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    gyonoto

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    gyonoto

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    以前書いていた創作です。自分の名前が嫌いな女の子たちの話。

    名前(或いは過去の話)高校の頃まで、母親がつけてくれたこの名前が私は嫌いだった。外国人と結婚しても違和感がないようにとつけられた柚莉愛という名前とは裏腹に私は日本をこよなく愛する文学好きの地味な女に育った。おしゃれには興味がなく、1500円のファンデーションを買うなら1500円のハードカバーを買いたいと思っていたような女だ。眼鏡をかけた、前髪の長い、本当に目立たない女に、ユリアなんて不釣り合いすぎて恥ずかしくて、私はいつだって苗字で井丸です、と名乗った。

    高校で出会った佳子ちゃんはみんなにはカコちゃんと呼ばれているけれど、私は正しくヨシコちゃんと呼んでいる。私はカコちゃんなんて呼ぶ柄ではないし、烏滸がましいとさえ思って今でも一度もカコちゃんと呼んだことはない。それでも最初は芳村さんと呼んでいたのだから、ヨシコちゃん呼びになったことは褒めてほしくすら感じる。佳子ちゃんこそ柚莉愛を名乗るべき女の子で、モデルさんみたいに(尤も、モデルさんなど知らなかったけれど、佳子ちゃんに宿題として渡された雑誌のモデルさんの女の子たちがとても佳子ちゃんに似ていた)綺麗で、肌が白くて、頬はピンク色で、いい香りがして、外国人とかお人形さんみたいなのだ。佳子ちゃんがどうしてカコちゃんと呼ばれているかというのも、佳子ちゃんがヨシコっぽくないからだ。佳子ちゃんのお母さんとかお父さんには失礼だと思うけれど、佳子ちゃんは本当にヨシコって感じではなく、専らユリアなのだ。しかも、ヨシムラさんという苗字なのにヨシコと名前をつけたセンスも疑ってしまう。ヨシムラヨシコ。野比のび太じゃないんだから、と思うし、佳子ちゃん本人もそれを少し気にしていて、カコちゃんと呼ばせていたようだ。交換してあげたい。佳子ちゃんをどうにか柚莉愛にして、私が佳子ちゃんになりたい。いつも思っていた。

    佳子ちゃんとの出会いは図書室だった。私は顔のとおりに図書委員会で、貸し出しなどを担当していたありがちな展開だ。教室にいなくてもよくて、大好きな図書室にずっといられて、なおかつ内申点ももらえるのだ。こんな優良企業ほかにない、そう思って真っ先に図書委員に立候補した。クラスのみんなは昼休みがまるまる潰れる図書委員なんてやりたくないので、初めてクラスのみんなに感謝された。クラスではいじめられているわけでもないけれど、目立つわけでもなく、端っこでいつもじっとしている根暗眼鏡が私だ。目立つのは名前だけだ。よく読み方を聞かれるから、新学期の最初の授業は私が質問ぜめにあう。目立たず、波風立てず生きていきたいのに、この名前のせいで私には水の下でじっとしていることを許してもらえない。苗字は結婚すれば(できるかは今は聞かないでほしい)変えられるけど、私は一生ユリアだ。孫には(いるかわからない)ユリアおばあちゃんなんて呼ばれることを想像したらもう吐きそうだ。世界一ユリアが似合わない私と、世界一ユリアが似合う佳子ちゃんは、となりのクラスという以外まったく接点がなく、世界一出会う可能性なんてなかったはずだった。

    佳子ちゃんは先に述べておくと勉強ができない。ひとことでいうならギャル、という感じの女の子だ。髪は染めていないけれどいつもくるくるしていて、スカートはいつも綺麗な膝がのぞいていて、とにかくいい香りがするのだ。そんな佳子ちゃんは、ある日突然私が図書当番の日に図書室に駆け込んできた。すごい形相で。カウンターの私を見るなり「入れて!」と小声ながらに叫んだ。佳子ちゃんみたいなひとには今まで疎まれてきた私だから、びっくりして声も出なくて、黙ってカウンターを開けた。佳子ちゃんはズカズカ入ってきて、カウンターの下にしゃがみ込んだ。どうしたんですか、と口を開いた瞬間に佳子ちゃんは椅子に座っている私のゴボウみたいな足をぎゅっと掴んで「私はここにいないことにして」とお願いしてきた。佳子ちゃんは可愛いので、上目遣いで見つめられると女の私でもドキッとした。とりあえず言われたとおりに仕事を再開すると、となりのクラスの寺野先生が「ヨシムラ〜!」と怒鳴って走り回っている声が聞こえた。ヨシムラ、というのが佳子ちゃんの苗字だと知ったのはあとからだった。佳子ちゃんはこんなに可愛くて、堂々としていそうな女の子なのに、今日だけは私の足元でじっとしていた。佳子ちゃんはやがて蹲った上目遣いのまま私に話しかけてきた。

    「国語40点でも読める本、貸して」
    「こ、国語の点数と読書の可否は無関係だと思いまして……」
    「漢字がわかんないの。バカでもわかっておもしろいやつ!あんた本詳しいんでしょ?」

