愛を贈るここには昔、小さな薔薇園があった。
ただ、棘があって危ないからという理由でいつしか撤去されていた。そのことをすっかり忘れていた源清麿は寒空の下、病棟を出てすぐの庭に立っていた。
「ないものは仕方ないか……」
冷たい風が体に当たり、清麿はぶるりと体を震わせた。
「清麿」
「え?」
背後から声が聞こえたと同時に厚手の黒いチェスターコートを肩にかけられて紫色のマフラーを巻かれた。
「風邪引いちゃうよ? 受験生なんだし拗れたら大変だし。上着、大きいかもしれないけど着てて」
「いや。ちょうどいいサイズだよ。袖も余らないし」
コートに清麿は袖を通して水心子に見せた。出会った頃は主治医より小さかったのに今では水心子と同じくらいの身長に成長している。今では清麿の方が少し大きいかもしれない。
「そ、そうか……」
複雑そうな笑顔を浮かべながら水心子は咳払いをした。
「……とにかく、体を冷やさないように。用がなければ中へ戻ったら?」
「そうだね。戻るよ」
清麿は暖房がよく効いている病棟に戻った。水心子も後に続く。
「そういえば、どうして中庭にいたの?」
「薔薇を見たかったんだ。……出来ることなら、その薔薇を少し分けてもらいたかった。ここには昔、薔薇園があったから。小さいけど」
「冬にも薔薇は咲くの?」
「うん。咲く品種もあるんだ」
「でも、分けてもらったとしても生花は持ち込めないよ?」
「確かに。そうだったね。うっかりしてしまったよ。年のせいかな」
「まだまだ僕より若いじゃん……」
「あはは。そうだったね」
クスクスと清麿は笑った。話しているうちに病室までたどり着いた。
「送ってくれてありがとう。今日は当直明けかい?」
「うん。これから帰るよ。……そうだ清麿。薔薇が欲しければ僕、買ってくるよ。生花は無理だから造花になっちゃうけど」
「ありがとう。でも、その必要はないよ。僕が買わないと意味がないからね」
清麿は脱いだコートを水心子に着せてマフラーを巻いた。
「そっか。じゃあ、僕は帰るよ。風邪ひかないように温かくするんだよ」
「うん。ありがとう、水心子。また明日」
清麿は手を振った。
「……あの様子じゃ、外出許可も出してくれなさそうだなあ、水心子。どうしようか……」
水心子が帰った後、考える素振りを清麿は見せる。
「……そうだ」
清麿はテーブルの上に置きっぱなしだったスマホを手に取り、メッセージを送った。
「これで当日には、間に合うかな」
清麿は微笑んだ。
最近、清麿の様子がおかしい。
12月12日の昼休み、医局の椅子に座って昼食に買ったおにぎりを食べながら水心子は清麿のカルテの画面を睨んでいた。別に検査の結果が悪い訳ではないが何か隠しているような気がする。本人にその理由を訊こうにも今は熱を出して寝込んでいるからそっとしておきたい。朝に診察へ赴いた時は話すのも辛そうだった。
「今はどうなんだろう……」
カルテを閉じて水心子は椅子から立った。指についた米粒をティッシュで拭き取ってゴミ箱へ捨てる。
「ちょっと様子を見に行ってみようかな」
自分が受け持つ子は平等に接しようと努力しているつもりだがどうしても清麿と接する時間が長くなってしまう。直そうにも直らない。本当はあまり良くないことをしている気がするがその事実に目を瞑ってしまっている。どことなく罪悪感を覚えながら水心子は小児病棟へ向かった。
「……やっちゃった」
白い天井を清麿はぼんやりと見上げていた。
「今日、渡そうと思ったのになあ……」
清麿はゆっくり起き上がった。熱はまだ高いのか頭が痛い。痛みに耐えながら清麿がベッドを出ようとすると――。
「清麿」
少し怒ったような水心子の声が聞こえた。
「今朝の診察で熱が下がるまで安静にするよう私は言ったはずだが」
