながら唸る。
「うーうー言ってないで早くしろよ」
「うぐぐ……したいのは山々なんだが、目を閉じてくれないかね」
「なんで」
「な、なんでって……その……乾かしてるときに髪が目に入ったら痛いだろう? それを想像して死にそうだからだよ」
適当な嘘をつけば、退治人は「なるほど」と頷いた。
素直に閉じられた双眸に、私はいつもよりワンオクターブは高い咳払いをひとつ。
あぁもう!! 目を開いてようが閉じてようが、とんでもなく顔が良いんだな、君って男は!!!!!
ドライヤーのコードを意味無く指で揉んで、激しい感情の波に耐える。
だが、視界いっぱいの君に、鼓動は加速するばかりだ。
伏せられた豊かなまつ毛。落ち着いた呼吸音。お風呂で温まったおかげで、ほんのりと色づく頬。
それと、静かに閉じられたままの薄い唇。
──あれ?
そういえばこれって、もしかしてキス待ち顔ってやつじゃないのかな……?
そう考えてしまった瞬間、私は耐えきれずに死んだ。
これは死なずにいられない。好きな子のキス待ち顔を見て鼓動が暴走しないやつがいるなら私が知りたい。
その後すぐに、私の手からぼとりと落ちたドライヤーが彼の足にでも当たったのか、そろりと目を開いた退治人くんが、
「……は? ……お前、なんで死んでんの……? ……やっぱ近付きすぎて、気持ち悪かったのか? それともワザとドライヤーしねぇで催促待ちして乾かして貰おうとしたの、バレてドン引きしたのか……?」
そうぼやいたあと、しばらくソファの上に散らばる塵に『の』の字を書きながら凹んでたのを、二時間後に再生した私は知らない。