    佳子ちゃんは顔が可愛いので、凄むと本当に迫力があった。私はサン=テグジュペリの星の王子さまを貸した。私の好きな訳本はあまり難しい漢字が使われていないけれどある程度長く読めるし、おもしろいと思ったからだ。佳子ちゃんはそれをぱらぱらと読み始めたあと、少し顔を赤くしてから、こんなことを言った。ほかの人のときに返しに来るのが恥ずかしいから、私がいる曜日を教えてほしいと。佳子ちゃんは白魚のような細い指で大事そうに私が貸した星の王子さまを持ち帰った。

    佳子ちゃんは時々学校を休む人だったし、遅刻も早退も平気でする人だったから、皆勤賞を美徳と思っている古臭いわたしのような人間とは無関係だと思っていた。でも佳子ちゃんは学校に来ると絶対友達に囲まれていたし、男の子にも女の子にも人気があった。お化粧も可愛くて(塗られている本人が可愛いのだからあたりまえだと思うけれど)私が読書や映画に使うお金と同じくらいのお金を化粧品に費やしていたように思えた。佳子ちゃんがお化粧をよくして、学校をときどき休んでいたのが、お母さんのお見舞いに行くため、生活を少しでも楽にするためにアルバイトをたくさんしていたからだったと知ったのはそのあとだった。

    「カフェと、あとコールセンター。コールセンターは夜中だからさ、どうしても朝起きれないんだよね。それで遅刻いっぱいしてたら怒られたんだよ」
    「身体壊しちゃいません……?よ……芳村さんだって、私と同じ高校生なのだし……?あと深夜労働は……?」
    「ヒミツヒミツ!生活が壊れるよりはマシだよ、まだ弟は中坊だし……。でもオカンは高校は出ろって言うし。駆け落ち?って言うんだっけ?オトンと一緒になるときに家出して来たからババアは論外だし。あたししかいないの」

    佳子ちゃんは、キラキラした見た目の裏でとても大きなものを抱えていて、それを見せないように必死に水面下で足をばたつかせている白鳥のような女の子だった。両親から与えられた不自由なんて名前くらいしかないから、佳子ちゃんがとても聖人みたいに思えてきた。佳子ちゃんは星の王子さまをぜんぶ読んで、感想を伝えてくれた。よくわかんなかったけど、と。

    「蛇に噛まれてお空に行けるんだったらどれだけ楽なのかねえ。やっぱり王子だからそのへんは優遇されてんのかな。ちっちゃいとき噛まれたことあるけど、全然飛べる感じしなかったよ」
    「読みにくかったですか?ごめんなさい……」
    「いーや、面白かったよ。朝読書なんて毎日寝てっから、久しぶりにまともに本読んだ〜。経験値ちょっと増えた」
    「それはよかったです。芳村さんのお役に立てて……。本くらいしか、私に取り柄なんてないので」
    「本くらい、って何?好きなんでしょ?小説家がご飯食べるために必死に毎日をすり減らして書いたヤツをさ、本くらいって言うのはさ、失礼なんじゃないの?あと芳村さんって言うのやめなよ」
    「ヨシコちゃん……?」
    「……久しぶりに呼ばれた。ずっとカコって呼んでもらってるからさ、ヨシコなんて呼ぶのもうオカンだけだよ。弟にはお主って呼ばれてるし」
    「お、お主……」
    「前に弟とテレビ見てたときにさ、なんか殿様が出てたから真似して遊んでたら、それから弟がずっとあたしのことお主って呼ぶんだよね。ウケるっしょ、もう中3なのに」
    「弟さん、受験生なんですね。たいへんだあ……」
    「ぜーんぜん受験生っぽくないよ。毎日バスケしてる。バスケの推薦?でなんか良い私立に行くと授業料が無料になるんだってさ。でも成績わるかったら推薦もしてもらえないし授業料も安くならなくて逆に損だからちゃんとやりなって言ってるんだけどさ、毎日家にひとりにしちゃってるからなかなか強く言えないし。バカだよ、あたしは。あと敬語じゃなくていいよ。カツアゲしてるみたいで嫌」
    「……が、がんばってみま……るね……」
    「ウケる、本読むのに日本語下手なのかよ。あたしも柚莉愛って呼んでいい?」
    「うーん、私はあんまり柚莉愛って感じの人間ではないので、ふつうに井丸って呼んでくださると……」
    「面白くない。ゆり、ゆりは化粧とかしないの?」
    「しま……しないなあ。よくわからないし、私にはなんかそんな感じのキャラでもないし……。私には、すみっこで本を読んでいた方が身の丈にあってるんだ……」
    「はぁ?化粧して本も読めばいいじゃん。あたしもそんな理由で金ないけどさ、化粧は着替え。あたしの鎧なの、命綱なの、身を守ってんの。あたしが可愛かったらさ、オカンも少しは安心してくれるでしょ」

    佳子ちゃんはカバンからガサガサと化粧ポーチを取り出した。顔貸して、と佳子ちゃんが私の顎をつかむ。私はびっくりして顔を強張らせてしまう。佳子ちゃんは手もすべすべで、体すべてに抜かりがない感じだった。しかし、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴って、佳子ちゃんは残念そうにポーチをしまった。

