3.「彼」について聞く 58.3%「カナエ様、実は先ほど」
意を決して口を開く。白い息とともに、言葉を投げかければ、カナエは少し困ったように笑った。
「アオイ、寒いからとりあえず入ろうか」
そういえば、まだ朝の四時半だ。指先がかじかんでいる。
きい。ガレージの引き戸が小さく開く。朝日を浴びて、透明な花がきらきらと輝いている。ディップアート、というもので、針金のフレームに特殊な液で膜を張り、硬化させて色を付けて、芸術品に仕上げるものだそうだ。カナエ様の作るディップアートは幻想的で、現実的だ。雨のしずくを花にしたような、静かな水面を花にしたような、色とりどりの、透き通る花が咲き乱れている。
百花繚乱の様子に見惚れて、感嘆の声が漏れる。近づいて、一つ一つ、形の違う花を見る。青く透けるもの、赤く透けるもの、桜色に透けるもの。黒い色素がちりばめられるもの。
目を奪われた。花の枯れる時期に、春夏秋冬の花が咲きひしめくこの空間は、異世界であった。
「今は正月飾り用の花を頼まれていてね、在庫があふれてしまうんだ。それで、保管するために神崎のガレージを借りているんだ」
なるほど。アオイは納得した。カナエの作り出す造花は、各所から評価を得ているらしい。いや、違う。そうではない。
「カナエ様、実はさきほど」
うん、どうしたんだい。カナエがガレージの引き戸を閉める。施錠の音。
「先ほど、見知らぬ男性に会いまして」
へえ、どんな?
「銀髪、白髪……で、顔にたくさん傷があって」
ほかに特徴は?
「あ、そういえば」
指は、どうだった?
「指が、鳥のあしみたいな、爪がたっていて」
カナエがにこりと笑った。普段の慈愛に満ちた、やさしい笑みではない。どこかどろりとしたような、狂気を、愛を感じる笑みである。アオイの背筋が、ぞわりとした。
(視るんじゃねェ)
さきほどの声が脳裏にこだまする。何もかもを無視して、カナエはガレージの隅、こんもりとした白い山へ向かった。あれは、何だ。
花以外、全然目に入らなかった。よくよく見れば、針金などの資材、ディップ液であろう薬剤、作業用の軍手がちらちらと纏まっている。
そんな中に会って、異様な存在を示す白い塊。
(これは、いったい)
「それは素材だよ」
カナエが、アオイの心を見透かして告げる。
「そざい」
アオイが復唱する。こくりとカナエが頷いて、両腕を白い塊に突っ込んだ。ふわふわとした白いかけらが崩れていく。中空をふよふよと漂い、なめらかに落ちていくさまをみて、その素材が羽毛であることにアオイは気づいた。
「そう。裏山に丁度いい羽が落ちていてね」
ちょうどいい、はね。アオイは混乱した。こんな、山のような羽根がどこに落ちているのだろうか。カナエがわざわざ山で拾い集めたのだろうか。いや、落ちた羽毛を拾っただけにしては綺麗すぎる。
ならば、一体。
「たまにね、落ちてるんだよ。神様の羽根が」
そう言って、カナエは羽毛の山から羽根を引っ張り出した。いや、違う。羽の塊だ。骨もある。あれは、翼だ。
「ひ、ッ……」
カナエの身長よりは少し短い、鳥の翼である。メインは白で、根元のあたり、風切り羽が黒っぽい。鶴だ、と。直感した。大きな鶴の翼。それを一対、つまりは二つ。カナエはそれを静かに横たえて、瞳を細めた。
「産屋敷の裏山には神様がいてね。彼は鳥の翼を持っているんだ」
ふと、アオイの脳裏に傷だらけの男性が浮かぶ。
「彼がね、私にくれるんだよ」
くれる、翼を、根元から。
「くれ、る」
翼から目が離れない。よく見れば、根元からは赤い血のような、液がにじんで汚れている。白い羽が赤く染まっている。
「根元はあまり使えないね。洗って別のものにしよう」
(視るんじゃねェ)
「か、カナエ、さま」
ようやく呼吸ができるようになったのは、カナエに連れられて自宅の玄関に戻った時であった。
女の子には刺激が強かったね、と言って、カナエはアオイの頭を撫でた。その日は普通に学校へ行き、一日の授業を終えた。帰宅して、しばらくはガレージを見られなかった。
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「……これが、私の見た全てです」
はあ、はあ。少しばかり呼吸を乱しながら、アオイは話を終えた。
「なるほど」
老爺は緑茶を啜り、息をひとつ吐いて言葉をつづけた。
「アオイ、何について聞きたいんだい?」