めずらしいこともあるものだ、と車の窓を流れていく夜のグリーンイーストの街の様子をぼんやりと眺めながら、ブラッドはそう思った。ブラッドの車の運転席、いつもブラッドが座るその席に今日はキースの姿がある。反対にその助手席、いつもならキースが座る席にブラッドの姿があった。キースは久しぶりの運転だと言うわりには、しっかりとしたハンドルさばきで街を駆け抜けていく。事の発端は数十分前、ブラッドがまだ書類仕事をしていたときだった。
司令部の職員が普段使っている事務所の一角でブラッドは黙々と書類仕事を進めていた。普段なら誰かしらは事務所にいるが、今日はすでに遅い時間だったこともあってブラッド1人しかそこにはいない。自室に戻って仕事を進めてもよかったが、今日は何となくここで仕事を終わらせてから戻ろうと思っていた。その時、シュンと扉が開く音がする。そのままこちらに足音が近づいてきた。
「お~、いたいた」
「…なんだ、お前か…」
「おいおい、恋人に向かってなんだって言い方はないだろ~?」
先ほど部屋に入ってきた人物、キースの方に目を向けてみれば手に持っていたビニール袋をガサガサと鳴らしながら大げさに肩をすくめてみせた。その様子を見てため息を吐く。
「まったく…何の用だ」
そう言えば、キースは袋を持っていない方の手を伸ばして来る。そしてそのまま手に持っていた書類を取っていく。
「おいっ」
「やっぱりな、お前これ期日まだ先じゃねーか」
「別に貴様には関係ないだろう」
「いーや、恋人の心配くらいしてもいいだろ」
「、っ」
改めてはっきり言われると何も言えなくなる。親愛や敬愛の好意を向けられることは何回もあって慣れているが、キースと付き合うようになってから向けられるようになった今まで気づかなかった好意は何度向けられても慣れない。
「ったく、お前が仕事を後に残すのが嫌なのはわかるけど、それで体調崩してちゃ元も子もないだろ」
正論に返す言葉もない。きっと今の俺は悔しそうな顔をしていることだろう。そして、その様子を見たであろうキースは目の前でため息を吐いている。それから優しい表情を向けてくる。
「どうせお前のことだ、最低でも今日終わらせなくちゃいけないやつは終わらせてるんだろ?」
「あ…あぁ…」
「じゃあ、ちょっと付き合えよ」
そう言ったキースは俺の車を使ってここまで連れてきた。目的地はまだ教えてくれない。そのまま車を進めていくと建物ばかりだった周りの景色が淡い桃色に彩られていった。そこまで来てやっとグリーンイーストの中でも桜の名所である場所に向かっていることに気づいた。もう少し進んでキッと車が止まった。
「着いたぞ」
「ここが目的地か?」
「そうだよ」
着いた場所はグリーンイーストでも人気の高い桜の名所の公園の入り口だった。公園一帯に桜の木が植えられており、桜が満開に咲く時期には朝も夜も多くの花見客で賑わう。今日とて例外でなく微かに喧噪が公園の奥の方から聞こえてくる。
「ここには一体何の用だ?」
「ん~?」
車から降りながらキースに質問を投げかける。キースは質問に曖昧な反応をしながら後部座席に置いておいたビニール袋を取り出した。それから、こっちに来いと言うように手招きをする。近くに行けば袋から取り出したまだ少し冷たいビールを渡された。
「少しの間だけでも仕事を忘れて夜桜を見ながら花見酒といこうじゃねえか」
思わずむっとした。結局は酒を飲む口実にされたのかと思うとあまり良いものではない。というか、そもそも
「車で来ているのだから二人そろって酒を飲んでは困るだろう」
「あぁ、それもそうだな」
キースはケケッと笑う。まったく本当に理解しているのかと聞きたくなる反応だ。
「日本には花より団子なんてことばがあると聞いたが貴様は花より酒という言葉がしっかり来るな」
「そりゃどーも」
「ほめていない」
何が面白かったのかキースは声を上げて笑っている。すでに酒が入っているんじゃないか?ほんの少し腹立たしさを感じながら、ため息を吐く。そのタイミングを見計らってかキースは口を開いた。
「なぁ、ブラッド」
「なんだ」
「どうよ、夜桜は」
そう聞かれてもう一度目の前に広がる光景に目を向ける。昼間に見ることは何回もあってもこうして夜にここに来て桜を見ることは少なかった。だからこそ、この光景はいつも見る景色と違って新鮮に見える。自然光に照らされている昼間の桜とは違い、夜桜は照明に照らされてまた違う艶めかしさを醸し出している。
「昼間見た時とはまた一風違って綺麗だな…」
「いい気分転換になっただろ?」
その言葉にキースの方を振り向けばとびきりに優しい表情をこちらに向けていた。キースは自分がどんな表情をしているのか知っているのだろうか。
「ああ…ありがとう…」
きっと自分も頬が緩んだ表情で返事をしているんだろう。
「さて、と…そろそろ戻るか…」
「もう戻るのか?」
また来れば良いのだが、もう少しこの場にいたいと感じた。だが、遅い時間でもあるのだからキースが出した戻るという提案には従うべきだと分かっていた。それでも、キースの言葉に返した自分の言葉にさみしさがにじんでいるのが自分でもわかった。
「そうだな~戻って花見酒といこうぜ?」
「何を言っている、桜を見ながら酒を飲むからこそ花見酒と言えるんじゃないか?」
どこか矛盾した発言を疑問に思いながら質問をする。すると、キースはおもむろに胸ポケットに手を突っ込んだ。そこでやっと胸ポケットの不自然な膨らみに気づく。普段からたばこを入れているキースの胸ポケットは膨らんでいるが、今日は明らかにその膨らみが大きい。キースはポケットからその膨らみの正体を取り出した。それは丁寧に包装された小さな立方体の何かだった。それをそのままこちらに渡してくる。
「ほらこれ」
「なんだこれは」
「い~から開けてみろって」
促されるまま包装を開いていく。その中身は透明な箱に入れられた桜の花だった。
「プリザードフラワーとか言うやつだとさ、お前忙しいだろ?今日みたいに連れ出すことは簡単じゃねえから、その代わりに」
想定外の贈り物に驚きを隠せなかった。それから喜びも。
「ありがとう…キース…」
「…おう…」
キースはそっぽを向いて返事をした。そっぽを向いたおかげで見えた耳はほんの少し赤くなっていた。それから照れ隠しのように頭をがしがしとかいている
「あ~、ほらさっさと戻るぞ、それ見ながら一杯付き合えよ」
俺の手元、キースに渡されたプリザードフラワーを指さしてくる。
「あぁ…いいだろう」
ふっと笑みが漏れでる。キースはそれを満足そうに眺めている。
「帰りはブラッドが運転しろよ、やっぱり運転席はブラッドのがお似合いだわ、慣れない事はするもんじゃねぇな」
「あぁ」
そう言ってキースは助手席に乗り込んでいく。ブラッドは運転席に乗る前にキースに渡された桜の花をもう一度見る。わざわざ用意したのかと思うと心の奥に温かさが広がる。実はここに来ること自体がこれを渡すための口実だったのかもしれないななんて思った。ひとまず今は残り少ない夜の時間を二人で過ごすためにもタワーへの帰路を急いだ。