    「時間ないからまた今度ね。うち来てよ、化粧したげる。楽しいよ、あとこれあげるよ。練習しときな。本のお礼も兼ねてさ。あたしも何回も使ってるから、嫌じゃなかったらもらって」
    「ええ……?」

    佳子ちゃんは私の手元に、綺麗なリップグロスをぽんと置いて、風のようにいなくなってしまった。私が生まれて初めて得た化粧品で、なんだかどうしたらいいかわからなくてペンケースにしまった。午後の授業中にも、何回も何回も佳子ちゃんがくれたリップグロスを眺めてしまった。これをつけたら、私も佳子ちゃんになれるんだろうか。まさかね、そう思って私は次に佳子ちゃんに会うまでいちどもリップグロスを塗らなかった。私には、メンソレータムの緑色のリップクリームが合ってる。母親も父親も娘に色気が無いことを察してか、化粧の話はまったくしてきたことがない。お洋服だって母親が買ってきたやつを着ている。だから、どうしてか、佳子ちゃんにもらったリップグロスは、母親にも父親にも見せたくなかった。何か冷やかされそうで怖かった。私は私を「お化粧もしないキャラ」と、定義付けてしまっていたからだ。

    今でも思う。私は佳子ちゃんに何かをしてあげられただろうか。佳子ちゃんがくれたリップグロスのケースは、今も捨てられない。私は社会人になって、今はコンタクトレンズもしているし、あまり高くはないけど化粧品をきちんと揃えるようになったし、髪もふわふわにしてみたりするけれど、やっぱり佳子ちゃんにはなれない。佳子ちゃんは綺麗で、可愛くて、奇跡みたいな存在で、けれど奇跡みたいな存在だから、奇跡みたいにいなくなってしまいそうで私は怖かった。

    カコちゃん。そう呟いてみたけれど、佳子ちゃんはやっぱりヨシコだ。カコちゃんでもいいけれど、やっぱりヨシコが私にはしっくりくる。ヨシコっぽくないのに、佳子ちゃんはどこまでも佳子だ。私は少しも柚莉愛じゃないのに、佳子ちゃんは私をずっとゆり、と呼んでいた。佳子ちゃんにお呼ばれされて佳子ちゃんの家に来た。お友達を家に呼んだのは初めてだと聞いて、私は震えた。佳子ちゃんにはお友達がたくさんいる。私には、佳子ちゃんが私が佳子ちゃんを友達と呼ぶのを許してくれるならば、佳子ちゃんしか友達がいない。けれど、佳子ちゃんにいるたくさんの友達の中で、私は唯一、佳子ちゃんの家に遊びに行った友達になる。佳子ちゃんの、世界でたったひとり。佳子ちゃんは友達がたくさんいるから、きっと私がいなくても、佳子ちゃんの友達に私の代わりなんていくらでもいるけれど、私には佳子ちゃんしかいない。私の中の、佳子ちゃんが占める割合がおおすぎる。私は佳子ちゃんの何%だろうか?

    佳子ちゃんのお家は、お世辞にも広いとは言えなかった。築30年ほどの小さなアパート。その家の中に、佳子ちゃんと佳子ちゃんのお母さんと、佳子ちゃんの弟さんは住んでいた。お父さんのことは聞けなかった。小さな部屋だったけれど、佳子ちゃんの匂いがした。「座って」と促されると、佳子ちゃんは麦茶とおせんべいを出してくれた。佳子ちゃんもおせんべいを食べるんだ、と素直に思ったものだ。部屋の隅には、弟さんの机はあったけれど、佳子ちゃんの机はなかった。代わりに、小さな卓袱台の上に佳子ちゃんの教科書なんかがぱさぱさと置いてあった。

    「眼鏡外して。今日はね、あたしがあんたを世界一の美少女にしてやる。このヨシコ・ヨシムラの手にかかれば余裕よ」

    そう言うと佳子ちゃんはさっそく手に何かクリームをつけ始めた。佳子ちゃんの手につけられたクリームが、佳子ちゃんの指によって私の顔に塗布され、広げられていく。次にファンデーションをぽんぽんと叩かれる。その間私は目を閉じているから、佳子ちゃんがどんな顔をしているのかもわからない。佳子ちゃんが泣いていたことも、私は知らない。アイライナーは変な感じがして正直嫌だった。マスカラも、花粉症持ちの私は目に違和感があって嫌だったけれど、佳子ちゃんがしてくれたことだからなんでも嬉しかった。私は佳子ちゃんのたったひとりになれたのかな。そう思っては、自惚れた自分を恥じた。リップ、チークが塗られて、私は目を開ける。可愛い、と佳子ちゃんは少し赤くなった目で笑った。生きてきて、友達に可愛いと褒められたのは初めてだった。佳子ちゃんに鏡を渡される。知らない人が映っていた。思わず変な顔をしたせいか、佳子ちゃんがクスクスと笑っていた。

