甘い台詞をきみの口から「あ」
それきりしばらく固まった。
うぅ、と小さく呻く加州を、鶴丸は「続きは?」と急かす。
「うー、じゃなくて、何て言うんだ?」
後ずさる加州を追い立てるようにずいと身を乗り出し、鶴丸は加州の顎に指をかけた。
「啖呵をきったのはきみじゃないか。焦らす作戦かい?」
「べつにそういうわけじゃ……」
「じゃあ早く、ほら」
顔を背けて逃げようとしても、そう簡単にはいかない。不服そうな加州に向けられた清らかな天使のような笑みは、当の加州には意地の悪い悪魔にしか見えなかった。
こんな事態に陥った原因が加州にあるというのは、概ね本当だ。
夕餉の後、居間のテレビで審神者と数振りの刀たちが映画を観賞していた。古い洋画、しかも恋愛映画。鶴丸もなんとなくその場にいたが、一緒に観ていた刀に言われたのだ。
『なんか鶴丸さんと似てない?』と。
曰く、口調やら言葉の選び方やらが主演俳優みたいだと。
そのつもりで観てみたら確かに通ずるものがあるような、しかしここまであからさまではないような。
いやいや流石にそんな大袈裟な、なんて笑っていたら丁度そこに加州が通りかかった。そして、ねぇねぇ加州さんと同意を求められて言ったのだ。
『あー、わかる。こういう小っ恥ずかしいこと言いがちなとこあるよね、鶴丸さん』
これに鶴丸は衝撃を受けた。自覚がなかった。だから、きゃらきゃら笑って鶴丸を揶揄いだした彼らに腹が立ったのだ。
『きみは言えないんだもんなぁ? 初心だなー可愛いなぁ』
そんな大人気ない煽りに、加州が『別に言おうと思えば言えるけど!? 普通に考えたらどうかしてるだろそんなクサい台詞!』なんて乗ったから。
解散した後、鶴丸は自室に引きずり込んだ。
「たったの一言だけでいい。単純だろ」
「文字数の問題じゃ」
「きみなぁ、これでもだいぶ譲歩して——いや、そもそもだな。睦言を交わすのは何もおかしくないことだとは思わないのかい?」
加州は言葉に詰まった。ぐうの音も出ず、ただ悔しげに頬を染めて睨むばかり。
確かに、その通りだ。大っぴらにはしていないが二振りは恋仲である。考えてみればこれまで、加州が鶴丸に愛を囁いたことがあっただろうか。
「可愛い顔をしても退かないからな」
「……っ」
「黙ってるなら口吸いするぞ?」
言っている傍から顔を寄せてくる鶴丸の肩を、加州は慌てて「まっ、待って」と押し返した。
愛を確かめ合うはずの行為が脅しになったことについては今は置いておいて、鶴丸は素直に従ったが、
「もう俺の負けでいいです……」
ごめんなさいと消え入るような加州の返答に、今度は鶴丸が「いや待て」と物申した。
「そんなにあっさり降参してまで言いたくないのか……」鶴丸は加州の顎から手を離し、頭でも痛そうに眉間を押さえた。「負けず嫌いのきみが」
はあ、と嘆息する。
「無いものを無理に出せとか、等価がどうとかは言わないぜ? だが俺は」
「あ、やっ、その!」
鶴丸の言葉を遮るように加州は突然声を張り上げた。
「なんかやっぱり面と向かってだと……っていう、やつで」
「……ふぅん?」
「うまく言葉にできないだけというか」
苦し紛れに「ねっ?」と小首を傾げてみせる。何とかこの場を切り抜けようとする加州を、しかし鶴丸はそう易々とは逃がさない。
「恥ずかしい台詞だもんな?」
「……う」
金色の双眸に映るぎこちない笑みが凍った。
「俺は心のままを言葉にしていただけなんだが、いやあ驚いたな。それが辱めになっているとは思わなかった」
鶴丸の飄々とした声音はいつも通りだが、さながら加州は蛇に睨まれた何とやら。
「きみ以外の誰にも言ったことがなかったもんだから気が付かなかったぜ。すまなかったな」
しおらしげに眉尻を下げるのが却っておそろしい。
愛してと主張するくせにいざ言われるとどうしたらいいか分からないのは、事実だし悲しいかな加州の性だ。俯く加州を一瞥し、鶴丸は「……まあ、」と口を開いた。
「俺がどんなに望んだって『どうかしてる』んだもんな。きみの口から聞きたいってのは叶わなくても仕方ないよな」
「だから、それはごめんって」
「何と言おうと結局きみには無理なんだろう? だったら諦めるしかないじゃないか」
加州はグッと息を詰まらせた。これが嘆きの皮をかぶった煽りであろうことは見えているが、的確に痛いところを突いてくる。なかなか弁解もできない。
が、しかし。
「好いた子に嫌がることを強要する趣味はないし……」
かぶりを振って痛ましげに言う鶴丸の、随所に散りばめられる甘い雰囲気の言葉が気になって気になって、加州の心に積もっていく。
やっぱり、そういうところは『どうかしている』のでは、と加州は思う。鶴丸は息をするように会話の中に殺し文句を混ぜてくる。おかげで聞かされた方はそわそわして落ち着いている暇がなくて、言葉は出ないし体温は上がる。それが普通であってはたまらない。
——そう思うと、できることなら一発くらいはガツンとかましてみたいという気持ちも沸々と沸いてきた。
「きみに焦がれて大人しく枕を濡ら」
「~~っ、あぁもう!」
加州はとめどない歯の浮くような台詞を遮って鶴丸の首元に抱きついた。虚を突かれた鶴丸はよろめき、咄嗟に腕で体重を支える。
「いきなりすぎないか!?」
「顔見てると言えるものも言えないし!」
加州は目をぱちくりさせている鶴丸の頭を抱き寄せた。
「鶴丸さんみたいな、あまーいこと何回もは無理だから、……ちゃんと聞いてて」
軽やかに跳ねた白銀の髪が加州の肌をくすぐる。これだけ近いと心臓の音も聞こえてしまいそうだと思いながら、なるようになれと耳元に唇を寄せ——加州は小さく囁いた。
鶴丸が息を呑む。
ほんの一瞬のささやかな、でも何百回分をいっぺんに詰め込んだ言葉。
「——きこえた?」
吐息混じりで、すっかり静かになってしまった鶴丸へ問う。
「きこえ……、あー、そうだな、俺もだ……」
か細い返事に怖々と顔を離してみた加州は、目を丸くした。人形のように白かった肌が見事に桃色に染まっている。そーっと触れてみると、じんわりと熱さが伝わってきた。
「……驚きましたか」
「驚きすぎて驚きだ!」鶴丸は片手で顔を覆う。
「恥ずかしーでしょ? あんまりしょっちゅう言葉にされると落ち着かなくて困るの。わかってくれた?」
「いや……」
濁点混じりの大きな溜息をつくと、鶴丸は怪訝そうな加州に言った。「嬉しい」
「えぇー……」
期待していたのとは違う反応に、加州はどうしたものかと眉を寄せた。鶴丸は手を裏表させながら、すっかり血色のよくなった自らの額やら耳やらをぺたぺた触っては火照りを確かめている。
「恥ずかしいのと嫌なのは必ずしも比例しないらしいのは分かった。人間っていうのは全く不思議なものだな」