私のお兄ちゃん「利吉くん、お疲れさま」
コンサートホールのホワイエにいる観客がまばらになった頃合いを見計らって半助は利吉に声をかけた。
「お疲れさまです、半助さん。ご来場ありがとうございます」
「コンサート、誘ってくれてありがとう。相変わらずすごい数の差し入れだね……」
「ええ。まあ……」
沢山の紙袋や花束を手にしながら利吉は苦笑した。整った顔立ちもあってか利吉は同じ音楽大学の学生は勿論、学外にもファンがいるから演奏会に出るとなると毎回沢山の差し入れをもらう。
「ごめんね。仕事終わりに急いで駆けつけたから差し入れ用意できなくて」
「いえ。来てくださっただけでもありがたいですからお気遣いなく。……半助さん。今日の演奏、どうでしたか?」
今日は大学でピアノを専攻している学生の有志で演奏会を行い、利吉はトリを務めた。
「良かったよ。特に一番最後に弾いた曲が私は好きだったなあ」
「ああ。アンコールで弾いた奴ですね」
「あれ、なんていう曲? プログラムには書いてなかったけれど」
手に持っていた冊子を半助は開いて利吉に見せる。
「アンコールは観客に知られないようにしないといけないのでプログラムには書いてませんよ。バラしてしまったらアンコールの意味がなくなるじゃないですか」
「確かにそうだね……」
言われて気づいたのかはっ、としたような顔で半助は利吉を見る。
「あれは『私のお父さん』という歌曲ですよ。プッチーニのオペラの」
「あれ、そんな曲名だったの? 聞いたことあるなとは思ってたけど」
「……」
利吉は少し沈黙した後、声を上げて笑った。
「な、なんで笑うの!?」
「……すみません。予想通りの反応だったもので。音楽に詳しくない人だとそうなりますよね」
目に浮かんだ涙を拭いながら利吉は答えた。
「……でも、気に入ってくれて良かったです。貴方のために選んだ曲ですから」
「私に?」
「ええ。仕事が忙しくても貴方なら来てくれると思いましたから」
利吉は笑った。
「……利吉くん。私にこの曲を選んだ理由は?」
「理由ですか……」
利吉は考えるように上を向く。
「……何となく、ですね」
少し間をおく、半助に向き直って利吉は答えた。
「嘘。他に理由、あるよね?」
「だからないですって……」
困ったように利吉は半助を見る。そんな顔をされてしまうと流石にこれ以上の追及は酷だと思った半助は黙った。
「……まあ、利吉くんがそう言うなら、そうなのかもね。ありがとう。いい演奏が聴けて満足だ。車で来てるし家まで送ろうか? 荷物も多いみたいだし」
「お気遣いなく。タクシーで帰りますから」
「まあ、そう言わずに」
利吉の差し入れを幾つか半助は手に持った。
「行こうか。このままご飯も食べて帰ろう。お腹空いたし」
「は、はい……」
半助の勢いに押されたのか利吉の口から出たのは了承の返事だった。
「理由なんて、言える訳ないじゃないですか……。貴方に重い男と思われたくないですし」
半助が先に歩いているのをいいことに利吉は呟く。
「利吉くん。帰らないの?」
「今行きます」
残りの荷物を持って利吉は半助に駆け寄った。