ナイトプールベションと伸ばした足で淵を沈め込ませば、そこから勢いよく水がこぼれ流れていく。
空気で膨らませたビニール製の囲い。
その中に水を溜めた小さなプール。
昼間に保護した子供たちが甲板で遊んでいたのを見かけて、興味が引かれて今にいたる。
入れ替えられた水は綺麗で、揺れる水面は夜空を映す。
淵をへこませていた足を退かして、ドクターは近くに佇む人影へと振り返った。
「これでも十分プールの気分を味わえるねぇ」
「・・・・・・」
「エンカク、君も入れば良かったのに」
「誰が」
「楽しいよ」
水中に忍ばせていたウォーターガンをエンカクへと向けて放つが、造作もないとばかりに簡単に避けられてしまう。
苛立たしいとばかりの舌打ちが聞こえて、謝罪を向けながら持っていたウォーターガンをビニールプールの外へと放る―――正しくは、近くに置かれていたボックスへと。
「次は、ちゃんとホテルとかの豪勢なプールで夜空を楽しみたいねぇ」
「・・・・・・」
「付き合ってはくれないよねー。だよねー」
パチャと水面を手で払いながら苦笑を漏らす。
任務や商談があれば、その状況次第では連れていけるかなぁ、と内心で算段をくみながらペタリと座り込んで腰までしかないプールにその身を浸す。
纏ったラッシュガードに溜まった気砲が水に押しやられるようにブクブクと音を立てるのを聞きながら、ドクターは浅い水に身体を浮かばせた。
記憶を失う前の自分は泳ぐことが出来たのだろうか。
ごく自然と浮力に身を任せた自身の感覚をそうぼんやりと考えながら、浮かぶ二つの月を眺める。
そんなドクターの胸元にトンと大きな掌が添えられた。
見える指先から手首、腕・・・・・・見慣れた袖をたどり、こちらを見下ろす焔色の双眸とかち合う。
添えられたその手が下へと力が籠められれば、容易く溺れるだろう。
「なぜ抵抗しない」
「意味がない」
「俺以外ここに居ないんだぞ」
「そうだね。いつもならイーサンやグラベルが傍にいるから」
けれど、今はいない。
護衛はエンカクのみ。
ならば、なぜ。
そう問う視線にチャプリと水面を揺らしながら。
「さぁ、どうしてかなぁ」
「ふざけているのか?」
「いいや。そうだなぁ・・・・・・しいていうなら、君は、こんな風に殺すことなんてしないでしょ」
「・・・・・・どうかな」
「しないよ。君は、だって・・・・・・」
「だって、なんだ?」
「・・・・・・ふふ、秘密」
胸元の手を抱きしめるようにしながら、水中へと身を沈ませた。
次いで聞こえてきた舌打ち。
添えられていた掌に力が籠り、ドクターのラッシュガードを掴むように水面へと引き上げる。
その顔にほんの僅かな焦りが残っているのを見ながら、ドクターはただ笑みを深めた。
「ほら、ね?」
「ッ・・・・・・」
「さて、そろそろ片付けて部屋に戻ろうかな」
言いながらビニールプールの栓を抜き、空気が少しずつ抜けていくのを視界の端に収める。
それに合わせるように、溜めた水を保持できなくなったビニールプールからまるで決壊するように水が零れて広がっていく。
それはエンカクのブーツを濡らし、衣服を濡らし、溢れた水は甲板にある雨水用の溝に沿って地面へと流されていく。
ただのビニールへとなったプールを折りたたんで、ウォーターガンを投げ込んだ箱へと入れた。
箱の中、濡れないようにして置いてあった端末でドローンに箱の片づけを指示して、ペタペタとはだしのまま歩き出す。
「・・・・・・エンカク」
艦内に入る扉の前。
そこで振り返り、未だ残る水溜りに立ったままの長身へと手を差し出した。
「私のサンダル、もってきてくれないかい?」
「・・・・・・」
「それから―――」
身体が冷えたから、君の熱を分けてほしい。
そう告げれば、心底嫌そうに顔を歪めて、足元に転がっているドクターのサンダルを掴み上げた。
ドクターの歩みの半分の歩数で近づいてきた男は、そのまま濡れたままのドクターの身体を抱き上げる。
容易く片腕で抱きかかえられてしまうことに思うとこが無いわけではないが、いまはこのままでいい。
このまま落ちないようにエンカクの首に腕を回して、その耳朶で揺れるピアスに口付けを落とした。