【鶴清】続きはお布団で「けしき也、各是をみて無……疑?」
「疑い無く」
「うたがいなく、変化の物と思われければ……」
二振りで同じ文章を追う。
先の出陣で傷を負った加州は手入れと静養の間、おとなしく読書に励んでいた——のはいいが、判読できない字が多々あって不完全燃焼だったとのこと。
自由に動けるようになってすぐ、俺のところへ書物を持ってきた。
大怪我を心配したのに煩がられたのは少々根に持っているが、一番に頼るのが俺だというのは可愛いものだ。
——まあ、それはそれとして。
「太刀を抜き、弓を引いてむかうところに、……?」
「白翁。おきな、だ」
「白翁すすみて」
「進み出て」
所々つっかえる加州の補助をしながら一緒に読んでいく。
「着物をぬき……脱ぎ掛けて、はだかになりて……」
しかし読み進めるうちに加州はだんだん語気を弱め、とうとう居心地が悪そうに言った。
「……ねぇ鶴丸さん」
「何だい」
「やっぱりこの体勢さ……」
「体勢がどうした?」
加州は身動ぎをするが、ろくに動けはしない。
というのも、俺が机に向かう加州の背に貼りついているからだ。腹に腕を回して。大して拒否もされなかったのをいいことに。
「手入れが明けたら読むのに付き合ってくれるって言ったじゃん……」
「全力で付き合ってるだろ、今。多少触れているのくらいは許してくれてもいいんじゃないか?」
頭をぐいぐい押し付ける。
加州は「うーん」と唸るも、まあいいか、とまた手元の本へと視線を落として読み始めた。
身を清めて寝巻を着て夜半に恋刀の部屋ですることが読書、なんて俺たちにはさして珍しくもないことだが、俺のぶすくれたご尊顔を見てさえくれない。俺と読本どっちが大事なんだい?
まったく、こういうところでこの子は変に抜けている。触れることをあっさりと許して、こんなにも無防備ときたら、
「手を合わせて、」
いくら優しい鶴丸さんだって、ついうっかり魔が差さないとも限らないのに。
「恐れ怪しみ、た、……っ!?」
加州の体がビクリと跳ねる。
臍のあたりでゆるく組んでいた手を崩し、俺は手のひらで加州の腹を撫でた。
「え、なになになに?」
「給う事勿れ」
「はぁ!?」
素知らぬ顔して脇腹から脇へと撫で上げる。指先で掠めるように触れると、加州は「ひゃっ」と声を上げた。
「やめっ、くすぐった……!」
ひくんと震えて逃げようとする細腰をしっかり抱えなおす。ぺしぺし叩かれても動じない。
藻掻く加州がゴン!と机に手だか足だかをぶつけた音がして、一旦俺は手を止めた。
「ったぁ……」
「大丈夫かい?」
「鶴丸さんが変な触り方するせいでしょ!」
「はて。変とは?」
しらばっくれる俺を「信じらんない何こいつ」なんて言いたげな顔して見上げてくる加州に向けて、俺はわざとらしく表情を作って言った。
「この程度で音を上げてしまうとは驚いた」
「今のはただビックリしただけですー」
「へぇ? それは光栄だな。平気なんだったら続きをどうぞ」
俺がニッコリ微笑むと、加州は「今にみてろよ」と机に向き直った。こんなベタな煽りに律儀にカチンと来てくれるところが可愛くてたまらない。
何をしてくれるのだろうか、それはそれで楽しみだが、
「……恐れ怪しみ給うことなかれ。各を、待ちたてまつるなり」
やはり今は目の前の物語に集中したいようで。
「その故は、おきなは子供六、七人、……ち、持ちたりしを、ひとりならず、鬼王に取り失われて、嘆き……?」
「この歎き」
「このなげき、いかばかりかとか思い給う」
俺が肩口に顎を乗せても頬を擦り寄せても何も言わない。この子の真っ直ぐに前を見据えて揺るがない眼差しは俺の憧れるものの一つだが、こうも丸無視されるとなると。
ふーん、そうかい。
「かの山臥は同行あま」
俺は指先を加州の腹から胸へと滑らせた。
「た……っ、とられ、」
