家出息子たちの帰還.2───ダスカーでは巫者は大まかにふたつに分類される。精霊や神と交流を持つ力に恵まれたものたちと儀礼や占いや医術を学んだものたちだ。真偽の判断がつけにくいにも関わらず、前者の方が評価が高い。
手元で再現できる技術に絶望したものたちが巫者に頼るからだ。(中略)計り知れない神秘の力にすがる人々を愚かだと断じるのは容易い。ただし真偽の判断がつかない領域はよからぬものが参入してしまう───
平地にあるフェルディアと山中にあるガルグ=マクは寒さの質が異なる。空気が乾燥していて風が強いせいかフェルディアにいる時より喉が渇きやすい。蝋燭の心許ない灯りに照らされながら、ディミトリは水差しから杯に水を汲んだ。どちらも銅製なので陶器や硝子と違って砕けることがない。不注意で歪めてしまってもドゥドゥに直してもらえる。
とくとくという軽い水音に死者の声が練り込まれている。《首を、悔しい、仇を討て、どうして》最後のどうして、だけはフェルディアにいても掴めない。ディミトリの士官学校進学に関して宮廷では意見が割れた。王位に空白が生じてしまう。だが今はガルグ=マクにいる。
冷え切った水を勢いよく飲み込むと喉が鳴り、愛しい人々の声は消えた。不調法は後で詫びるとして、彼らの声で耳が満ちる前にあたりの音を探らねばならない。寮内はやっと消灯時間を迎えた。これでようやく書庫を自由に漁ることができる。
不意に扉を叩く音がして、自分でも馬鹿らしいほどに脈が乱れた。中央教会はディミトリを害さない。
「ディミトリ、夜遅くにすまない」
「演習の件か?」
そうだ、という返事を聞きながらディミトリは扉を開けた。廊下には寝巻きの上に上着を羽織ったクロードが立っている。彼は手で二の腕を擦っていた。
「大袈裟だな……そんな状態で明後日野営は大丈夫なのか?」
「いや、野営なら火が焚けるからましだ」
実際の戦場では敵の目を掻い潜るため火が焚けないことも多い。クロードはきっと初陣もまだなのだろう。
「目を通して署名したら明日中にアロイスさんに渡してくれ」
クロードが差し出したのは演習の際に護衛を担当する騎士たちの名簿だった。既にエーデルガルトとクロードは署名を済ませている。
「思ったより少ないな」
「だよなあ、俺たちはともかくエーデルガルトがいる。ヒューベルトが苦情申し立てをしてないのが意外だ」
ディミトリ個人だけで言えば特に問題はない。膂力で解決できる分野ならブレーダッドの紋章を持つものたちはある意味無敵だ。しかし世界は複雑で息苦しい。
「帝国領だからかもしれない」
納得したかどうかはともかくクロードはなるほど、と言って部屋を去った。
ディミトリはクロードと同じく夜になると部屋を抜け出し書庫へと向かう。シルヴァンも主君に倣って夜になると部屋を抜け出すが、行き先は将来の主君と違ってじつに多彩だ。きっと起こす揉めごともさぞ華やかなことだろう。
それはさておき、ブレーダッドの紋章を受け継ぐディミトリはクロードと違って危険から身を隠そうとしない。彼は己の影響力を最小限に抑えたい時にだけ身を隠す。書庫で何を手に取っているのか、今はまだ知られたくないのだ。
修道院を巡回している騎士の足音がする。ここの騎士たちは悪意がない。それだけでクロードは優しく顎の下をくすぐられたような心地になった。母国の王宮ならこうはいかない。
彼らが手にする松明に照らされぬよう、クロードは黒い外套の頭巾に三つ編みを押し込んだ。月明かりも届かない物陰からそっと様子をうかがう。暗所からは明るい場所がよく見えるのだ。清廉潔白さを表す白い外套に身を包んだ騎士たちは歩調を崩すことなく去って行く。
近々、全員で参加する野営訓練もあることだし引き際が肝心だろう。巡回をやり過ごしたクロードは物陰の中で大きく溜息をついた。ディミトリの調べものにはどんな意味があるのだろう。
夜更け過ぎに寮に戻ると隣室から微かに灯りと声が漏れていた。ローレンツは声を抑えているつもりらしいが、建物の造りや地声の大きさのせいで上手くいっていない。聞き取れるのは今、廊下にいるクロードくらいかもしれないが。
───絶えざる御助けの女神よ───を去って身許に召された───のために祈り求めます───憐みが豊かに与えられますように───
どうやら彼は誰かを悼んでいるようだった。意外だった。レスター諸侯同盟の円卓会議に参加する諸侯たち世俗的で宗教を利用すべきもの、としている。領主としてはそれが正しい。民草の倫理観まで領主個人が責任を取るのは負担が大きいからだ。宗教者とは互いに棲み分けて付かず離れずという状態が望ましい。
クロードは外出を悟られぬようローレンツの声に合わせて扉の把手に手を掛けた。