    「誰かにね、化粧してあげるの夢だったんだ……。さすがに、弟相手じゃできないし。ごめんね、付き合わせちゃって」
    「う、ううん。可愛くしてもらって、嬉しい……。佳子ちゃんになったみたい」
    「はぁ?あたしはあたしだし、あんたはあんたでしょ。あたしだってゆりになれないんだから、あんただってヨシコにはなれないの」

    佳子ちゃんはすこし怒っていた。佳子ちゃんはみんなにはカコちゃんと呼ばれていたけれど、自分のことは絶対にヨシコと呼んだ。あとから聞いた話だけれど、ヨシコという名前は、佳子ちゃんのお父さんが付けてくれたらしい。妹がいたらなあ、と佳子ちゃんはすこし切なそうに笑った。佳子ちゃんは次に、ハサミを取り出した。目とじて、と佳子ちゃんに言われて私は目を閉じると、佳子ちゃんの指が額にふれた。ジャキジャキ、と音がする。嫌な予感がした。目を開けると、私の前髪は4cmほどなくなっていた。

    「やっぱり短いほうがいいって。ヨシコが保証する」
    「な、なんてこと……!そんな、そんな私は……」
    「なんで?かわい〜よ」
    「そ、そうだけど……!」
    「可愛い可愛い、ほら、写真とろ」

    佳子ちゃんのスマートフォンの、可愛い写真を撮れるアプリで佳子ちゃんは私と佳子ちゃんのツーショットを撮った。恐れ多くて、足がガクガクしていた。親になんて言われるんだろう、そればかりが気になっていた。佳子ちゃんのおかげで、私は普通の女の子っぽい遊びを少しずつ知り始めた。だからこそ、佳子ちゃんを失うことが、本当に怖かった。

    佳子ちゃんは時々私を家に招いた。時々帰宅が遅くなっては化粧をしている私を、両親は不審がった。佳子ちゃんの弟さんに勉強を教える日もあった。私はバカだから、ゆりに見てもらいな。そう弟さんに言うと、背が高くて、無邪気に笑う弟さんは、照れ臭そうに数学の教科書を見せてきた。私が弟さんに勉強を教えている間に、佳子ちゃんは夕飯を作ったり、買い物をしたりする。わたしが佳子ちゃんの家に行かない日は、佳子ちゃんのアルバイトがある日と、佳子ちゃんがお母さんのお見舞いに行く日だ。佳子ちゃんのお母さんがどうして入院しているかも、お父さんがどうしているのかも、やっぱり私は聞けなかった。聞かなくても良かった。蔑ろにするつもりはないけれど、私が佳子ちゃんを好いている理由のなかに、佳子ちゃんのお父さんとお母さんはないからだ。私は佳子ちゃんが佳子ちゃんだから、憧れていたのだ。私よりも「柚莉愛」が似合う彼女に。

    佳子ちゃんのアルバイト先のカフェは地元ではとてもお洒落なカフェで、私はなかなか足が及ばなかったけど、佳子ちゃんの売り上げに貢献したいと思ったので、不慣れな化粧を頑張ってしてカフェに行った。コーヒーが600円もする。私はこのために好きな作家の新刊を1冊我慢した。「化粧もして、読書もしたらいいだろ」という言葉を思い出す。テーブルには佳子ちゃんは来なかったけれど、大好きな本を持って、美味しいコーヒーを飲んで楽しんだカフェは本当によかった。しかし時間も許す限りなので、私は帰ることにした。佳子ちゃんに会えないまま、そう思っていたら、佳子ちゃんがお会計をしてくれた。私を見てとてもびっくりしていたけれど、佳子ちゃんを見た私もとてもびっくりした。高校生であることがバレないようにした大人びたお化粧がとても綺麗だった。ワインレッドのリップも似合っていたし、印象を変えるために描いていたほくろもセクシーだった。すごくすごく綺麗だったけれど、佳子ちゃんがどこか遠くへ行ってしまった気がして、すこし悲しかった。もともと近くにいなかったのに。

    じきに私たちは受験生になった。佳子ちゃんの弟さんは無事にバスケットボールで有名な私立高校に推薦で合格した。勉強の甲斐あってか、授業料も免除になった。気がかりなのは、その私立高校のバスケ部が、全寮制であることだ。佳子ちゃんは家にひとりになった。佳子ちゃんは就職活動をしていた。私は受験勉強をしていた。文学部と出版社に強い大学に行きたかった。家にひとりの佳子ちゃんは、やっぱり私を招いた。受験校のことで家族とけんかしていて居心地が悪いことを察するのが上手い佳子ちゃん。私が勉強して、佳子ちゃんは就活の書類を書く。寝言だから聞かないで、と佳子ちゃんはつぶやいた。

    「メイクの専門とか、看護学校とかに行きたかったんだけどね」
    「……やっぱり、大変?」
    「そうだね〜、オカンの入院費がばかにならないし……。弟も、バスケやりたいだろうし」
    「佳子ちゃんは?佳子ちゃんのやりたいことはいいの?」
    「あたしがしたいことは、みんなを幸せにすることだよ。きれいごととかじゃないんだよ。ほんとに、ほんと」
    「……私、佳子ちゃんにお化粧してもらったり、佳子ちゃんと一緒にいたりすると、すっごく幸せだよ」