「……少し動くだけでも、駄目かな? 引き出しにしまっているものを取りたいだけなんだ。熱も下がったし、いいでしょう?」
「駄目だ」
水心子は即答した。
「確かに朝よりかは少し下がっていたがまだ高い。ふらついて転んで頭を打たれたら困る。人の目がない時に動くのはやめてほしい。荷物なら私が取る」
「僕が取らないと意味がないんだけどそれでも駄目かい?」
水心子は頷いた。
「……それなら仕方ないね。そこの引き出しを開けて、水心子」
清麿は床頭台の引き出しを指差してからベッドに潜った。水心子が引き出しを開ける。
「薔薇……?」
入っていたのは赤い薔薇の花束だった。綺麗にラッピングされて、花と同じ色のリボンが結ばれている。
「水心子。起き上がるのはいい?」
「それくらいなら大丈夫かな」
「ありがとう」
清麿は起き上がって水心子から花束を受け取った。親友が倒れてしまわないよう水心子は清麿の背中に手を回す。
「本当はもっと元気な時に渡したかったけどどうしても今日、君に渡したくて」
花束を清麿は水心子に差し出した。
「材料を母さんに買ってきてもらって、作ったんだ。本当は生花が良かったけど、ここに持ち込めないから造花でごめんね。受け取ってくれるかい?」
「これ……僕にくれるの?」
「そうだよ。今日は12本の薔薇を大切な人に贈る日だから。これを作る度に水心子が来ちゃうから隠すのが大変だったよ」
「そういうことだったのか……。そんな日があるなんて知らなかったよ。……でも、君は僕のことを大切だと思っているの? 大切な人なら両親とかでもいいと思うのに」
彼の身に悪い影響が起こっていた訳ではないと知った水心子は安堵した。
「水心子も、両親と同じくらい僕にとっては大切なんだ」
「そっか。嬉しいな」
水心子の頬が緩んだ。
「隠れてコソコソしてたから心配させちゃったかもしれないけど、君を驚かせたかった」
「ありがとう清麿。大事にするね」
薔薇の花束を水心子は受け取った。
「……薔薇もいつか、育てようと思っているんだ。沢山の薔薇を。君に贈るために」
清麿は微笑んだ。
「そうなの?」
「うん。でも、広い花壇が必要だから実現はまだまだ先かな。今度は君に12本じゃなくて999本の薔薇を贈りたい」
「それは流石に多すぎるよ」
水心子は笑った。
「でも、どうして次に贈りたいのは999本なの? 僕に今日贈った薔薇が12本なのはどうして?」
「それは……」
清麿は少しの沈黙を置いて口を開いた。
「……僕が君の親友だから、かな」
「それ、答えになってないよ」
水心子は再び笑った。
「そうだね。……でも、今はそういうことにしておいてよ」
清麿も笑った。悲しみを隠すような笑い方だったことに水心子は気づいていない。
「じゃあ、僕は大人しく寝るよ。休んだら熱も下がってるはずだし」
「わかった。おやすみ、清麿」
親友を寝かせてから水心子は布団をかけた。親友から貰った薔薇の花束を抱えて病室を出ていく。
薔薇は贈る本数で意味を変える花だ。水心子はそのことをきっと知らない。気づいてくれるといいなという淡い期待を清麿は抱いているが望み薄だとも思っている。
「……親友よりも先の関係になりたいし、何度生まれ変わっても僕は君を愛したい。いつか僕の口から、言えたらいいんだけどなあ」
頭が痛く、寒さを感じるようになってきた。熱が上がってきたのかもしれない。
「これ以上考える元気もないから、まずは体を休めないと」
清麿は目を閉じた。床には音もなく抜け落ちた薔薇の造花が1本落ちていた。
薔薇の本数と花言葉
12本→私と付き合ってください
999本→何度生まれ変わってもあなたを愛する
11本→最愛
1本→一目惚れ
赤い薔薇の花言葉
「あなたを愛してます」