江澄が雲深不知処に着く頃に雨が降り出した。
藍曦臣は山門で待ち構えていて、小雨の中を二人で寒室に急いだ。
寒室にはすでに火鉢が出されていた。
濡れた外衣を脱いで、かごにかぶせて乾かす。
「どうして、迎えに来ていたんだ。あなたまで濡れることはなかっただろう」
「空を見ていたら御剣するあなたが見えたもので、つい」
藍曦臣は「とりあえず」と江澄の肩に白い衣をかけて、火鉢のそばに座らせると、自分は茶の用意をしに出ていった。
衣からは白檀の香りがする。
江澄はしかたなしに座って待つことにした。
夕暮れの雨は外廊を濡らし、時折、屋根から滴ったしずくがぱたぱたと音を立てる。
「少しは温まりましたか」
藍曦臣は戻ってくると、手際よく茶を蒸して、江澄に差し出した。茶碗を手に取ると、じわりと手のひらが熱くなる。
「まあな。あなたも、もう少しそばにきたらどうだ」
茶を口に含むとさわやかな香りが鼻を抜けた。
火鉢は江澄の傍らにあり、卓子を挟んで座す藍曦臣が暖を取れているようには思えない。
藍曦臣は微笑んだだけで動こうとしなかった。
しばらく、沈黙が続いた。
このところ、藍曦臣は妙だ。会うとなると、すぐに抱き合ってばかりいたはずなのに、今日もこんなふうに茶を用意して、触れてくる気配がない。伏し目がちにして、視線も合わない。
興味が失せたというなら呼び出さなければいいのに、と思う一方で、文があればのこのこやってきてしまう自分が恨めしい。
「おや」
ふいに藍曦臣が顔を上げた。
窓際に立つ。
黒髪に沿って流れる抹額の白さに、どきりとする。
「みぞれになりましたね」
そういえば音が変わった。重たい音が耳に響く。
「もう、冬の支度は済んでいるのか」
「ええ、先日。皆で野菜を漬けました。きのこも干して、あとは豆を仕込めば終わりです」
「たくわえは十分にあるのか」
「おかげさまで、今年はよく採れました」
藍曦臣は座に戻ってきて、また茶を飲む。
蓮花塢でも、少し前に収穫の祝いとして豚をつぶした。魚も塩漬けにしてから干した。鶏はよく太っていて、きちんと卵を産む。小麦も米もたくわえがある。
秋はせわしい。それが一段落するころには、もう冬の入り口だった。
「忙しいのに、こんなことをしていていいのか」
藍曦臣がようやく江澄を見た。驚いたように、軽く目を見開いている。
今度は江澄が目をそらした。言う必要がないことを言った自覚はあった。これで「そうですね」と言われたら、自分はどうする気だろうか。日暮れである。みぞれの中、帰れとは言われないだろうけれど、むしろその時はいたたまれなくて帰らざるを得ない。
急に手を握られて、江澄は驚いた。
いつの間にか藍曦臣が傍らに膝をついていた。
「こんなこと、ではありません」
「え……、っ!」
強引に引き寄せられて、口をふさがれた。ぼんやりとあたたまってきていた体が、沸き立つように熱くなる。
藍曦臣はひとしきり江澄の口内を味わってから、江澄の手を引いた。
「来てください」
牀榻に向かいつつ、江澄は揺れる抹額を見つめた。
(こんなことではない、とは、どういう意味だ)
牀榻には掛布が何枚も用意されていた。藍曦臣は毛織物の一枚で江澄をくるむと、するりと帯紐を解いた。
江澄は口をつぐんだままだった。