「お二人とも、今日も仲がよろしいのね」
そう言ったのは、通りがかりの椿組のリリィだった。次いでごきげんようと挨拶する彼女は、神琳のクラスメイト。名前は……以前に一度、遠くから呼ばれているのを聞いただけだからすぐに思い出せない。
私と神琳は顔を見合わせる。視線が一瞬だけ交わって、先に彼女へ向き直ったのは神琳だった。
「雨嘉さんとはルームメイトですもの」
「一番仲のよろしいルームメイトは、お二人ではありませんか? よく話題にあがっていますよ」
「あら……そうなんですの? お褒めに預かり、光栄ですわ」
淀みなく話を進めていく神琳の隣で、私は曖昧な微笑みを浮かべた。顔しか知らない人に応対ができるほど、人付き合いは上手じゃない。悲しいけれど。
神琳は人当たりが良くて堂々としているから、こういった雑談にも花を咲かせることができる。
「仲があまりによろしいものですから、恋人のようだという方もいらっしゃるくらいですわ」
曖昧に浮かべていた笑顔の、口の端っこがほんの少し引き攣った。今なんて言ったんだろう? 恋人?
思わず神琳の顔を見れば、ちょうどお互いに向き合ってしまった。神琳は相変わらずの微笑みを浮かべていて、感情の揺らぎなんてどこにも感じない。
先に視線をクラスメイトへ戻した神琳が、意外そうに問いかける。私にはほんの少しだけ、いつもより努めてゆっくり話しているような気がした。
「わたくしたちが、そういう風に見えますの?」
「さぁ、どこまで本気なのか……。でも、それくらいにお互いを信頼していることは分かりますわよ」
そう言って、よりによって私に微笑みかける。どうして神琳じゃなくて私を見るんだろう。慌てて口角を上げて見せたけれど、内心では焦りで冷や汗が止まらない。
私の気持ちを一切知らない彼女は、「それでは私、図書館へ向かいますので。ごきげんよう」と挨拶をして去って行った。何も知られていないことが何よりのはずなのに、人の気持ちも知らないでと理不尽な気持ちが頭を過ぎる。軽く目を瞑って、そんな理不尽を追い出した。
神琳が微妙に、椅子の位置をずらした音がした。
自室に戻った途端に、張り詰めていた空気がふっと解けたのが分かった。パチンと電気のスイッチを入れれば、暗い部屋が明るくなって視界が白む。肺から大きく息を吐き出せば、つられて身体も弛緩するような錯覚に陥った。
部屋に戻ってきた安堵からゆるゆるとベッドに腰掛ければ、神琳も隣に座る。
「なんだか今日は疲れた……」
「えぇ。雨嘉さん、気を張っていたものね」
「神琳は構わないの?」
お互いに何の話かははっきり言わないけれど、それでも今日で一番大きな衝撃だったことだから、話が止まることもない。
動揺が行動にも出て、今日はずっとぎこちなかった私に、相変わらず変化のなかった神琳。
余裕を崩さないその様子に、思ったよりも拗ねたような声が出た。
「困ることがないもの。雨嘉さんは不都合なことが?」
「不都合なんてことはないけど……」
そうだけど。困ることではないけど。だって恥ずかしいし。言い淀む私の手が、神琳の手に包まれる。温かいと思ったのは、多分今日私が神琳と微妙に距離を取っていたからだ。
「急に距離を取ったら、きっと逆に怪しまれてしまいますわ。わたくしたちは、今までと同じようにいるのがよろしいのでは?」
言われてみれば、確かにそうかもしれなかった。神琳がそう言うのだから。
「そう、かな。神琳が嫌じゃないならそうするけど」
「……わたくしは嫌ではないわ」
「うん……」
私と神琳の間に横たわっている微妙な隙間を、今は0にしたっていい。話しながらそう思って、腿を神琳のそれにくっつけた。ギィとベッドが軋む。
意識して距離を取るなんてこと、私だってしたいわけじゃなかった。慣れないことをした。
ふ、と息を吐いてから、その肩に頭を乗せる。繋いだままの手を緩くにぎにぎして遊べば、神琳はくすくす笑う。それから、前髪に軽く何かが触れた。
ほんの少しだけ上にある神琳の顔を見れば、色の違う双眸が優しく細められている。引き寄せられるように、その右の目尻に口付けた。またお返しとばかりに、今度は頬に軽いキスが落とされる。
戯れのように触れるだけのキスを繰り返して、それから二人で顔を見合わせて頬を緩めた。
本当に私たちが恋人だということは、誰も知らなくていい。