家出息子たちの帰還.18───葬られなかった死者は悪霊になってしまう。死んだ場所で鬼火となって現れ、音を立て近くを通るものを脅かす。闇の中や人気のない場所で聞こえる不気味な音は悪霊が人間を脅かすために立てている。居場所によっては人間を森の中で迷わせたり水中に引っ張り込み、小枝や石を投げることもある。(中略)これらの悪霊を封じるため像を作る際には紐を必ず巻く。悪霊が紐をつたって像の中に入り込むからだ───
ゴーティエ領にもファーガス公国からの使いがやってきた。イングリットやフェリクスは何日か早く、この茶番を済ませたのだろう。先ほどは可及的速やかに使いを政庁から叩き出した父だが───執務室にシルヴァンしかいないせいか流石に肩を落としている。
「殿下をお探しせねば」
それは身柄なのか亡骸なのか。シルヴァンは虚ろな目をした父にそこを問うことはできなかった。
ガルグ=マクで再会したディミトリは亡骸ではないが健在である、とも言えない。ただひたすら壊れている。エーデルガルトの首を求めてフェルディアから南下していくうちにガルグ=マクに辿り着いただけだ。しかしそれがあの約束の日と重なったことこそが奇跡なのだ、とシルヴァンは思っている。クロードやリンハルトは否定するだろう。
ギルベルトとベレトは辛うじてディミトリと会話が成立するが、他のものとは基本的に会話が成立しない。大聖堂に佇むディミトリに珍しく話しかけたイングリットの頬には涙が伝っていた。騎士でありたいと願う彼女は滅多なことでは涙を流さない。
「殿下が珍しく微笑んでいらしたから話しかけたの。そうしたら"グレン、イングリットと話すのは久しぶりだろう"って……」
暴言よりも更に酷い。フェリクスならきっと右の頬を殴っただろう。左目に映る現実はディミトリの脳内で像を結ばず、失った右目に映る過去は像を結んでいるらしい。シルヴァンはそっと手巾をイングリットに差し出した。気の利いた言葉がかけられずとも思いやりを示すことはできる。
しがらみのないベレトや辛うじてディミトリと会話が可能なギルベルトにシルヴァンは感謝していた。だがセイロス騎士団のものたちと合流できてしまったせいでディミトリの妄執が強化されている。大司教を探すために帝国に侵入したい彼らの思惑と敵討ちが合致してしまったからだ。
耐えきれなかったイングリットが去ったあともディミトリは相変わらず死者と話している。彼女の新しい髪型を褒めているのは一体、いつの誰なのだろうか。
アミッド大河の向こうから使いが来る際は政庁に緊張が走る。だがローレンツは彼らと顔を合わせたことがない。直接相手をするのは父のエルヴィンだけで、嫡子として彼らとどんなことを話したのか知りたい、と聞いてもはぐらかされてしまう。
「父上、僕にどこか欠けたところがあるのでしょうか?」
ある晩、耐えかねたローレンツは書斎で書き物をしていたエルヴィンに問うてしまった。年下のクロードは盟主として責務を果たしているのに自分はまだ大人として扱われない。だから彼の隣に立つことが許されていない。
「彼らにお前の顔を覚えさせたくない」
エルヴィンにじっと見つめられたローレンツは困惑のあまり何度も瞬きをした。貴族社会においては顔は広ければ広いほど良い。人脈を広げておけば様々な局面で有利になる。
「どういう……ことでしょうか?」
「ローレンツ、お前が人の姿を奪う怪しい輩がいる、と私に教えてくれたのではないか」
想像もしない答えだった。確かに長年コーデリア家に仕えた後にガルグ=マクへ移ったトマシュもオックス家のモニカも顔を奪われ、死後に名誉を傷つけられている。
「では何故、父上が彼らを歓待なさるのでしょうか?領主である父上こそグロスタール領の要です」
父の名誉が傷つけられる、と考えただけでローレンツは怒りに震えてしまう。モニカの顔を奪ったものの振る舞いはそれほどまでに酷かった。
「私はもうとっくに顔を知られているからな。ローレンツ、お前が領主になったら今度はお前が弟や妹の盾となるのだ」
「未来の話はともかく、それでは当分の間は父上お一人が危険ではありませんか」
エルヴィンは親指で立襟に守られた己の喉にそっと横線を引いた。本来なら信じられないほどの無作法なのでローレンツと書斎に二人きり、という状況でなければそんな仕草をしなかっただろう。
「こんな時代だ。我々名誉ある貴族は命の使い所を考えておく必要がある」
父の指が描いた直線のせいでローレンツの背中に冷や汗が伝っていく。領民及び領地の安全と己の首が等価となるようローレンツは今後も研鑽の日々を送らねばならない。
ツィリルはギルベルトやセテスにくっつく形でガルグ=マクに帰還した。敬愛する大司教レアの姿はないがいつ彼女が戻ってきても迎え入れられるようにしたい。そんなわけで日々、瓦礫を退けて屋内を修繕しているが圧倒的に人手が足りない。
大聖堂にディミトリが佇んでいた。ギルベルトやメルセデスのように祈るわけでもなく、ただそこにいる。まるで抜け殻のようだ。抜け出た魂は今頃どこを旅しているのだろう。彼の希望通りにエーデルガルトの下に飛んでいって、魂が肉体を呼ぶからセイロス騎士団の提案に乗ったのかもしれない。正気を失っているから王都を放置出来るのだ。
ギルベルトからディミトリに近寄る際は一声かけてから、後ろや右側から近寄ってはならない、と注意されている。不注意で近寄ってしまった修道士は利き腕の骨を砕かれたのだという。まるで儀式中の巫者のようだ、とツィリルは思った。霊を下ろしている最中の巫者に迂闊に触れると双方の体格に関係なく弾き飛ばされてしまう。
帝国軍の攻撃で開いた穴から光が大聖堂に差し込んでくる。セイロス教の女神はあんなに信心深かったレアを救わなかったくせに壊れた説教檀やディミトリを優しく照らす。座面が折れた椅子をいくつも分解しているツィリルも同じ光の下にいる。それがなんだかひどく腹立たしい。
「ツィリル、新しい板を持ってきた方がいいかしら〜?」
ぼんやりとしていたツィリルはメルセデスが近寄ってきたことに気づかなかった。
「いや、結構大きいのが何枚もいるから……」
メルセデスはツィリルの視線を辿ってディミトリの後ろ姿を見つめた。彼女は今のディミトリに何を見出すのだろう。
「学生の頃なら一人で何枚も、軽々と運んでくれたでしょうね〜」
「でも必ず何枚か指の力で割ってたよね」
だから実際に頼りになったのはドゥドゥーだ。ガルグ=マクに暮らす外国人同士、命を捧げても構わない存在がいるもの同士、彼とツィリルの間にはふんわりとした繋がりもあったように思う。ディミトリの魂は肉体を離れてしまったのなら、ドゥドゥーの元へ向かうべきだ。きっと彼ならしっかりしろとディミトリをたしなめたはずだ。