夏4
あの日から1年。夏真っ盛りの、7月の下旬頃だった。あの日は普段よりも蒸し暑く、蝉が一段と煩かったのを覚えている。それも、今日はやけに静かに感じた。足元には蝉の死骸が転がっていた。
――――
『あっついなぁ……。』
「さっきから暑い暑い喧しわ……さっきアイス買ったやろ。」
『せやけど……暑いもんは暑いやん……。』
そんなどうでもいい話をしながらの帰り道。さっきじゃんけんで負けて買うことになったアイスはもうとっくに溶けていて、生温くなっている。
『こんなとこに公園あったんやな。』
「おー、俺もしらんかった。」
『……ブランコ乗りたい。』
「……暑いんやなかったの。」
『ブランコの前に人は無力や。あれはな……目が合ったら乗るしかないねん。』
「訳が分からん……。」
『ほら、行こ!』
「俺もう帰りたいわ……。」
何となく見かけた公園で遊ぶ。ちびっ子数人がサッカーをしていた。
ブランコなんて久しぶりに乗った気がする。小さい頃は全く気にしていなかったが、こんなに不安定なものだっただろうか。
「お前立ち乗りは危ないやろ。」
『良い子は真似しちゃダメやで。』
「お前、何目線なん……。」
何もしてない間もジリジリと太陽が照りつける。脳の奥の奥まで溶けてしまいそうだ。ちらりと横を見ると俺と同じ顔した片割れが、太陽に照らされてきらりと眩しく見えた。
『腹減ったわ。』
急に漕ぐのをやめた片割れは、唐突にそんなことを呟いた。なんてことの無いいつもの会話の延長線。
「……お前さっきから我儘か。」
『今日の夕飯なんやろなぁ。』
「ハンバーグ……」
『マジか!』
「……食べたい。」
『ちょっと殺意わいたわ。』
「理不尽やな。」
さて、と立ち上がる俺を見て、彼もブランコから飛び降りた。
『帰るか。』
「おっ、もう満足したんか。」
『ブランコ欲に食欲が勝った奇跡的瞬間や。』
「訳が分からんわ……なんやねんブランコ欲って……。」
公園を後にし、また家へと歩きだした。その時だった。子供たちが遊んでいたボールが道路に転がって行ってしまった。それを追う子供に近づく暗い影と、大きな音が――。
『あぶない!』
「――?!」
鉄の匂いと、スッキリしない夏の空気。不快な蝉の声が、サイレンと不協和音を奏でていた。
――――
「じゃ、またな侑。」
「おー、また明日な!」
チームメイトと別れた後に、ひとつため息をつき、今までは二人で歩いていたはずの道を1人で歩く。道はこんなに広かっただろうか。
「今日の夕飯何やろ……な、」
答える人は誰もいない。赤く染まり出した空と静かすぎる公園。電柱の近くには萎れかけた花束とアイツの好きだった缶ジュース。
またひとつ、ため息をつく。俺は3年生になっていたあれからもう1年は経っているのだ。
――――
「……ただいま。」
「おかえりなさい、侑。さっさと手洗っておいで。今日はハンバーグよ。」
「おー!ハンバーグ!サムも喜ぶやろなぁ。」
「じゃあ自分で食べる前に、治にも持ってってあげてね。」
「おー、分かったわ」
自分たちのよりも少し小さめのハンバーグ。こんなもんで足りるんだろうか。
(……まぁ俺じゃあるまいしな。足りるやろ。)
「……侑、持ってきたで。」
仏壇に飯を置いてやる。
「なぁ、ツム。」
遺影に映る自分の顔は、何を問われても、清々しい笑顔のまま。まるで今日の暑さなんて全くものともしないような。
「俺、本当にこれで良かったんよな。」
今までずっと一緒にいた彼はもう既にここにはいない。もう話すことも、顔を合わせることもできない。
「俺、ちゃんとお前みたいに笑えてるんかな……?」
宮侑は語りかける。
「もう1年も経ってんのに、いつまでもお前に縛られてる俺はなんなんやろなぁ。」
しばらく沈黙が続く。
「……また後で、飯取りに来るからな。」
――――
パタン、と扉が閉まる。
『……ほんっと、阿呆やなサムは。』
あの日ほんとに死んだのは宮侑だった。生きているのは、宮治の方だ。
『……俺もあいつが先に死んだら、お前に成り代わってたのかもしれんな。』
あいつの気持ちはよくわかるような気がする。耐えられない気がするのだ。生まれてこの方ずっと一緒だった片割れが急にいなくなってしまう喪失感。いっその事、そいつになってしまえたら、なんて。
『阿呆サム。』
音にならない言葉が、部屋の空気に溶けて混じった。外では蒸し暑い夜の闇に何事も無かったかのように蝉が鳴いていた。