有情たちの夜3.「枠の中1_7」 春の日差しの中、礼服に身を包んだ学生たちが大聖堂に集まる様をヒューベルトは他人事のように眺めていた。今となっては遠い昔のように感じる。実りある一年を過ごして欲しい、と語るレアの言葉に吐き気を覚えた。
「ではまず一年のはじめである春から、話していただきましょう」
「春が一年の初め?誰がそんなことを決めたんだ?暦に対する違和感は今も残ってるぜ」
クロードはもう隣国出身であることを隠そうともしない。ヒューベルトも夜目が効く方だがそれでもあの時の彼が何故あんなことが出来たのか、本当に謎だった。クロードは答え合わせの機会など与えてやる気はなかっただろう。
先ほど意識を失ったクロードの身体を検めた際、ゆったりとした袖の中にフォドラで禁じられている遠眼鏡を見つけた。レンズが縦に並び、フォドラで流通しているものよりもはるか遠くを見渡せる。星を見て方角を把握していたから彼はあの時、駆け出せたのだ。
「ぼろを出さずに済んだのは結構なことですな」
「春と言ったら先生だろ、盗賊から俺たちを救ってくれた」
あの時、コスタスが依頼通りクロードかディミトリの殺害に成功していたら中央教会やセイロス騎士団の権威は権威は失墜していただろう。
「偶然ですかな?」
「おいおい、ルミール村は帝国領だろう?それに先生はエーデルガルトを選んだ」
オズワルド公の手の者───もっと言うならばパルミラの密偵がいた、と言うわけではないらしい。ヒューベルトは偶然というものに頼りたくなかった。だが五年間膠着していた状況が彼女の復帰で動き始めている。現に同盟領は今や帝国のものだ。
「当然のことです。貴殿たちよりエーデルガルト様の方があらゆる面で優れておいでですので」
「度胸があるのは認めるさ、それに俺より確実に頑強だ」
クロードはわざとらしく手首に巻いた鎖を引っ張っている。エーデルガルトではないから引きちぎれない、と訴えかけているのだ。本当に彼を生かしておいてよいのか───実に疑わしい。
あの節にあの課題を与えられたのが金鹿の学級ならどうなっていただろうか。クロードはこれまでその件について考えてみたことがなかった。ハンネマンやマヌエラがいればデアドラを守れたか、と言えばそれは違う。だがコスタスならばベレスがおらずと、も当時のクロードたちだけで何とかなったのではないかと思う。
国境付近には密猟者や旅人を狙った盗賊が出る。クロードは村の者たちが自警団を雇っているのではないか、と咄嗟に思いついた自分をこれまでずっと褒めてきた。しかし手首に鎖を巻かれている現状を鑑みるとしくじったような気がしてならない。苦々しいことにベレスとエーデルガルトの火力にしてやられたのだ。ミルディン陥落までは計算の範囲内で、陥落した時に備えてクロードはグロスタール伯にちょっとした依頼もしてあった。だがそれもデアドラを守れたら、という条件つきだったのだ。
野営の訓練中に他国の者たちを捨て石にして、金鹿の学級の者たちだけを助けていたら今こんな風に手首に鎖をかけられていただろうか。クロードはつくづく己の甘さ、いや、全方面に対して取り繕おうとしたことが嫌になった。エーデルガルトのようになりふり構わない者に敵うわけがない。
「話を続けるとしますか」
学生時代より髪を短くしたヒューベルトは記憶力に自信があるのか何も書き留めずひたすらクロードを観察している。
「あのあと確かエーデルガルトたちはザナドへ行ったんだよな。あそこは一体、何が赤いんだ?」
五年前、課題協力でザナドに行ったローレンツが首を傾げながら帰還してきた。岩も木の葉も別に赤くなかったらしい。それなのに何故、ザナドは昔から赤き谷と呼ばれるのだろうか。素朴だが大切な疑問であるような気がした。
「……とりあえず盗賊の血で赤く染まりましたな」
現にヒューベルトはほんの少しだけ言い淀んだ。どこまで明かすのか迷っているのかもしれない。
「その前から赤き谷、なんだろう?誰の血で染まったから赤き谷なんて呼ばれるようになったんだろうな」
名付けには意志が表れる。ザナドを見て赤い、と感じた者が居たのだ。