煙社降臨節暦 第十夜/ふどふゆ ガバッと世界の開く音がして閉じていた瞼を開く。意識は宇宙の深い眠りの底からたおやかに、しかし人間には信じられないスピードで浮上し、タイムトラベル酔いの涙で潤んだ瞳の中に蘇る。水面を越して見上げるような揺れる視界は青白く、冬花は自分が冷蔵庫の中にいるのを自覚した。到着したんだわ……、と思ったけれども胸がざわつく。嫌な予感。目の前には明王がいる。髪の長い、大人の不動明王。だけど、変。
冬花は二度、三度とまばたきした。涙が散る。視界がクリアになる。冷蔵庫の前に佇んだ明王は、は、と呟いたまま口を開けている。手にはシュトレンの皿。その瞬間に理解した。
「誤配送だわ」
明王は、お前……、と言いかけてちらっと後ろを振り向き、また冬花を見た。途端に恥ずかしくなった。下着姿なのだ。タイムトラベルの仕様上、仕方ないのにそれを説明する余裕がない。もう一度、飛ばなきゃ。帰らなきゃ。待って、どこへ? 座標が思い出せない。
「あ……」
冷蔵庫から滑り落ちそうになる身体を明王が支える。明王の手も冷たかった。冬の匂い。クリスマスの匂い。明王の腕にもたれながら、冬花は肩越しに視線を投げた。
「……私が、いるの?」
自分の未来は決まっている。でも、この宇宙では。この世界では。
頭を撫でられる。冬花は大人の明王の肩に顔を埋めて震える息を吐いた。
「大丈夫」
「うそつけ」
「本当です。大丈夫」
力を込めて身体を離すと、明王の手が追いかけた。
「冷たいな」
「タイムトラベルは冷蔵庫を使いますから」
ひょいとシュトレンの皿が持ち上げられる。つられて冬花も笑った。
「ごめんなさい。場所、取っちゃいましたね」
明王が真ん中の一切れを抓んで、小さく口を開けてみせた。冬花も真似して口を開ける。粉砂糖と、フルーツと洋酒の甘い香り。もぐもぐと食べ終わると、口元の粉砂糖を明王の手が拭った。
「メリークリスマス」
扉に手がかかる。
「メリークリスマス」
冬花は最後の囁きを扉の向こうへ送る。
暗闇の中、フルーツの香りが赤や緑に光る。冬花はまた瞼を閉じる。目的の座標に到着するまで、もう一度、意識を深く沈める。明王のことを考えている。