    相変わらず話すのがあまり得意じゃない私は、ひとことずつ、ゆっくり告げた。佳子ちゃんは泣きながら、私を抱きしめた。女の子に抱きしめられたのなんて生まれてはじめてで、私はどうしたらいいかわからなくて佳子ちゃんの背中をぽんぽんと叩いた。脚が細い佳子ちゃんの背中は、やっぱり背骨が出ていた。綺麗な綺麗な佳子ちゃんは、こんなに細かったんだ。学校は行きたいけど、授業料が払えるかわからない。佳子ちゃんはそう言った。残念ながら私も高校生で、佳子ちゃんを養ってあげることはできないけど、いつかいつかきっとお金持ちになって、たくさん服を買って、たくさんお化粧もして、たくさん本を買って、たくさん佳子ちゃんに幸せをお返ししたい、心からそう思った。

    滅多にクラスの人に話しかけられない私に、そこそこかっこいい(好きな時代劇の俳優に似ている)男の子が話しかけてきた。三場くんという彼は、照れ臭そうに、私に手紙を手渡してきた。私は手紙を受け取った。見ずともラブレターだとわかった。なぜか心臓がばくばく行った。冷や汗をかいた。べつに、三場くんが佳子ちゃんと付き合おうと、私には何の問題もないし、佳子ちゃんにはそばにいてくれるひとが必要だってことも、よくわかっているのに、なんだかとっても渡したくなくて、その日は眠れなかった。佳子ちゃんは、可愛いし、いい人なので、ぜったいに彼氏がいてもおかしくないのに、どうしてだろう。佳子ちゃんを、私は独り占めしたかったんだと思う。私は三場くんから受け取った手紙を、佳子ちゃんに渡した。佳子ちゃんは私の目の前でそれを乱暴に開いて、ふむふむと読んだ。

    「字、きったな……。ゆり、これいつ渡されたの?」
    「一昨日……。三場くんと、話したことあるの?」
    「補習が一緒だったくらいじゃない?あんまし覚えてないけど。ねえ、ゆり」

    その日の佳子ちゃんは、私に出会ったときみたいに、図書室のカウンターの足元に潜り込んでいた。図書室には今日は何人か利用者がいるけれど、だれも佳子ちゃんに気がつかない。佳子ちゃんは、私だけが知っている。佳子ちゃんはまんまるの上目遣いで、また私に尋ねた。

    「三場くんと、あたしが付き合ったらさ。ゆりは嬉しい?」
    「えっ……。あ、あんまり、うれしくない……」

    咄嗟に出た答えがあまりにも正直で、私は気持ちを口にしたら実感が湧いてきて、泣きそうになって鼻がツンとした。そう、うれしくないの。まるで私が、佳子ちゃんに片想いしているかのようだ。佳子ちゃんは少し考えたあと、手紙をていねいに折りたたんで、私に手渡した。

    「返してきて」
    「い、いいの……?うれしくはないけど、佳子ちゃんがうれしいなら、私はかまわないよ……」
    「うーん。なんか今のゆりの顔見たら、付き合ったらダメだなって思った。へんなの。それに、あたしバイトと就活で忙しいし、すれ違いとか起こしてすぐ別れそう。人間関係の破綻を増やすくらいなら、人間関係を増やさないほうが得策だもん……」

    佳子ちゃんはへへ、と笑った。私が大好きな、日が射したような、向日葵みたいな笑顔。思わずじっと見つめていると、佳子ちゃんもびっくりした顔で私を見つめた。心臓がどくん、と一度大きく鳴った。なんだか、今日の佳子ちゃんは、いつもよりずっとずっと眩しい。佳子ちゃんの、貴重な人間関係に組み込まれてよかった。

    私は三場くんに理由を伝えて、手紙を返した。三場くんは切なそうな顔で笑った。そうだよね、と。

    「芳村さん、隙がないんだもん。指一本触れられそうにない」
    「で、ではどうしてそのような御文を……?」
    「好きだったからだよ。何か言わないと死ぬって思ったの。それだけ。ありがと、井丸さんも気をつけて帰ってね」

    好きだったから。そんなシンプルな理由が、この世界ではもっとも強い。そうだ、私が佳子ちゃんに三場くんと付き合ってほしくなかったのも、佳子ちゃんが好きだったから。ただそれだけ。卑怯者でごめんなさい。

    佳子ちゃんの就職が決まった。私は心から喜んだ。しかも、佳子ちゃんが兼ねてから希望していた美容部員としての就職だ。その頃私は佳子ちゃんに見合う女になりたかったことや受験勉強のストレスも相俟って5kgほど痩せた。佳子ちゃんは私をとても心配してくれた。けれど、私たちがまた学校生活を送っている間、佳子ちゃんはもう社会に出て働くのだと思うと、佳子ちゃんの苦労を計り知ることはできなかった。学校終わってからバイトに行かなくていいぶん、仕事のほうがいいんじゃない?と佳子ちゃんは言う。たしかにそうかなあ、と思った。佳子ちゃんは地元で働くけれど、私が行きたい大学は別な県にある。卒業したら離ればなれになってしまうのが嫌で、志望を下げようと思った。けれど、佳子ちゃんが佳子ちゃんのために私が私の夢を捨てることを許すとは到底思えない。私は立派な編集者になって、佳子ちゃんをモデルに呼びたい。そう思って齷齪勉強した。


