人魚の仕入れ 透明な釣鐘がちりりと響く。真夏の空色を写し取ったガラスが震え、涼やかな音をあたりに響かせている。夏の音、虫の音、清らかな音――
「雪の音だ」
深い、ふかい池の底にて。真冬に閉じ込められた魚は雪の音を知っている。
うすはりの氷のなかに、しんしんと積もる雪。音もなく、ただただ積み重なるだけの六花は真白な塊となってうずもれてゆく。その小さな音を、この女はいつも聞いている。
大池の茶室にて。体を水に浸しながら(それこそ、温泉にのんびりと浸かるような風体で)豊かな黒髪を水面に流した女が言った。真夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)が脳裏に浮かぶ。幻想的な現実は、女が水面を打つ音で破れていった。
「どうした」
きょろり。夜闇にまぎれた怪物(けもの)の瞳がこちらを捉える。空間が切り取られた。ぱつりと捉える視線がかち合う。ヒトの視線を釘づけにして、魚の怪は瞳を強めた。
――り、
釣鐘の玻璃が静かに震えた。ひとみの呪縛がぱらりと解ける。ぬるい空気が池の上を漂い、胡蝶しのぶは口を開いた。
暮れゆく中空に、玻璃の灯火がぽつりぽつりと灯っていく。電灯というのだろうか。白いあかりの下に、人間がたくさん集まっている。ヒトの姿をとった冨岡義勇は、残り少なくなった煙草へとどめを刺すように、すうと深く吸い、亡骸を胡蝶に渡した。亡骸は、銀色のちいさな箱に仕舞われた。女ものの座敷かごを開き、その中へ棺桶を仕舞う。揺れた籠のなかには、アルファベットの煙草とライター、スマートフォンとがま口の財布。梅花紋の織り込まれている生地を使ったがま口には、三千円ほどの小銭が入っている。五百円が三枚と、百円が十五枚。これだけあれば平気だろう。
産屋敷から少し離れた神社で、夏祭りをしているとアオイから聞いた。金魚すくいもありますよ、と伝えれば、人魚の怪物は簡単に食いついた。冨岡義勇は人魚であった。人の身でありながら、水を宿して魚と成っている。水の気を少しばかり抜けば、割と簡単に人へ戻ることができると知ったのは、つい最近のことである。
色鮮やかな和金がさまざまに泳いで、小さな浪がしらがぴちりと立っている。寄せては返す水面のなかに、冨岡義勇が三百円の硬貨と交換した紙張りのちいさな枠を、逆らわずにそっと入れた。細い指の上を、金魚がすうと泳いでいる。じい、と水面を見つめている冨岡の瞳孔が、ふと細まった。あわい唇がゆるりと開き、ちいさく息を吐く。すると。
黒色の和金が、ふらふらと紙の上に乗る。冨岡義勇は、紙上に載った和金をぽいと掬った。その調子で、あれよあれよという間に九匹。色も形もさまざまなものたちを掬って、冨岡義勇は呆気にとられる店主に終了を告げた。
「姉ちゃん、もういいのか」
「ああ、十分だ」
水に浸った紙はひとつも破れる気配はない。胡蝶が試しに変わってすくったものの、すぐに破けてしまった。
「兄ちゃん、姉ちゃんにコツを教わんなァ」
けらけらと笑った店主に見送られ、からからと下駄を鳴らして帰路につく。大池の魚が少し減ったようで、それを増やすために、祭りに出かけて金魚を掬うらしい。薄闇の中、少しばかり怪物に戻った冨岡の目元に生えた鱗がきらきらと輝いて、星空のようである。胡蝶は浴衣をまとった女の手をとって(少し、異形のぬめりに触れた)小さく握った。
空に溢れる天の河が、流れの限り注いでいる。