家出息子たちの帰還.11───魂の抜けた身体は御者のいない馬車に例えられる。馬はあちこち好き勝手に走り回り、方々にぶつかり馬も傷つく。そのうち御者がいないことに気づいた悪霊が馬車に乗り込む。一方で巫者は御者に例えられる。自らの意思で魂を抜いた身体に精霊を憑依させるからだ。だが巫者の内なる世界で何が起きているのか、は彼らを外部から観察するしかない余所者が客観的に判断するのは不可能だ。───
日頃は施錠されていて出入りの許されない女神の塔はわざとらしく鍵が外されていた。修道院の粋な計らいだろうか。クロードは少し離れた場所から、散り散りに塔へ向かっては見つからないように出てくる学生たちを眺めた。結果として入れ替え制になっていることに皆が気が付かないのは見つからないように必死だからだろう。意識はお相手に集中しているので前後に誰がいたのか、など考えもしない。
もう少し近寄れば顔も分かるだろうが、そこまで近寄ると人目を避けたい二人がクロードに気がついて塔に入らず去ってしまう。クロードは特別な、今晩だけの時間潰しとして塔の入り口付近にある物陰に一人で隠れることにした。それにローレンツに見つかれば先ほどの件で叱言を言われるに決まっている。早寝な彼が眠ってしまうまで時間を潰した方がいい。寝て起きれば怒りも薄まっているはずだ。
束の間の自由を楽しむ鳥籠の鳥たちは本当に終生その相手を愛するのだろうか。クロードのどこか他人事な態度は早々に崩れることとなった。長身で性根も髪の毛も真っ直ぐな人物が塔に向かって歩いてくる。
自分とあんなことをした彼が相応しいと認定した女学生は誰なのだろう。自分から均衡を崩したくせにクロードの心はざわめいていた。ローレンツは通路の真ん中で辺りを見回している。人目を避けているのか、それともお相手が来るのを待っているのか。
今晩は舞踏会にいた学生たち誰もが歩みを進める夜なのかもしれない。それならクロードはどこに向かっていくのだろう。そして事態は思わぬ方に進んだ。ローレンツがこちらに近づいてくる。
「悪趣味だぞ、クロード」
影がさしていて彼の表情はよく見えなかった。
「おいおいローレンツ、俺のこと構ってる場合か?お相手のことを考えろよ」
吹き出た冷や汗が背中を伝っていく。口から出まかせはいくらでも出てくる。故郷ではそうやって危機を回避してきたからだ。だが一体、何の危機というのだろう。単なる色恋沙汰に過ぎないのに。
「全く……君は自分だけが指し手だと思っているようだ。場所を変えるぞ」
ローレンツは眉間に皺を寄せたままクロードを睨みつけた。
クロードが舞踏会を引っ掻き回すところをローレンツは呆然と見つめていた。彼は何故、自分の前であんなことをするのか。耳目が集まるような場であんなことをするなら何故、コナン塔から帰還した後であんなことをしたのか。曲が終わったらすぐにクロードの元へ行って───何かを言わねばならない。そう考えて黄色い外套を目で追っていたローレンツは後ろからそっと肘を掴まれた。それが振り払えないほどの力であったので誰なのか察する。
「喜んでお相手するよ」
ローレンツは振り向いて右手を胸に当て、ヒルダに礼をした。次の曲が始まり、大広間の真ん中に二人で手を取って踊り出る。皆、音楽と相手に夢中で密談するにはもってこいだった。
「ローレンツくん、また騒ぎを起こすのは駄目だよ」
くるくると回りながらヒルダが忠告してくる。二つ結びにした薄紅色の髪がすれ違うものたちにぶつからないよう、ローレンツが進行方向を調整せねばならない。
「何もかもあの調子でいくと思わせたくない」
「試してもらいたいことがあるから今は堪えてくれるかなー?」
彼女がそう言った時は半信半疑だった。しかしローレンツが数曲踊った後、確かにクロードはヒルダが誘導した通りに先に引き上げていた。
真の事情を知らないヒルダは単に友情と善意ゆえにローレンツの名誉を救ってくれたに過ぎない。そんな彼女の手のひらで転がされたことが信じられないのだろう。寮に戻る道中、種明かしをされたクロードはローレンツの部屋で頭を抱えている。
「いや、本当に油断禁物、だな……」
「周りのものたちを甘く見るな。ヒルダさんに悪趣味な好奇心を見抜かれていたではないか」
恥ずかしさは底を打ったのかクロードは顔を上げた。言うべきことを言おうとする姿は年相応で可愛らしい。
「不安な思いをさせて悪かった」
ローレンツは今後、この口からこの類の言葉を何度も聞かされそうな気がする。
「分かっているなら結構」
そして聞かされる度こんな風に返事をするのだろう。女神の塔に現れた自分を見て、ひどく不安そうな顔をしていた時点でローレンツはクロードのことを許していた。