    佳子ちゃんはまたたくさんアルバイトに行くようになった。季節はすぐに過ぎ去った。時折、佳子ちゃんのひとりぼっちのアパートで、お化粧などをしてもらったりして。志望校判定もBをとれるくらいになった。佳子ちゃんは、留年にならないくらいのギリギリの範囲で学校に来ていた。学校に来た佳子ちゃんはみんなに囲まれていた。佳子ちゃんのお友達は、佳子ちゃんが私と仲がいいことに疑問を抱いているようだった。私もわからないもの。学園祭の仮装も、佳子ちゃんがいちばん可愛かった。佳子ちゃんの周りの子たちは、カコをミスコンに出したい、と言い出したけれど、佳子ちゃんは笑ってごまかして、ミスコンには出なかった。ミスコンに出なくたって、私の中では世界でいちばんだよ。そう言ったら佳子ちゃんは腹を抱えて笑っていた。

    「なんであんたはそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるのかな!やっぱ小説?小説読むとロマンチストになる?」
    「だ、だって本当だもん……!どんなモデルさんより、佳子ちゃんが可愛い!本当、佳子ちゃんこそユリアだったらよかったのに……」
    「はぁ?」
    「だって私、ぜんぜんユリアって感じじゃないし……。本当ね、親がつけてくれたこの名前が嫌いだった。外国人みたいな名前がいいからって付けたのに、こんなに地味子になっちゃったし」
    「ゆりが柚莉愛じゃないの、ぜんぜん想像できないよ。それに、この世にいる人の名前に、ダサいも、合わないもクソもないじゃない。あたしはヨシコ、あんたはユリア。そんだけ。はい、この話おしまい」

    佳子ちゃんはお仕置きと言って私の頬をぐにっとつねった。痛かったけどおかしくて、私はまた笑った。こんな日が続けばいいなあと思っていた。佳子ちゃんの笑顔が私の宝物だった。

    冬になった。佳子ちゃんがあの長くてくるくるしていた髪をばっさり切った。胸元にまで垂れ下がった長いきれいな髪は肩に届くか届かないかくらいの内巻きボブになっていた。その日から佳子ちゃんはますます生き生きしていた。私は前髪が伸びてじゃまだった。佳子ちゃんは私の前髪を切りたがる。私は佳子ちゃんに前髪を切ってもらいたい。とんだwin-winな関係だ。私は思い切って佳子ちゃんにメールをした。すると、佳子ちゃんのキャラに見合わず絵文字も顔文字もないシンプルな返信で「明日うち来て!」と返ってきて、私は思わず泣いてしまった。翌日佳子ちゃんの家に行くと、そこには知らない女の人がいた。佳子ちゃんのお母さんだ。佳子ちゃんのお母さんは病気をして痩せていて、でも笑顔が可愛くて、なんていうか佳子ちゃんのお母さんって感じだった。佳子ちゃんのお母さんは、消えそうな顔で、でも優しい笑顔で私に挨拶をしてくれた。退院したんだ、と佳子ちゃん。佳子ちゃんの嬉しそうな顔を見たわたしは同じように嬉しかった。1ヶ月後、佳子ちゃんが入院してしまうまでは。

    佳子ちゃんと外で会うことはなくなった。私と佳子ちゃんが会うのはいつだって、佳子ちゃんの病室のなか。佳子ちゃんは日に日に痩せていった。もうすぐ大学受験だった。ゆり、と、佳子ちゃんが私を呼ぶ。大学生になったら、もっとおしゃれしなさいよ、と言う。おしゃれのしかたがわからないよ、というと、教えてあげるって言ってるのよ、と言う。一緒に買い物をしたり、女の子らしくカフェで甘いものを食べたりしたい。佳子ちゃんとしてないこと、まだたくさんある。だってまだ、佳子ちゃんと出会ってから、全然日数が経ってない。一日が何時間あっても足りない。服選んでよ、おすすめの化粧品紹介してよ、おいしいカフェに連れて行ってよ、言いたいことが喉まで出かかっているのに、言えなかった。何を言っても佳子ちゃんを傷つけ、その事実が自分さえも傷つける気がした。誰かを想って、自分が見えなくなることなんて生まれて初めてだった。

    合格発表の前に高校の卒業式があった。佳子ちゃんは青白い顔を、細い手足をなんとか踏ん張らせて卒業式には来た。人気者の佳子ちゃんは、みんなに写真を撮りたいと言われていたけれど、佳子ちゃんが苦しそうなのをわたしは見逃さなかった。みんなが嫌いなのではない。単純に、身体の調子が。それに、佳子ちゃんがあんなに薄化粧なの、初めて見た。わたしは佳子ちゃん以外に特別な友達はいないので、ふつうに卒業式を終えた。何人か、アルバムへの寄せ書きを頼んでくれた人もいた。今なら許されるかな……と思って、わたしも、とお願いしてみた。いいよ、書きあいっこ。台紙にボールペンを滑らせる。目立つ方ではなかったけれど、そのぶんわたしは、同じクラスのみんなのことをよく見てきたと思う。率直な感想を書き込むと、何人かのクラスメイトは意外そうに目を丸くした。

