番外編:無限 空が完全な黄昏の色に染まる前に帰り着く。
玄関に各々の新しいコートの入ったショップバッグを置き、洗面所で手を洗う。
一緒にキッチンへ入って、無限は買ってきた茶菓子を手にミネラルウォーターをピックアップし、リビングで電気ポットに注してスイッチを入れる。その間に、小黒が茶の道具一式と小皿を支度してきてくれた。
「ありがとう」
「うん。無限にしたよ、お茶」
東方美人(オリエンタルビューティー)。蜜の香りと色を持つ茶を、小黒は時折冗談で「無限」と呼ぶ。
「古臭いっていつも言ってるだろ、その冗談」
「冗談じゃないし、全然本気」
ローテーブルへ茶道具と皿を置きながら、無限の開けているケーキの箱の中を覗き込んできた。小黒が評判を聞きてきた新規開店のパティスリーのスペシャリティ、タルト・オ・フィグとピスターシュフランボワーズが収まっている。
「いいね、やっぱ美味そう」
「あまり家に居ないのに耳が早いな。私も知らなかったのにどこで聞きつけた」
「役に立つでしょ」
「役に立たなくてもいいよ」
ローソファに並んで腰を落とし、小黒が金属でサイドテーブルをソファの正面へ移動させた。無限が茶を淹れ、小黒がケーキを皿へ移す。クッションにゆったりと背を預け、寛ぐ姿勢で東方美人の馥しい茶杯を手に取った。
「どっちにする?」
「どっちでも」
「じゃあお前にフランボワーズやる。ベリーみたいで可愛いからな」
「はあ? 僕の科白だけど、それ」
軽口でそれぞれに皿を取り、味を見た次の一口は相手の口へ運んだ。フランジパーヌのアーモンドとカスタードの芳醇な味わいに無花果の柔らかな甘みと香りが調和したタルト・オ・フィグ、ピスタチオのまろやかなコクのある風味にフランボワーズの爽やかな甘酸っぱさがアクセントになっているピスターシュフランボワーズ、いずれも平均点以上の味だ。
「美味いな」
「美味いね」
「今度は他のも試そう」
「うん」
「そういえば偉いんだな、小黒」
「うん?」
ケーキを口に運びながら、何気ない口調で街で出会った小黒の仲間の話題を振った。紫羅蘭以外に、無限が初めて見る妖精たちだ。二人とも見かけ通りの年齢ではないだろうが、恐らく小黒が一番年下だろう。敬称での呼びかけと慇懃な態度を思い出す。
「小黒大人って呼ばれてたろ」
「へ? ああ」
何を言われているかを理解して、小黒が苦笑した。
「冠萱さんと逸風? なんだ、なにも言わなかったから気にしてないと思ってた」