息を詰まらせた加州は、それでもまだ無反応を貫きたいらしい。そっちがその気なら俺も遠慮はしない。
「この若僧は、弟子、師匠を失いて、なげきたまえば………」
「合ってるぜー」
言いながら、俺の手は加州の胸元をまさぐった。ゆっくり、ゆっくり。寝巻の薄い布地に隠れた突起を見つけたら、加州は身を強ばらせた。本を支える手がきゅっと握られる。
「将、せん」
「両将宣旨を給わりて」
「たまわりて、思——おに、鬼城へ、」
指の先で引っ掻くようにしたり擦ったりなどしていたら、は、と加州が息を漏らした。
そう、これ好きだもんな。
何も響いていないふりをしたって俺にはお見通しなのだから、早く観念すればいいのに。
囁くように続けてやる。
「尋ね向かい給う由を」
「たずね、むかい、……ッ」
ピクンと体が反応し、加州が手の甲で口元を押さえる。背を丸めたのは意地の悪い俺の手から逃げるためなのだろうが、そうしたところでただ俺の胸板にぶつかるだけだ。
指先に当たるものが芯を持ったのは気の所為じゃない。好きなように弄ぶほど息が乱れる。
「ほら加州、続きはいいのかい?」
「るさい……」
もしかして俺への暴言か? 今の。
そういうことなら仕方ないので、俺は加州の衿に手を滑り込ませた。
「ひぁッ!?」
加州が声を上げる。そのまま手を這わせていくと加州は背を震わせ、ついに俺の手首をがっちりと掴んだ。
「ちょっ、と、つるまるさん!」
体を捻って俺を睨みつける——が、いつもの鋭さはどこへやらで、俺は怯むどころかニヤリと口端を上げた。
「やっとこっちを見てくれた」
パッと手を開いて悪戯終了をアピールする。
加州は俺の股座から這い出すや否や俺に食ってかかった。
「何てことしてんの!」
「きみが構ってくれると思って」
「こんなやらしい感じにしなくてもいいじゃん!」
「いやぁ、すまんすまん」
謝ってみたが、お怒りの加州は文句を言いながら肌蹴た衿元を直している。
「でもな加州、久し振りの逢瀬だぜ? 熱視線をそいつにばかり注ぐのはどうなんだ」
加州の額をつつきながら俺は言う。加州はしばらく無抵抗でいいようにされていたが、ムッと唇を尖らせた。
「……読本にヤキモチ焼いてるわけ?」
「妬いたら悪いか」
「ふーん……」
気のなさそうな返事をして目を伏せたまま、加州は髪を指に巻きつけている。
——暫しの沈黙の後、読本に栞を挟んだ。
「…………なにしてあそぶ?」
「おっ。きみは何がいい?」
「ふ……、ふたりで、向かい合ってすること……とか?」
躊躇いがちに上げられた加州の視線をばっちり絡めとり、俺は微笑みかけた。
「いいねぇ」
加州に体を寄せて手を伸ばし、指の背で柔らかな頬を撫でる。そのまま顎に指をかけると、それを合図としたように加州がきゅっと目を閉じた。
鼓動の音がこちらにも響いてくるようで。
ゆっくりと顔を近付けて、——俺は耳元で言った。
「じゃあ双六でもするか」
「……は?」
「ん? 将棋の方がいいかい? それとも他に何か?」
頓狂な声を上げたかと思えば二の句も継げずにみるみる赤面する加州に、小首を傾げて「碁盤はあるが碁石が無いし、おはじき……は乱にやってしまったし」と指折り数えてみせる。
加州は唇をわなわなと震わせた。
「この……っ、悪趣味!」
「何とでも」
「俺をからかってそんなに楽しい!?」
「楽しいなぁ。楽しいし可愛い、全く飽きない」
「もーー!!」
幼子のように悔しがって殴ろうとしてくる加州の拳を受け止めて押し返す。なかなか引き下がらない加州との攻防戦は拮抗状態が続いたが、疲れてきたところでようやく観念してくれた。
負けを認めるまでに時間をかけつつ。
「………お布団がいい」
「ははっ、承知した」
体を預けてきた加州を抱き締めたら、籠った熱がじわりと伝わってきた。
夜はまだまだこれからだ。