有情たちの夜.17「枠の外へ5_5」 残念ながらローレンツはテフが嫌いなのだ───いつだったか定かではないが、寝物語にフェルディナントが語ってくれたことがある。戯れに、褥を共にしているのに他の男の話など、とヒューベルトが返したらフェルディナントはなんともいえない顔をしていた。
親友であるフェルディナントにテフを振る舞われた時もこんな風に笑みを浮かべていたのだろう。態度は友好的に、だが口にする意見は明確でなくてはならない。ゆっくりと口角をあげ、ローレンツはヒューベルトに微笑んでみせた。見るものによっては妖艶、とすら感じるかもしれない。彼は確実に名家の嫡子として教育を受けて育っている。
「奴と僕は断じて、友人などではない」
紋章石絡みの話題が出た時と違い、声が上擦るようなことはなかった。だが、その芝居が続く限りは旧同盟領の安全が保たれる。ローレンツは何重にもクロードに守られていて───フェルディナントの言うとおり、その奥にはきっとクロードの感情が秘められているのだ。
フェルディナントは顔をしかめている。彼は感情表現が豊かな方だが、勿論、他者の視線があるところではこんな顔をしない。これはヒューベルトに心を許している証だ。
「では、そういうことにしておきましょう」
帝国は近々、本格的に鎖国政策を取りやめるのでクロードの策に乗ったところでエーデルガルトに損はない。フェルディアの民は食わせてやらねばならないし、あれで外国や異教徒に対する嫌悪感が和らぐなら結構なことだ。クロードは首飾りの向こうから変わりゆくフォドラを見つめている。
感情というものは実に身勝手で現実と折り合いが悪く、自分の理性とすら調和がとれない。ヒューベルトの感情にとって、この件で何よりも重要だったのは闇に蠢くものたちが損をしたことだ。
実際はどうだか知らない。だがアランデル公と名乗るものの手の中で、フェイルノートが壊れたさまを思うとつい、笑いが込み上げてくる。だからベレスに誓いを立てたことは正しかったのだ───感情がヒューベルトにそう、訴えかけてくる。
事前にフェルディナントが言っていた通り、現状の説明を繰り返すだけでヒューベルトがさっと退いた。クロードはここまで予想してファーガスの民を人質に取ったのだろうか。ローレンツは自分の民ではない人々で賭けに出る、彼のやり方に幻滅せねばならない。心に一筋の傷が走ったような気分になったが、フェルディナントは喜んで構わないのだ、と主張する。
「しかし、知らなかったこととはいえ、フェイルノートの件は大問題だ。レスター地方だけの問題ではない」
ローレンツは横目でフェルディナントを眺めた。自分が何を言おうとしているのか、を察した親友が喜びに頬を染めている。レスター〝地方〟と口に出す時に痛みも感じて構わないのだろうか。ヒューベルトもローレンツの言葉を待っていた。
「英雄の遺産はフォドラの至宝だ。政務の合間に僕も本物の紋章石を探してみても構わないだろうか?」
ヒューベルトはフェルディナントを見て目を細めている。フェルディナントは実に上手く立ち回ってくれた。彼が親友を弁護する、と公言したらローレンツを疑うものたちは彼に拮抗する人物を引っ張り出さねばならない。実際は因果が逆なのだが、大抵の他者はそう誤解する。
きっと、彼らは自分らしくないことを実現したいときに互いの印象を利用しあっているのだ。ヒューベルトがクロードにどんな感情を抱いているのかローレンツは知らない。
「よろしいでしょう。ゲルズ公にも話をつけておきます」
形式を守るための馴れ合いに過ぎない、という謗りは甘んじて受けるしかなかった。クロードにまつわる噂は多種多様でどれも説得力がある。だがこれでローレンツは帝国の公式な見解を知ることができた。彼は国外で生存していてこのフォドラに干渉しようとしている。
どこまでも真っ直ぐなローレンツの親友はこれでおしまい、とばかりにファイアーの呪文を唱えた。湯を沸かし、嬉しそうに茶葉を取り替えている。フェルディナントがどこまで計算していたのか追及するほどローレンツもヒューベルトも野暮ではなかった。