    「そんなに話してなかったのに、そこまでたくさん書いてくれると思ってなくて……」
    「ご、ごめんね。うまくまとめられなくて」
    「ううん。もっと井丸さんと早く仲良くなってればよかったなあ」

    その女の子は、わたしが書いた寄せ書きを愛おしそうにいつまでも眺めていた。へんな感じがした。親しくもない人にもらったコメントなど、嬉しいのだろうか。もっと早く仲良くなっておけばよかった、なんて今更すぎる。今更だよ。後悔してからでは遅いのだ。時は戻らない。死んだ者は生き返らない。泣いて喚いて死にたくなっても、二度と時は繰り返さない。かといって、後悔しても仕方ないと嘆くのも仕方ない。

    「わたしが言うことではないけれど、後悔してからでは遅いんだよね。過ぎ去ったときは戻らない」
    「……そうだよね」
    「でも、これからは、人の心は変えられる。だからさ、これから仲良くなろうよ」
    「……びっくりした。井丸さん、そんなにハキハキ話すひとだったんだね。あっすごい失礼なこと言ったねわたし」
    「そんなことないよ……。変えてもらったの。わたしも。世界を変えてもらったの」
    「すごいなあ。彼氏?」
    「彼氏じゃない……。でも、彼氏より大切だし、大好き」
    「ますます意外だ。井丸さんからそんな言葉が聞けるとは思ってなかった」
    「柚莉愛でいいよ」
    「わかった。わたしのことも名前でいいよ」

    そうしてわたしは、初めて携帯電話の連絡先に、佳子ちゃん以外の女の子のお友達を追加した。連絡することなんてないんだろうなあと思いながら。


    「ゆり」

    教室のドアから今にも倒れそうな佳子ちゃんが覗いていた。わたしは今までにもない速さで佳子ちゃんに駆け寄り抱きついた。この瞬間を待っていた。会いたかった。

    「……佳子ちゃん!」
    「反応早。犬か?犬なのか?なんで泣いてるの……泣きたいのはこっちだよ……」
    「だって、だって……」

    本当は自信なんて一ミリもなくて、わたしは佳子ちゃんのたくさんいる友達のひとりでしかないのに、わたしには佳子ちゃんしかいないという下手くそなシーソーにずっと乗り続けてきた。バランスが悪いと、少なくともわたしは思っていた。

    「佳子ちゃんがいる……!」
    「はあ?当たり前でしょ〜?……って、今の私には説得力ないか。ごめんね、ゆり。受験の応援もできなくて」
    「私のことはどうでもいいの! 立ってるのもつらいでしょう?」
    「つらくないって言ったら嘘になるけど……。でも、最後に、ゆりと出会った学校で、ゆりに会いたかったんだよ。お見舞いに毎日来てくれたの、ゆりだけだし」
    「私には、佳子ちゃんしかいないから……」
    「またそうやって。でも、さっきもクラスの女子としゃべってたでしょう?その調子だよ。あんた、かわいいんだから。さっきみたいに、懐いた相手には犬みたいに駆け寄ってくるし。話もちゃんと聞いてくれる。優しい。これなら大丈夫ね、あんたならこの先も大丈夫」

    大学の話をしているんだと思うけれど、佳子ちゃんはどこか、わたしの『この先の人生』の話をしているようだった。そんな話、本当は聞きたくない。

    「泣かないでって〜。今日は外泊許可とって一時帰宅だけど、もう少し外に出られるようになったら、大学向けのコスメとか服とか見繕ってあげるから。デートしよ、デート」
    「……本当に?」
    「本当。もう、こんなにひとりに時間もお金も費やしたの、ゆりだけなんだからね……?すこしはあたしの気持ちも分かってね?」

    佳子ちゃんは泣きじゃくる私の背中にそっと手を回した。他の子にも、こうして抱きしめたりしてるんだろうか。私だけだ、って言葉を信じたくなってしまう。独占欲って、自分が持つとこんなにも止められないものなんだ。

    「……ありがとう、ゆり。あのとき助けてくれて。あんたのこと信頼してたから、誰にも言ってなかった親の話もした。ゆりといると、背伸びしないで、ずっとそのままの自分でいられて、ゆりときるときのあたしのこと好きなんだ。生きるだけで結構しんどくて、その上自分さえも病気になって、でもあんただけはあたしを見捨てなかった。まっすぐにあたしを見つめてくれた。すっごく救われたんだよ。好きだったよ、あんたのことが」
    「わ、私も……」

    言葉がうまく繋げられない。本を読んでたくさんの言葉を知っているはずなのに、何もうまく言えなかった。言葉のかわりに涙ばかりが溢れてきた。うまく言えなくても、佳子ちゃんはちゃんと聞こうとしてくれた。好きだったから助けたわけじゃない。あのとき佳子ちゃんを助けたから、佳子ちゃんを好きになったのだ。



