その熱は何処へ これは駄目かもしれない。
タイムカードを押してから水心子正秀は職員用通路を入ったところでしゃがみ込んだ。原因には幾つか心当たりがある。
「……私としたことが、情けないな」
このまま出勤しても迷惑がかかるだけだ。今日は休みを貰おう。その前に一度、救急外来を受診しておきたい。このままでは帰り道で間違いなく倒れる。壁を支えに水心子は立ち上がった。頭も痛いし気分も悪いし熱っぽい。ゆっくり歩いて職員用の通路を抜けて救急外来の待合室へ向かった。
「水心子?」
受付を済ませようとしていた時に名前を呼ばれた。
「今日、救急の日直だっけ? シフトが変わったとか……ではなさそうだね」
じっ、と親友の顔を清麿は覗き込んだ。
「こっち来て。とりあえず座ろうか」
清麿は水心子を支えながら待合室のソファーに座らせた。
「まずは熱測ろっか。しんどかったら横になっていいよ」
水心子は頷き、ソファーで横になった。着ていたワイシャツのボタンを清麿は外し、腋の下に体温計を挟む。
「……きよまろ」
「どうしたの?」
「……体、熱いし頭痛いしここ来るまでに1回、トイレで戻してる。……寝坊、しちゃったからご飯抜いて炎天下の中、走って来たから多分熱中症だと思う」
「そうだね。話を聞いた限り、僕も同じ意見だ」
体温計が鳴る。清麿は表示されている数字を確認した。
「39度か……。40度を超えていないし意識もはっきりしてるからⅢ度には達していない。でも、早急な治療は必要そうだ」
黒いスクラブの胸ポケットから清麿はPHSを取り出し、電話をかけた。
「山姥切? 急患を1人、そっちへ送りたいけどいいかな? 患者が30代男性。39度の発熱と頭痛、嘔吐あり。意識は清明でII度の熱中症を疑う初見だ。今からそっちへ連れて行ってもいいかな? ……うん。ありがとう。助かるよ。じゃあ、今から患者を連れて向かうね」
清麿は電話を切った。
「今から行っても大丈夫だったから行くよ、水心子」
清麿は水心子を抱きかかえた。
「……体は冷やしたし後は水分補給かな。水心子、水は飲めるかい? 飲めなければ点滴打つけど」
あれから処置室のベッドに寝かされ、氷枕と氷嚢で水心子は体を冷やされていた。今はこの冷たさが火照った体に気持ちいい。
「……駄目。飲んだら多分吐く。……でも、後で絶対水分は摂るから点滴はやめて……」
「そっか。いいよ。水心子が望むなら。だって、痛いの嫌いだもんね。小学生の時、学校で予防接種あった時は逃げようとして保健の先生に捕まってたし。大人でもそういう人はいるから別に恥ずかしがることはないよ。水、飲めそうになったら声かけてね」
「待って清麿」
「何だい? 水、飲めるようになったのかい?」
「……やっぱり、点滴にして」
「いいの? 痛いの嫌じゃない?」
「嫌……ではないから」
親友の様子がいつもと違う。一体どうしたのだろう。
「そう? それならそうするけど……あ」
そこで清麿は水心子の言動に気づく。背後には加州が立っていた。子供のような一面を他の人間に見せたくなかったのだろう。
「指示出てたから持ってきたけど……必要なかった?」
点滴に必要な物品を運んできた加州が背後に立っていた。
「いや。大丈夫だよ。ありがとう。後は僕が引き受けるよ」
「いいの? じゃあ、お願いしよっかな。別のとこ応援行かないとだし」
加州は道具を置いて走り去って行った。清麿は手袋を嵌めて点滴の準備を始める。
「怖かったら目、逸らしていいからね」
水心子の腕を縛ってから清麿は皮膚を消毒する。
「じゃあ、刺すから力抜いて。1日入院してその後の経過で問題なければ退院出来ると思うから頑張って、水心子。なるべく痛くないようにするから」
「……うん。お願い、清麿。痛くしないで……」
「大丈夫。大丈夫だから泣かないで、水心子先生」
「……僕、泣いてないのに」
「瞳に涙が浮かんでる。そういうとこ、昔と変わらないね」
清麿は微笑んだ。
「……ねえ清麿。終わった?」
「うん。終わったよ。君と話している間に」
「本当だ……」
左腕には既に針が刺さっていた。
「ちゃんと固定はしたけどあんまり動かさないようにね。僕、当直明けだから帰るけどゆっくり休むんだよ」
「……ありがとう、清麿」
水心子は目を閉じた。