    私は大学に合格し、4月から一人暮らしを始めた。佳子ちゃんは卒業式から一度も病院の外には出られなかった。私は自分でなんとか選んだ服を着て、佳子ちゃんに教わったメイクをして学校に通った。友達もすこしはできたけれど、どこか空虚な感じは変わらなかった。週末は帰省をして、佳子ちゃんを見舞った。日に日に痩せて、会話も途切れる佳子ちゃんに、私は最後まで何もしてあげられなかった。




    まだ終わってからの日が浅いはずの高校時代に思いを馳せながら、佳子ちゃんはあっという間にいなくなってしまって、今日にはもう四十九日まで終わった。わたしは当てもなく故郷を彷徨い続けた。歩いても佳子ちゃんは還らないのに。涙が止まらない。泣かないでよ、さっき化粧してあげたばっかりでしょ!と怒ってくれる人もいない。わたしには何もない。どうして。どうしてわたしじゃなくて佳子ちゃんなの。佳子ちゃんを過去にするの。わたしは名前の通り今を生きていかなければならない。佳子ちゃんを名前の通り過去に閉じ込めて。佳子ちゃんという存在がなくなったわけではない。けれど佳子ちゃんには、二度と会えない。わたしはなにかしてあげられたのかな。佳子ちゃん、最後に会った友達がわたしでよかったのかな。聞きたいことがたくさんある。美人薄命、という四字熟語がある。佳子ちゃんは、それを嫌というほど体現してくれた。国語が苦手だって言っていたのに。
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    gyonoto

    MOURNING以前書いていた創作です。自分の名前が嫌いな女の子たちの話。
    名前(或いは過去の話)高校の頃まで、母親がつけてくれたこの名前が私は嫌いだった。外国人と結婚しても違和感がないようにとつけられた柚莉愛という名前とは裏腹に私は日本をこよなく愛する文学好きの地味な女に育った。おしゃれには興味がなく、1500円のファンデーションを買うなら1500円のハードカバーを買いたいと思っていたような女だ。眼鏡をかけた、前髪の長い、本当に目立たない女に、ユリアなんて不釣り合いすぎて恥ずかしくて、私はいつだって苗字で井丸です、と名乗った。

    高校で出会った佳子ちゃんはみんなにはカコちゃんと呼ばれているけれど、私は正しくヨシコちゃんと呼んでいる。私はカコちゃんなんて呼ぶ柄ではないし、烏滸がましいとさえ思って今でも一度もカコちゃんと呼んだことはない。それでも最初は芳村さんと呼んでいたのだから、ヨシコちゃん呼びになったことは褒めてほしくすら感じる。佳子ちゃんこそ柚莉愛を名乗るべき女の子で、モデルさんみたいに(尤も、モデルさんなど知らなかったけれど、佳子ちゃんに宿題として渡された雑誌のモデルさんの女の子たちがとても佳子ちゃんに似ていた)綺麗で、肌が白くて、頬はピンク色で、いい香りがして、外国人とかお人形さんみたいなのだ。佳子ちゃんがどうしてカコちゃんと呼ばれているかというのも、佳子ちゃんがヨシコっぽくないからだ。佳子ちゃんのお母さんとかお父さんには失礼だと思うけれど、佳子ちゃんは本当にヨシコって感じではなく、専らユリアなのだ。しかも、ヨシムラさんという苗字なのにヨシコと名前をつけたセンスも疑ってしまう。ヨシムラヨシコ。野比のび太じゃないんだから、と思うし、佳子ちゃん本人もそれを少し気にしていて、カコちゃんと呼ばせていたようだ。交換してあげたい。佳子ちゃんをどうにか柚莉愛にして、私が佳子ちゃんになりたい。いつも思っていた。
    14213

    gyonoto

    MAIKING愛(と)読書とニキ燐 この間載せたやつの増補版進捗です 書けているところまで好きな本を聞かれるのが、昔から何故か自分の頭の中を覗き見されるみたいで怖かった。僕はこう思っています、という頭そのもの、あるいは心臓を曝け出すような気持ちがして、思考を読まれるみたいで、だから自分がどんな本が好きかという話をするのがなんだか苦手で、読書にはあんまり積極的ではなかった。嫌いではなかったんだけど、読むなら隠れて読みたかったし、どうせ隠れるなら何か食べたかった。

    だから燐音くんが、あのころ僕のカードを使ってしょっちゅう図書館に行っているのも僕からしたら変な感じだった。市立図書館のカードを作っていただけ僕もまだ読書と縁が皆無なわけではなかったけれど、レシピの本を探すとか、読書感想文の本を探すとかでしかいったことがなかったし、それすら最近は学校の図書室で済ませていたからご無沙汰だった。僕の市立図書館の貸出カードの履歴は急激に回転したことだろう。学校帰りによく迎えに行ったものだ。本当は他人にカードは貸与してはいけないルールがあるから、バレるんじゃないかとドキドキしながら。食料のこともあるのに、これ以上罪を重ねたくないのに、燐音くんは僕のそんな懸念すら跳ね除けて、この現代の子どもに 6285

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